月虹

                             【 第一種接近遭遇 】

 アメリカ。とある人里離れた某所。くねくねとした山道をブルーのセダンが走っている。窓に広がる鬱葱とした林や、
時折林の切れ目から覗く緑の牧場を眺めながら、何時に無く寛いだ口調で、スカリーはこの出張の概要をドゲットに
説明していた。この先のキャビンに住む男の身辺警護が二人に課せられた任務なのだが、Xファイルとは全く関係無
い仕事内容に、話を聞くドゲットの様子もスカリー同様寛いだ雰囲気を醸し出している。
「しかし、どうして僕達なんだ?」
「なんでも、そのベン・キャロウェイ博士というのが、元FBI捜査官で辞めた経緯がちょっと複雑らしいわ。」
「揉め事か?」
「そう。その件かどうか分からないけれど、同じ時期に彼の所属したカリフォルニア支局の局長が免職処分に。」
「免職。大事だな。」
「ええ、でも上層部で処理したから、それについての記録は機密事項なの。」
「ふむ。得意分野だ。」
「言えてるわ。・・・ええっと、その他に分かっている事と言えば、今は個人で企業のセキュリティに関するコンサルタ
ントをして収入を得ている事と、13歳の養女が一人、それ以外の家族は無し。・・・・それと、博士はFBI全体を嫌って
いるという事。今まで送り込まれた捜査官全てが、門前払いされているの。」
「成る程。で、僕達に順番が廻ってきたわけか。」
「そうなの。私達が最後よ。しかも、上層部はこの仕事を私達に振りたくは無かったようね。」
「へえ。そりゃ又どうしてだい?面倒な事は何時も押し付けてくるのに妙だな。」
「分からないわ。でも、殆ど説明らしい説明も無かった事と、資料の少なさがそれを物語っているわ。」
スカリーはそう言って、持っていた白い部分が目立つリポートを反転しドゲットに見せた。ドゲットは運転したまま、ちら
りと視線を投げ、眉間に皺を寄せ尋ねた。
「その写真が?」
「ええ、キャロウェイ博士。」
「随分若いな。」
「ああ、これは、5年前の写真だから。今はもう少し老けてるでしょうね。」
「幾つなんだ?」
「・・・この資料によれば、・・・今45歳だわ。」
「何?」
ドゲットはついっと腕を伸ばし、リポートにクリップで留めてある写真を抜き取った。写真は多分支局の一室での会議
の様子だった。男は手元のファイルを広げ、頬杖をつき、うつむき加減に資料を読んでいる。やや長めのウェーブが掛
かった栗色の髪は自然と後ろに流れ、広い額と整った優しげな容貌はとてもFBI捜査官とは思えない。広告代理店の
クリエーターとか、デザイナーといった風情だ。しかも、この写真を撮影した時の年齢は40歳なのだが、どう見ても男
は30代前半にしか見えないのだ。ドゲットは写真をスカリーに返しながら、しかつめらしく呟いた。
「成る程。Xファイルだ。」
「エージェント・ドゲット?」
「いくらなんでも若すぎる。エージェント・スカリー。これは間違いなく僕らの事件だ。」
「エージェント・ドゲット。童顔という言葉をご存知かしら?」
「勿論。しかし納得できん。」
「何が言いたいの?」
「これを写した時の年齢が僕と同じ歳なんて、信じられるか。」
その途端スカリーは一瞬ドゲットの横顔を見つめ、続いて顔を背け必死で笑いを堪えた。ドゲットは相変わらず前を向
いたまま、澄ました顔をしてハンドルを握っている。何時の頃からか、彼の年齢に関する話題は、二人の間で交わさ
れるジョークの種になっていた。スカリーは窓の外に意識を集中しながら、笑いが収まるのを待った。彼女がこうし
て、時折見せるドゲットの意外な一面に笑わせられるようになって、随分になる。スカリーは仕事に入る前の移動中
や、仕事が終わり報告書を提出した後の、ドゲットと他愛の無い会話をして過ごす僅かな時間が結構気に入ってい
た。
「門を開けて貰えたという事は、一応僕達は合格したのかな?」
「・・・そういう事になるのかしらね。」
