【 真実はそこにある 】


 割り当てられた部屋のベッドは快適だった。しかし、スカリーは既に一時間以上寝返りを繰り返し、眠りにつけずに
いた。眼を閉じれば昼間の光景が、脳裏を過ぎる。スカリーは、がばっと飛び起きると、何かを振り払うように頭を振っ
た。気持ちを静めようとサイドテーブルのコップに水を注ぎ、一口啜る。ほっと溜息をついたスカリーは壁に凭れると、
コップを覗き込み、ゆらゆらと外の月明かりを反射する水を見詰め、この二日間の出来事を整理しようと試みていた。

 ベンの身辺警護は着いた翌日から本格的に開始された。前日ベンによって簡単に案内された屋敷内を、ドゲットと
二人でもう一度調査し直し、セキュリティの不安な箇所を確認し合った。倒産した企業のものだったリゾートホテルを
改装したという屋敷は、一階は食堂、調理室、バーカウンター、パーティールーム、応接室で構成され、ドーム状のガ
ラス屋根付き渡り廊下で屋内プールへと繋がっていた。二階は15の個室が廊下を挟んで並び、元ホテルだけあっ
て、すべてにカードキーが付き、オートロックで鍵がかかる。部屋を割り当てられた時カードキーを渡され、キーは常時
携帯し出入りは気をつけないと、後が大変だよ。と、ベンの注意を受けた。多分、ホテルの時には、スウィートルーム
だったであろう廊下の一番奥、3部屋からなる続き部屋がベンの私室だった。廊下の突き当たりのドア面の部屋が仕
事部屋。その両サイドの一方が寝室。反対側が居間になる。居間側の隣がリオの部屋だった。ドゲットはリオの向か
いの部屋を割り当てられたのだが、それを聞いた途端不快感も顕に変更を申し込んだものの、そうなるとスカリーが
リオの部屋の向かいになるとベンに指摘され、即座に撤回した。
 二人の部屋は続き部屋で、中から自由に行き来出来るようになっている。調べた結果ドゲットの部屋の方がいくら
か広い為、持ち込んだ二人のPCをコーヒーテーブルに設置した。ドゲットのPCをこの屋敷のセキュリティコンピュータ
ーと繋ぎ、常時防犯カメラの画像を画面表示に設定すれば、一階のセキュリティルームに行かずとも、屋敷内の異常
を監視出来るようになる。そう提案したのが、協力しないと言ったベン自らだったのは、些か意外だったが、三つの条
件さえ守れば何をしようと自由だという、その言葉に嘘は無さそうだった。
 その日は一日、ベンの日常を把握するのと、屋敷内の監視の確認に費やされた。ベンは一日の殆どを仕事部屋で
過ごし、唯一、早朝と夕方牧場まで散歩するのを日課としていた。二人は夕方の散歩の時、それに同行しようとした
ところ、やんわりと断られた。しかしそれでは警護が出来ないと、食い下がれば、裏庭に出たベンはおもむろに鋭い
指笛を空に向かって吹いた。すると、何処からか大型のドーベルマンが5頭現れ見知らぬ二人の姿に、白い牙をむき
出し低く唸り声を上げた。ベンは犬達を大人しくさせ、二人に、パム、キム、トム、サム、ガムだよと、名前を教えた。し
かし、スカリーには何処から見ても見分けなど付く筈も無く、隣で、可愛いですねなどと、当たり前の顔で調子を合わ
せるドゲットの言葉を、半ば呆れて聞いていた。そしてベンは、夕方の5時から朝6時まで放し飼いになってるから、
夜は外に出ないほうがいいと言い残し、犬達を従え散歩に行ってしまったのである。その後姿ははっきり、ついて来
るなと、物語っていた。
 そして今日はラナが敷地内を案内すると、食堂で朝食を取りながらベンに言われたのだった。外は野生の王国だか
ら、スーツと革靴は止めたほうがいいと言われ、二人は部屋に戻って着替え、応接室でラナを待つことにした。スカリ
ーはジーンズにスニーカー、春が近いとはいえまだ肌寒い為、モヘアの白いタートルネックのセーターを着込んで応
接室に赴けば、窓際に立つドゲットの姿が眼に入った。
 履き古したスニーカーに擦り切れたジーンズ、黒いトレーナーを着たラフな姿のドゲットはスカリーの眼に新鮮に映っ
た。何時もきっちりとスーツを着込み、ぴんと背筋を伸ばす凛とした佇まいの彼を見るのがスカリーは好きだった。し
かし、こうして普段着のドゲットも又、非常に魅力的だった。黒いトレーナーはドゲットの上半身の発達した筋肉を窺い