「ふむ。しかし、セキュリティのコンサルタントっていうのは、そんなに儲かるものなのか?」
「さあ、良くは知らないけれど、彼がお金に困っていないのは事実のようね。この山の所有者は彼だし、左手に見える
牧場も経営している。住み込みの雇い人も20人を下らないらしいわ。しかも尚、銀行には多額の預金がある。」
「成る程。設備も最新式だ。」
スカリーが怪訝な顔をしたので、ドゲットは窓の外にさっと視線を流し説明した。
「気が付かないか。僕らはずっとモニターされてる。最初に通った門の両脇、道には10メートル間隔で監視カメラ、赤
外線防犯システム。塀には電流が流れるようになっていたぞ。」
「塀と門には気付いたけれど、道の方は気付かなかったわ。」
スカリーが辺りを窺いながら訝しげに言葉を続けた。
「妙ね。」
「うん。」
「あなたもそう思う?エージェント・ドゲット。」
「ああ、個人宅にしては、厳重すぎる。」
「何を警戒して?」
ドゲットは上目に木立を眺め無頓着に答えた。
「強盗。」
あまりに安易な返答にスカリーが横目で睨むと、ドゲットはちょっとばつの悪そうな顔をしたが、その様子から彼が本
気でそう推理した訳ではない事は明らかだ。些か不真面目なドゲットの態度に、スカリーはぴしゃりと言い返した。
「まさか。道を尋ねた町の人たちの彼への評価を聞いたでしょう。」
「世捨て人。」
「変人。」
「顔さえ見たことが無いという人間が多かったな。」
「そうよ。彼の知名度なんてそんなもの。ましてや、FBIの資料にだって正確な数字が記録されてないのよ。彼が大金
持ちだなんて誰も知らないわ。」
「成る程。これで強盗の線は消えた。じゃ、何だ?捜査官をしていた時に誰かの恨みを買ったか?」
「一番可能性が高いのがそれなんだけど、でもそれにしてはちょっと仰々しすぎない?」
「そうだな。・・・・案外その辺が鍵かも。」
「何の?」
「大体身辺警護と言ったって、何から彼を守るんだ?君は聞いてるか?」
「いいえ。」
「そこには書いてないのか?」
「・・何も。」
「スキナーは何て?」
「教えてくれなかったわ。」
「心強いな。」
ドゲットの醒めた口調にスカリーは微笑んだ。
「そうね。やはりあなたの言うとおりだわ。エージェント・ドゲット。」
ドゲットはスカリーに微笑むとゆったりとした口調で先を続けた。
「Xファイル。」
「ええ。謎が多すぎる。」
「とりあえず、本人に会って聞いてみるさ。」
「若さの秘訣もね。」
ドゲットは一瞬スカリーを睨んだが、スカリーのからかうような瞳にぶつかると、喉の奥でくっくと笑った。つられて笑っ
たスカリーはその横顔を眺めながら、この人はなんて魅力的に笑うのだろうと改めて思った。気が付けば自分はドゲ
ットの笑った顔見たさに、最近ではしょっちゅうこういう言葉遊びを仕向けていた。そしてその笑顔と柔らかな低い笑い
声を間近に感じていると、この上なく幸福な気分を味わうことが出来た。しかしこの時の不自然に安らいだ雰囲気が、
実はこの後待ち構える波乱の前兆だったのだが、二人はまだ知る由も無かった。


 キャビンの正面に車を止め二人は思わず顔を見合わせた。そこには、キャビンというにはあまりに大きく、まるで白
亜の城のような屋敷が建っていたからだ。さやさやと葉擦れする緑の木立に囲まれ、夕陽を反射し赤く染まった白
壁、極彩色の夕焼け雲を映す格子の嵌ったたくさんの窓ガラスが眼に美しかった。シンプルなデザインながらも、どこ
か古代の神殿を思わせるその建物は、人の気配無く静まり返っている。二人は辺りを窺いながら、玄関に立った。ド
ゲットがスカリーの眼を覗き込んで承認を求めたので、彼女は黙って頷いた。一呼吸置いたドゲットがインターホンを
押すと、ほんの数秒後にドアが開き、立っていたのはベン・キャロウェイ本人だった。
「こんにちは。キャロウェイ博士。僕はFBIエージェント。ジョン・ドゲット。」
「私は彼のパートナーで、ダナ・スカリーです。」
二人がバッジを掲示しながら挨拶をすれば、半開きのドアに凭れたまま二人を観察していたキャロウェイは身体を起
こし、にっこりと笑い握手を求めた。
「ベン・キャロウェイです。遠路はるばるようこそ。中で話しませんか?」
てっきり無愛想な態度で出迎えられると思っていた二人は、予想外に友好的なキャロウェイに些か戸惑ったものの、
進められるがまま屋敷の中に入った。
 広い廊下を抜け通された応接室で二人は、飲み物を用意するため席を外したキャロウェイの気配が消えると、早速
ひそひそ話を始めた。
「随分愛想がいいな。話と違う。」
「ええ。スキナーは電話で何度か交渉したらしいけど、取り付くしまが無かったそうよ。」
「ふむ。何か裏でもあるのか。」
スカリーが口を開きかければ、不意にドゲットがしっと言って目配せした。振り返ると銀のトレーにコーヒーを載せたキ
ャロウェイが部屋に入ってくるところだった。キャロウェイは二人の前にコーヒーを置き、自分もソファに腰掛けると二人
の顔をかわるがわる眺めながら話を切り出した。
「それで、君達が僕を守ってくれるとか。」
「そうです。」
スカリーが答えると、キャロウェイはスカリーの眼をじっと見詰め訝しげに尋ねた。
「断ったら君達は、おとなしく帰ってくれるんだろうか。」
「それは出来ません。命に関わることだと聞いています。博士の安全が保障されるまで戻ることは出来ません。」
「・・・それは誰の命令?」
キャロウェイの問いに二人は一瞬顔を見合わせた。キャロウェイは元FBIだ。名前を言うぐらい、いいだろうとドゲットが
答えた。
「カーシュ長官代理です。」
「長官代理。・・・・・成る程ね。」
突然キャロウェイは立ち上がり、広大な裏庭が見渡せる窓辺へと移った。無言で外を眺めるキャロウェイの横顔を夕
陽が照らす。今年45歳になるキャロウェイは驚くほど若かった。黒のジーンズに白いポロシャツを着て佇む姿は、あ
の写真の時から少しも年を取っているようには見えない。5年の歳月は何一つキャロウェイから奪ってはいなかった。
豊かな髪には白髪も混じらず、物思いにふける思慮深そうな顔には皺一つ無いのだ。暫くの間キャロウェイは無意識
に右手の親指の付け根を摩っていたが、やおらに眼を上げると言った。
「どのくらいの期間?」
「安全が確認されるまでの間です。」
スカリーの言葉に、そりゃそうだと頷き、キャロウェイは薄く笑って、更に尋ねた。
「僕についてどの程度知らされてきたんだ?」
キャロウェイは相変わらず窓の外を向いたままだ。二人は返事に窮し顔を見合わせた。こちらの内情は話すべきでは
ないのだが、捜査のやり口を熟知しているキャロウェイにそれが通ずるか疑問だった。答えようとしない二人に向き直
り、キャロウェイは親しげな笑みを浮かべ先を促した。
「返事の仕様が無いのは分かるけれど、今更隠しても意味無いよ。」
スカリーがドゲットの視線を捕らえると、彼が小さく頷いたのでスカリーは知っている事実を話した。が、それがあまり
に少ない為、直ぐに終わってしまい、えっ?という顔つきになったキャロウェイが尋ねた。
「それだけ?」
「ええ。今お話したのが全部です。」
信じられんなとキャロウェイは口の中で呟き、言葉を続けた。
「僕に関するリポートを見せてくれないか?とぼけても無駄だよ。君達用に上が作成したものがあるんだろう?」
手の内を知り尽くしているキャロウェイには最早お手上げだった。ドゲットはちらりとスカリーに目配せして立ち上がる
と、上着の内ポケットからリポートを出し、キャロウェイに渡した。手渡されたリポートに素早く眼を通したキャロウェイ
が、自分の前に立ち返却を待つドゲットを上目に見て尋ねた。
「これが全部?・・・たったこれだけ?」
ドゲットが黙って頷くと、キャロウェイは身体をずらし、後ろに座るスカリーに問いかけるような視線を投げた。スカリー
が小さく頷いたのを認めたキャロウェイはリポートをドゲットに返しながら、首を振った。