知るには充分だったし、細身のジーンズは腰の線を際立たせた。そしてそれらはスーツの時には、全く分からない野
性的な雰囲気を醸し出すのに、一役買っていた。
 スカリーがドゲットに声を掛けようと近づけば、、裏庭に通ずるガラス戸が開き、海老茶の革のジャケットに黒革のパ
ンツを履いたラナが入ってくるのが見えた。ドゲットはスカリーの気配に振り返り、ラナの存在に気付かなかったが、
次の行動では嫌でもラナを意識せざるを得ない状況に陥った。振り返り口を開きかけたドゲットに、駆け寄ったラナが
いきなり抱きついたのだ。そして、ラナは面食らい直立不動に固まったドゲットの顔を両手で挟むと、彼の唇に唇を押
し当てた。目の前で繰り広げられるホットな場面に、呆然とするスカリーと、同じ心境らしいドゲットの視線が絡み合っ
た。その途端、ばつが悪そうな顔で、ようやくラナから身体を引き剥がしたドゲットは、落ち着かない様子でラナを見下
ろした。するとそんな様子にはお構いなしのラナは頬を上気させ、ドゲットの首に手を廻したまま熱い視線を送りこう
言った。
「ありがとう!嬉しかったわ。もう見つからないと諦めていたのよ。あれは初めての誕生日プレゼントだったから、大切
にしてたの。」
ドゲットは何のことかわからず、口籠って救いを求めるようにスカリーを見た。が、スカリーの方を向いた途端、顔を強
張らせた。
「参るよな。誰に抱きついてんだ。」
「リオ!?」
その言葉する方を向いたラナは突然ぱっとドゲットの身体から離れて、叫んだ。いつの間にか現れたリオは、スカリー
の隣に並んで立つと、うんざりした表情を浮かべ二人を見詰めた。
「ラナ。お前、何度間違えたら気が済むんだよ。苦労してプールをさらったのは誰だと思ってやがるんだ。」
「嫌だ。私ったら・・。」
「いい加減見分けろよな。」
「そんなこと言ったって・・・。」
ラナは言い訳がましく口籠ると、二人を見比べた。確かに今日の二人の格好は似通っていた。ドゲットは何時ものス
ーツ姿でなく、一方リオも、濃紺のリブ編みのセーターにデザイナーズジーンズ、ブーツこそ違っているが、遠めには
二人の格好は殆ど変わらなく映るだろう。黙って並んでいたら、全く区別がつかない。それでなくとも、着いてから顔
を会わせる度に、どちらか確認する作業が、ラナや屋敷の使用人の間で、繰り広げられ、その行為は彼らの苛々を
募らせていた。
「いいさ。お前ら二人で仲良く何処かへ行っちまえよ。俺はその間、こっちの白兎ちゃんとよろしくやってっからよ。」
リオはにんまりと笑い、やおらスカリーの肩を抱き寄せた。しかし、次の瞬間、あいたたたと、身を捩りスカリーから身
体を離した。見れば、嫌悪感を顕にしたスカリーが、肩に置かれたリオの手を掴み、親指を手の甲に立てている。スカ
リーは、リオの身体が自分から完全に離れると、手を離し、つんとした仕草で、リオの触っていた箇所を、汚れでもつ
いたかのように払った。そして肩をそびやかすと、リオを無視し、二人の前を通り過ぎざま、冷たい口調で言い放っ
た。
「さ、行きましょう。敷地は広いんでしょ。急がないと日が暮れるわ。」
足音高く裏庭へと歩を進めるスカリーの後を追いかけるラナとドゲットの耳に、何が白兎よ、馬鹿にして、と呟く声が
聞こえた。ラナがドゲットを見上げ、恐る恐る囁いた。
「怒ってるわ。ダナ。」
「ああ・・いや。仕事が滞ってるから気が急いてるんだろう。気にすることはない。」
「でも・・。」
「彼女はこんなことなど、気に留めない。大丈夫だ。まあ、奴の言いぐさは問題だがね。」
「白兎?」
上目に問いかけるラナの視線を受け、ドゲットは黙って苦笑した。するとその声が聞こえたのか、牧場へと続く農道に
停めてあったジープの前まで来ていたスカリーが、くるりと踵を返し、厳しい表情のまま言った。
「誰が運転するの?」
「あ、私が。」
ジープに駆け寄りドアに手を掛けたところでラナはスカリーに向き直り、彼女の横に並んで立ったドゲットと交互に見
詰め、気まずい顔で、早口にまくし立てた。
「さっきのことだけど。私、何時もはあんな風じゃないのよ。ええっと、だから、あんまり親しくない人に、いきなり抱き
ついてキスなんてしたことないわ。ただ、失くしたと思っていた大事なピアスが、今朝戻っていて、すぐにリオが見つけ