「相変わらずだな。・・・これだけの資料で仕事をしなきゃならないなんて、君達に同情するよ。」
その返事にドゲットがスカリーを振り返れば、直ぐに彼女も歩み寄り並んで立った。
「それじゃあ、承諾して貰えるのですね。」
「断っても帰らないんだろう。」
キャロウェイが肩を竦めて言うと、今度はスカリーが答えた。
「それはそうですが、あなたの協力を得られた方が仕事がしやすいですから。」
「ちょっと待ってくれ。協力するとは言ってないぜ。」
二人は顔を見合わせ、問いかけるような視線をキャロウェイに向けた。
「守ってくれるのは構わないが、条件がある。」
「・・条件?」
スカリーが怪訝そうに言葉を続けようとした時だった。突然、ばたんと応接室のドアが勢いよく開けられ、一陣の風を
まいて若い女が飛び込んできた。何事かと振り返った三人の側に、足音も荒く近寄ったその女はドゲットの前に仁王
立ちすると、燃えるような瞳で睨みつけた。
「何処に行ったかと思えば、こんな所にいたのね!スーツなんて着込んで、何処に行こうって言うの?こっちはあなた
がプールに突き落としてくれたおかげで、午後の予定が台無しになったのよ!何とか言ったらどうなの!?」
水滴の垂れる見事な金髪をライオンのように振り乱し、一気にまくし立てる女を前に、何の事か分からずドゲットは、
呆気にとられ言葉も無い。するとその様子が更なる怒りを煽ったようだ。
「何なの!?その態度?ああ!!頭に来る!!あなたって何時もそうね。自分のしたことに、少しは責任を持ったら
どうなの!?」
「いや。誤解だ。・・君は何か誤解して・・」
ドゲットの言葉が終わらない内に、女の平手が飛んだ。スナップを利かせ、素晴らしい速さでドゲットの左頬を打った
ため、ドゲットは避けることも出来ず、瞬間凄まじい音がした。それまで、呆然としていたスカリーはその音に我に返る
と、頬を押さえ俯くドゲットを覗き込み、憤然として女を睨みつけ怒鳴った。
「いきなり何をするの!?」
すると女は冷たい視線でスカリーをじろじろ眺め回し、ふんと鼻を鳴らすと再びドゲットを睨みつけた。
「又、何処かで妙な女を引っ掛けてきたのね。えらそうなことを言う前に、自分のやっている事をなんとかしたらどうな
の!?どうせそんな事だと思っていたけど、一瞬でも信じた私が馬鹿だったわ!」
「ちょっと、待って。あなた、一体誰の話をしているの?」
「うるさいわね。あなたには関係無いのよ。引っ込んでいて頂戴!」
今度はスカリーが突き飛ばされる番だった。よろけて転ぶ寸前のスカリーを危うく片手で抱きとめたドゲットは、大丈
夫かとスカリーをまっすぐに立たせ、厳しい視線を女に向け静かな声で言った。
「乱暴は止せ。」
「ああら、あなたからそんな言葉が出てくるなんて、私の耳はどうかしちゃったんじゃないかしら。やけにその女には、
優しいのね。そうよね。そうやって、ちょっと綺麗な女の前じゃ直ぐにいい格好したがるんだわ!嫌らしいったら!」
「君はさっきから、何を言ってるんだ?」
「気取った物の言い方は止めて!虫唾が走るわ!」
「悪いが昔からこういう話し方なんだ。しかし・・」
「ああ!!もう、いい加減にして!!いいわ。さっさとそこの商売女を連れて、消えて頂戴。二度と私に話しかけない
で!」
その時ドゲットの後ろにいたスカリーは、彼の背中に緊張が走るのを認めた。変わらぬ静かな口調に、怒りが含まれ
ているとは、その場にいたスカリー以外誰も気付かなかった。
「今の言葉は取り消してくれないか。」
「あら、どれかしら?商売女?消えて?話しかけないで?どれなの?言いなさいよ!言えないの?じゃ、私が言って
あげるわ。商売女、商売女、商売女・・」
「彼女を侮辱するな」
その言葉を聞くや否や、かっと頬に血を上らせた女は再び片手を振り上げた。しかしドゲットの横面を張る寸前で、そ
の手はドゲットに受け止められ、あっという間に後ろ手に捻り上げられていた。解こうともがく女の手を掴んだまま、ド
ゲットは女の背後から囁いた。
「止めるんだ。」
「何よ、偉そうに。離しなさいよ!」
「彼女に謝罪しなければ駄目だ。」
これは、行き過ぎだ。スカリーがドゲットの怒りの原因が自分にあると分かっていた。パートナーを侮辱されて、黙って
いるような男では無い。一旦ドゲットがこうなったら、自分の言うことにしか耳を貸さないだろう。しかし、どうしてキャロ
ウェイは何も言わないのだろうかと、視線を巡らせれば、部屋の隅で腕組みをし、面白そうに眺めている。その様子に
不信感を抱いたものの、目の前で繰り広げられている収まる気配を見せない諍いを、放っては置けない。スカリーは
ドゲットをなだめようと声を掛けたその時、自分の背後から音も無く、黒い影が通り過ぎドゲットの後ろに立つのを見
た。と、ドゲットとスカリーに馴染みのある音が聞こえ、影がこういうのを聞いた。
「手を離すんだよ。」
同時にドゲットはゆっくりと女の手を離し、ホールドアップした。影のように現れた男は、ドゲットの背中に銃を突きつけ
ていたのだ。さっきの音は銃の安全装置を外す音だった。身体の自由を取り戻した女は、手首を摩りながら振り返り
二人を見た途端悲鳴を上げた。
「リオ!?」
そしてその声は、銃を握る男に一瞬の隙を作り、ドゲットがそれを見逃すはずは無かった。身体を左に翻し銃を持つ
男の左手首を左手で掴み、ぐっと圧力を加え銃を落とさせると、そのままぐいっと前に引っ張った。咄嗟の事でつんの
めり、一歩踏み出した男の片足の膝をドゲットがすかさず踏み込めば、うっと声を漏らし男は体勢を崩してドゲットの
前に膝を折った。そしてドゲットは掴んだ左手を更に引っ張り、右手で男の伸びきった左肘関節へ打撃を加えようとし
た。ぴんと伸びた肘に強い衝撃を加えれば、簡単にへし折れる。
「止めて!」
その声にはっと我に返ったドゲットの右腕を、スカリーが抑えていた。スカリーの必死な眼差しを受け、ドゲットは身体
にみなぎっていた闘争本能を、徐々に解除し、男を解放した。スカリーがドゲットを、女が男を助け起こしお互いが改
めて向き合った。その途端女を除く3人は思わず息を呑み眼を見張った。
「うわあっ!?」
男は素っ頓狂な叫び声と共に、1メートル近く後ろへと飛び退った。一方ドゲットは、顔を顰め歯を食いしばると、胡散
臭そうに男を睨みつけている。スカリーはと言えば、二人をかわるがわる見比べ、唖然としていた。
 ドゲットが二人居る。ぴったりとしたブルージーンズに、てろんとした黒い開襟シャツの襟を大きくはだけ、派手な柄
のカウボーイブーツを履いた男は、格好こそ違え、年齢も背格好も顔かたちも全てドゲットと瓜二つだった。二人は無
言で睨みあっている。せわしなく動く視線は、お互いの身体の上をくまなく調べ、どこか自分と違うところを見つけよう
と必死に探しているかのようだ。しかし、髪の色眼の色肌の色、髪の生え際や、耳の形までそっくりなのだ。やおら男
は振り返り、助けを求めるように、キャロウェイを見た。ところが、とうのキャロウェイは、男と眼が合った途端吹き出す
と、腹を抱えてげらげらと笑い出したのだ。
 それを見た男は、キャロウェイとドゲットを交互に見ては、何か言おうと口をぱくぱくさせ、ようやっと深呼吸して気を
静めると、つかつかと笑いの収まらないキャロウェイに歩み寄り、憤然とした口調でドゲットを指さし怒鳴った。
「ベニー!お前、一体何処からあの馬の骨を連れて来たんだ!!」
「馬の・・・・・。それはこっちの台詞だ。」
いかにも不愉快そうにドゲットが呟けば、さっと振り返った男はうえっと言う顔をして更に叫んだ。
「かーっ、声まで同じだぜ!!ベン、ありゃ一体何だ?」
「そうよ!ベン。私も説明してほしいわ。何故リオが二人いるの!?」
と、今度は女がキャロウェイに詰め寄った。一方ドゲットとスカリーは顔を見合わせ、リオ?と声に出さずに囁きあい、
ドゲットが不機嫌な顔で、わけが分からんと首を振れば、様子を見ましょうとスカリーに宥められていた。