てくれたと分かったのは良かったんだけど、嬉しくて舞い上がっちゃったにのね。だから、ジョンとリオを間違えてしま
ったの。本当にごめんなさい。二人とも吃驚したでしょう?」
「いいのよ、無理ないわ。」
ラナの率直さは好感が持てた。即座に微笑んだスカリーがそう答えれば、ラナもほっとした様子で二人に笑いかけ
る。するとドゲットも、ラナを気づかってか、砕けた調子で軽口を叩いた。
「奴と間違えられるのは心外だが、僕としては、今みたいな間違え方なら、何時でも大歓迎だな。」
「え?」
「ふむ。最初と比べたら、雲泥の差だ。」
「最初って・・。嫌だわ、忘れて頂戴。」
「あれは衝撃だったからな。ま、今回みたいのが毎回だったら・・。」
突然、があん、という音が響き渡りドゲットが肘を押さえた。何事かと見れば、スカリーがジープのドアを力任せに開
け、勢い余ってドゲットの腕にぶつけたのだ。痛いな、と肘を摩り顔を顰めるドゲットに、さっさと車に乗り込んだスカリ
ーは冷たい一瞥を投げ、しれっとした口調で言った。
「あら、ごめんなさい。ドアが固くて、ちょっと、力が入りすぎちゃったみたいね。」
「・・何だ?君、何か怒ってるのか?エージェント・スカリー?」
「私が?一体何に?変な事を言ってないで、早く乗ったらどうなの?エージェント・ドゲット。」
澄まして言うスカリーの顔を、訳が分からんといった表情でドゲットがスカリーの隣に乗り込めば、わざとらしくスカリー
はドゲットから離れ、座席の一番端まで移動した。じろりとドゲットの顔を横目に見るスカリーの声音は、マイナス10
0度だ。
「付いてるわよ。口紅。」
ドゲットはその言葉に慌てて身を乗り出し、バックミラーで自分の口元を確認すると、ラナの口紅がべったり唇につい
ている。ばつの悪さに居住まいを正しながら、ドゲットはハンカチを取り出し、唇を拭き、隣のスカリーを盗み見れば、
既に窓の外を眺めて知らん振りを決め込んでいる。不自然に間の空いた座り方をした二人に、妙な沈黙が流れた。
その様子を黙って眺めていたラナは、運転席に腰を下ろし、ははあとしたり顔で頷くと、笑いをかみ殺し車を発進させ
たのだった。


 舗装されていない農道を、素晴らしいスピードで飛ばし、ラナは敷地内の主要な箇所を案内した。最初に位置する
林に囲まれた東の別館は、降りることなく外観のみの案内に終わった。一見してこぎれいな別荘という造りの建物
で、どういう建物なのかという質問に、運転しながらラナは答えた。
「マリアが養育係と住んでいるのよ。あそこは、ベンの許可が無ければ私でも勝手に立ち入ることは出来ないの。」
「マリアって?」
「ああ、ベンの養女よ。」
「学校には行ってないの?」
「・・・・事情があって。マリアは最近まで話すことが出来なかったの。今も、ベンとしか話さないわ。」
「事情?」
「後で話すわ。」
ラナはほんの少し、表情を曇らせると、言葉を切った。その様子にスカリーとドゲットは、目配せすると頷きあい、口を
噤んだ。
 生い茂った木立を抜け、暫く行くと、今度は牧場が見えてきた。丸太の柵の中を、毛並みのよさそうなサラブレッド
が数頭、のんびりと草を食んでいる。その向こうに見える白い漆喰の建物は厩舎で、数名のツナギ姿の若者達が、
忙しそうに立ち働いているのが、遠目に見えた。競走馬を育てているというその牧場は、広大だったが手入れが行き
届き、そこかしこで馬を追う牧童や、飼葉を厩舎へ運ぶ若者の姿を眼にした。この牧場の管理は誰がと、その時まで
黙っていたドゲットが尋ねれば、バックミラー越しに見詰め返したラナが、くすりと笑った。
「誰だと思う?」
「さあな。僕らの知ってる人物なのか?」
「そうよ。」
二人は顔を見合わせた。少し間を置いて、スカリーが疑わしそうに呟いた。
「まさか、リオじゃないわよね。」
「あら、そのまさかよ。」
その意外さに驚きを隠せない二人を見て、ラナは愉快そうに説明した。
「ここを造った時、ベンがリオに言ったの。ここにいたいのなら、半年でカウボーイになって来い。後の半年で牧場経営
を覚えろ。それが出来なきゃ、出てゆけってね。その時私、幾らなんでも無理だって思ったわ。ベンは本気でリオを厄