 二人が見守る中、ようやく笑いを収めたキャロウェイは、自分の目の前でいきり立つ男女をまあまあと制し、紹介す
るから来いよ、と砕けた口調で言って落ちていたリヴォルバーを拾い上げ、二人を伴いドゲット達の前に連れてきた。
ドゲットと男は警戒心漲る視線で再び睨み合った。その様子を愉快そうに横目で見ながら、キャロウェイはまず自分
サイドの男女からドゲット達に紹介した。
「ええっと、彼女はラナ・クロス、彼はリオ。二人とも僕のビジネス・パートナーだ。」
リオと呼ばれた男は、相変わらず胡散臭そうにドゲットを見てから、スカリーに視線を移すと、急ににんまりと笑いかけ
た。それを目ざとく察知したラナと呼ばれた女は、肘でリオの脇腹を小突き、決まり悪そうに微笑みかけた。すると一
瞬で、花が咲いたように表情が明るくなり、ずぶぬれのトレーナーにジーンズという姿でいながらも、ラナが素晴らしく
ゴージャスな美女であると思い知らされた。キャロウェイは、咳払いをすると、上目にラナとリオを見て含みのある言い
方で、今度はドゲット達を紹介した。
「さて、ラナ、リオ。こちらの彼女は、ダナ・スカリー。彼はジョン・ドゲット。二人とも僕の身辺警護をする為、FBIから派
遣されてきたんだ。」
「FBI!?」
「何ですって!?」
二人はその言葉を聞いた途端、握手しようとした手を引っ込め、キャロウェイに食って掛かる。
「ベン!!お前一体何考えてるんだ。奴らに何されたのか、忘れちまったのか?」
「そうよ。もう二度と深入りはしないって、言ってたじゃない。」
「ラナの言うとおりだぜ。こいつらのやり口は、知ってるだろ?」
「・・・・知ってるさ。リオ。身に染みてね。」
静かな口調だった。しかしキャロウェイのその一言で、二人ははっとして口を噤んだ。
「掛けて話そう。ラナ、リオ。そちら側へ。二人もこちらに掛けて下さい。先ほどの続きを。」
穏やかだが、決然としたキャロウェイの態度に気おされ、四人は振り分けられた通り、コーヒーテーブルを挟んで、ソ
ファーに腰掛けた。その様子を満足そうに眺め、キャロウェイは丁度真ん中に立つと、まるで何事も無かったかのよう
にさっきの続きを始めた。
「どこまでだったかな・・。ああ、条件を言おうとしてたんだ。エージェント・スカリー、エージェント・ドゲット。君達二人が
僕の身辺警護をするのは、自由だ。ただし、いくつかの条件を守って欲しい。
1、僕に質問をしない。
2、今後の僕のスケジュールに変更はない。
3、東の別館には立ち入らない。
この三つだ。後は、何処で何をしようが、お好きなように。どうだい?簡単な条件だろ?」
スカリーとドゲットは顔を見合わせた。スカリーが承諾しようと眼を上げた時、リオが片手を上げた。
「何だい?リオ。」
「こいつら、何処に泊まるんだ。」
「あっと、そうだった。とりあえず二階の僕の部屋の隣二部屋を使って貰う。」
「ええっ?じゃ、俺の部屋の向かいじゃねえかよ。・・提案。」
「リオ。」
「ねえちゃんだけ残して、こいつには帰ってもらうってのはどう?ベンの警護なんて俺達だけで充分だぜ。」
「馬鹿な。」
それまで黙っていたドゲットが、横を向いたまま、吐き捨てた。するとそれを耳ざとく聞きつけ、勢いよく立ち上がった
リオは叫んだ。
「何だと?」
「リオ。止めるんだ。」
「冗談じゃないぜ、ベニー。俺はこいつに腕を折られるところだったんだぞ。こんな奴と一緒に仕事するなんて死んでも
御免だ!」
「直ぐに銃を振り回すような奴とは、こちらこそ願い下げだ。」
ドゲットがリオを睨みつけ、言い返した。すかさず、リオも応酬する。
「ラナに手を出してたじゃねえか。」
「事情があった。」
「女に手を出したのは事実だろうが。」
「先に手を出したのは僕じゃない。」
「はあ?何言ってんだ、こいつ。根も葉も無いこと言ってんじゃねえぜ。何で、ラナがお前に手を出すんだよ。ふざける
なよ。」
「原因は君だろう。」
「俺?馬鹿な事言ってるぜ。なんで俺なんだ。おい、ラナ。お前もなんか言えよ。・・・ラナ?」
リオは加勢を求めラナの返答を待ったが、いつまでたっても何も言わないラナの顔を覗き込めば、ばつの悪そうな顔
をして、眼を逸らす。リオは嫌な予感に眉を顰めラナの顔を覗き込んで、恐る恐る聞いた。
「おい、ちょっと待てよ。じゃ・・。」
「・・・ごめんなさい。リオ。彼の言うとおりよ。」
「言うとおりって・・。」
「間違えちゃったの。あなたと。」
「な、何だってえっ!なな、なんでお前が間違えんだよ!?俺とこいつの一体何処を間違えるってんだ!!」
「何処って・・・・、リオ。」
ラナは肩を竦めると、ねえ、とスカリーに同意を求めた。振られたスカリーは、苦虫を噛み潰したような顔でリオを睨み
つけているドゲットを気にしながら、曖昧に頷く。お互いを認めたくない二人には気の毒だが、ラナが間違えたのも、こ
うなってみれば無理からぬ話だ。スカリーは先の読めない展開に戸惑ったまま、ドゲットとリオを交互に見比べた。ド
ゲットは相変わらず座ったまま、むすっとした顔でリオから顔を背け、何を考えているのか黙っている。一方リオはと
言えば、信じられんとか、いけすかねえとか呟いては、部屋の中をうろうろと歩き回り、時折素早い視線をドゲットに
投げかけては、舌打ちを繰り返し、眼が合った途端八つ当たりのように突っかかった。対象は勿論、言わずと知れた
ドゲットだ。
「間抜け面して見てるんじゃねえよ。」
「君が僕にそれを言うのか?笑わせるな。」
「口の減らねえ野郎だぜ。ドリーのくせに。」
ドゲットが顔を顰めた。すかさずラナが尋ねる。
「何よ?ドリーって。」
「何だよ。知らねえのか。ちょっと前にあったじゃないかよ。世界で初めてクローンに成功した、牛だか豚だか・・。」
「羊。」
ドゲットが訂正すれば、リオは急に格好を崩し愛想良く頷いた。
「そうそう、羊さ。そいつの名前がドリーってんだ。きっとこいつも、ドリーみたいに何処かの科学者が、俺の細胞を盗
んで、シャーレから生やしたに決まってる。FBIならやりかねないぜ。」
ドゲットはうんざりした顔で溜息をつくと、肩を落とし片手で目頭を押さえた。ドゲットの気持ちが分からないではない
スカリーだったが、リオのお粗末な発想には、さすがに苦笑を禁じえない。ラナさえも横を向いて笑いを堪えている。
すると、さっきまでの緊張が解け、しらけた雰囲気が流れた。自分の一言でそうなったとは少しも気付かず、他からな
んのリアクションもないので、焦れたリオが全員の顔をきょろきょろと見比べた。
「何だよ。何か間違ってるか?」
「リオ。人間はシャーレから生えたりしないんだよ。」
リオの肩をポンと叩き隣に立ったキャロウェイの口調は、諭すような響きがあった。キャロウェイは暖かい眼差しで微
笑むとその場にいる全員に向けて言った。
「話は決まった。ラナ、リオ。君達は何時もどおり仕事に戻ってくれ。エージェント・スカリー。エージェント・ドゲット。荷
物を部屋に運んだら、家を案内するよ。」
「おい、ベン・・・。」
「これは、決定だ。リオ。夕食は7:00。遅れるなよ。」
それは、キャロウェイが初めて見せた、年長者らしい態度だった。さすがのリオもそれ以上反論出来ず、口を噤んだ。
キャロウェイは優雅な足取りで、応接室のドアに歩み寄ると、ドアを一杯に開け振り返った。その仕草は、さあ、次の
段階に進もうか、と言ったところだろう。それを見た三人は、申し合わせたように立ち上がり、お互い顔を見合わせ、
ぎこちなく微笑んだ。
「さて、決まったからには仲良くしましょう。よろしくね。私の事はラナと呼んで頂戴。」
二人は差し出された手を握りながら、それぞれ名乗った。するとラナはにっこりして提案した。
「悪いけど、あなた達流の呼び方は遠慮させてもらうわ。あなたはダナよね。ダナと呼んでも?」
「構わないわ。」
「良かった。ええっと、あなたはジョンと呼んでいいかしら。」
「勿論。」
すると、ラナは決まり悪そうに、視線を泳がせてから上目にドゲットを見た。
「それと、あのう、・・・・さっきはごめんなさい。私ったらてっきりあなたのこと・・。」
その言葉を聞いた途端、ドゲットは瞳をぐるりと回し、忌々しそうに息を吐いてさっさと部屋を出て行ってしまった。ラナ
は、あ、と言って追いすがろうとして止め、済まなそうな顔をしてスカリーを振り返った。
「怒ってるわ。彼。」
「ああ。単に荷物を取りに行っただけよ。気にしないで。」
「でも・・」
「あなたが間違えるのも、無理ないわ。彼も誤解だと分かっているの。今はちょっと整理が付かないんだと思うけど、
明日になればもう少しましな態度になってるはずよ。」
スカリーは大丈夫よ、と言い残してドゲットの後を追った。キャロウェイはスカリーに続こうとして振り返り、二人にウィ
ンクするとにんまり笑い、声を出さずに仕事しろよと口を動かし出て行った。後に残った二人は言葉も無く立ち尽くして
いたが、ぼそりとリオが呟いた。
「裏切り者。」
「何よ。」
「あんなに愛想良くしねえでもいいだろ。」
「しょうがないでしょ。間違えちゃったんだから。」
「それにしたって。」
「リオ。ベンが決めたのよ。従うしか無いわ。」
「そりゃそうだけどよ。だけど、何だって急に?この間までは断ってたじゃねえか。もしかしたら、あいつが来たから
か?」
「まさか。FBIが誰を寄こすかなんて、前もって分かるわけ無いじゃない。単なる偶然だわ。」
「そうかあ?あんなに俺にそっくりなんだぜ。うう。薄気味悪いぜ、全く。」
「向こうもそう思ってるわよ。」
「やっぱり、シャーレだな。」
「その話は止めて。馬鹿だと思われるわよ。」
「そうなのか?」
「そうよ。もしクローンの事を言うつもりなら、もう少し勉強してからにするのね。」
リオは肩を竦めると窓際へ移り、振り返って目を細めラナを見詰めた。
「話を戻すぜ。なあ、ラナ、ベンには何か考えでもあるのか?」
「・・・・クラークが殺されたわ。」
「何時?」
「二日前。新聞ぐらい読みなさいよ。元FBIカリフォルニア支局長、白昼交差点で刺殺される。凶器はアーミーナイフ。
目撃者なし。犯人は逃走中。」
「警察に捕まるような奴じゃない。」
「そうね。しかも、近づいている。」
「そういう事か。」
「ええ。」
「じゃ、お前が反対しなかったのは、ベンがパーティーの予定を変えないつもりだと分かったからなのか?」
「そうよ。パーティーを中止しないなら、加勢が多いほうがいいと思ったのよ。でも、それだけじゃ無いわ。」
ラナはリオの横に立つと、茜色の空を仰いだ。リオはその横顔を眩しそうに見詰め先を促せば、感慨深げな返事が返
ってきた。
「リオ。私、ベンがあんな風に笑うのを、久しぶりに見たわ。いいえ。少なくとも、出会ってからの3年間。ベンが私達
の前で、あんなに笑ったことあったかしら。確かにFBIをここに入れるのは、正直凄く嫌だわ。でも、ベンの様子を見た
でしょう?私には、ベンがこの状況を楽しんでいるようにしか見えなかったわ。それなら・・」
「分かった。」
ラナの言葉を遮り、リオはガラス戸を開け放ち、裏庭へと出た。リオ、と呼びかけるラナの方を振り返りもせずリオは
答えた。
「2対1じゃ分が悪いぜ。こうなったら、せいぜい上手くやるから安心しな。野郎はともかく、ダナとかいうねえちゃん
は、すこぶるつきのいい女だったじゃねえか。」
「暫くはそういう下品な物言いは止めるのね。それにダナに手を出したら、後が大変よ。」
あいよ、と片手を挙げて返答したリオは、木陰に止めてあったバイクに跨り、夕闇へと姿を消し、その姿を見送りラナ
は小さく溜息をついた。リオが二人。一人でも手に余るのに、もう一人現れるなんて。願わくば、もう一人がせめてま
しな性格でありますように。全てが無事に終わる事を、ラナは祈らずにはいられなかった。









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