介払いしようとしてるんだって。それは、そうよね。リオってあのとおりでしょ。人には言えない仕事だったら、右に出る
者がいないくらい精通してるけど、それ以外のことが出来るとはとても思えなかったのよ。するとも、しないとも言わ
ず、リオは姿を消したわ。そして、一年後。ここに現れた時には、ベンに言われたことをすっかり身に着けていたの。こ
れには正直驚いたわ。でも、ベンの満足そうな顔を見て、リオがそうすることを望んでいたんだと分かったの。あの二
人って不思議。彼らが親友だなんて、最初は信じられなかったけど、今じゃなんとなく理解出来るわ。説明するのは、
難しいけれど・・。」
ラナはそこで言葉を切ると、ふっと口元を綻ばせ、先を続けた。
「リオが戻ると、ベンは二人がかりで牧場経営に乗り出したの。ベンは主に経営を、リオは雇い人の教育を分担し、
二年で軌道に乗せたわ。そして今では、ベンは本業のコンサルタント業に専念し、牧場はリオとビリーが仕切ってい
るのよ。」
「ビリーって?」
スカリーが初めて聞く名に、興味を示せば、誇らしげなラナの声が返ってきた。
「私の弟。後で紹介するわね。凄くいい子なのよ。」
 それから、ジープは牧場を走りぬけ、レンガ造りの平屋の建物の前で止まった。ここが終点と、スカリーとドゲットを
案内し、ラナは建物の中に入った。広い廊下を挟んで個室が並ぶ。まるで学校の寄宿舎のような造りだ。二人を先導
しながらラナが説明した。
「ここは、使用人の宿舎なの。屋敷と牧場、男女合わせて25人が働いているんだけど、その全てがここで寝起きして
いるのよ。今は仕事中だから、出払って誰もいないようね。この奥が食堂になってるわ。一休みしましょう。」
 ラナはがらんとした食堂の窓際の席に二人を座らせると、勝手知ったるといった風情で、カウンターのコーヒーメーカ
ーからコーヒーを3人分入れ戻ってきた。二人にコーヒーを進め、自分も一口啜ると、椅子の背に凭れ、目の前に座る
ドゲットとスカリーをかわるがわる眺めにっこりと笑った。
「で?」
「で?って何が?」
「私に聞きたいことがあるんじゃない?」
「・・それは、勿論。でも・・。」
と、スカリーは口籠り隣のドゲットをさっと見た。ドゲットが後を引き取った。
「ベンは質問するなと・・。」
「ベンにはね。他の者になら、別に構わないわよ。」
「いいのか。後で揉めたりしないのか?」
「ベンが私のすることに、とやかく言ったことなんて一度もないわ。」
ラナは自信たっぷりに言い切ったが、言葉の終わりは寂しげだった。
「それに、困るのはあなた達かもしれないわよ。それでも、聞きたい?」
「勿論。」
即座にドゲットが答える。
「どの辺から?」
「全部だ。」
何時になく強く主張するドゲットをちらりと見たスカリーが、ラナに視線を移せば、あなたも?という顔をしたラナと眼が
合った。小さく頷くスカリーを認め、肩を竦めるとラナは語り始めた。
「長い話よ。全ては、グリーリィが考え、FBIと結託して始めた事だったの。私達は彼らに人生を狂わされた。1997
年。カリフォルニアで起こった事件が私とベンとの出会いだったわ・・・・。」
ラナの話は驚愕に満ちていた。ベンの忌まわしい生い立ち。ラナとビリーの悲しい過去と再会。事件によって引き起こ
された悲劇。淡々と話してはいるが、ラナやベンが舐めた辛酸は並大抵のものでは無かったと、容易に想像できた。
スカリーが時折はさむ疑問に、ラナは隠すところ無く答えた。ラナもやはり、ベンから全てを聞かされていたわけでは
なく、その答えにも限界があったが、サミュエル・グリーリィとFBIが、如何にしてベンを操作し、陰謀を画策していた
か、おおよその概要は理解することが出来たのである。
「結局のところ、ああやってベンを監視していたFBIの存在があったから、コルタサルで瀕死の状態だったビリーは九
死に一生を得たの。あと、数分救急車が到着するのが遅ければ、ビリーは死んでいたわ。それでもビリーの身体が
元に戻るのは、3ヶ月かかったわね。けれど、そうなると今度は退院間近のビリーと、どうやって生活していくかが、
最大の問題だったわ。ビリーの身体は治っても、心に受けた傷は、とても直ぐには・・・。専門家に任せたくても、すご
く稀なケースで、難しいとその病院の医者に言われたわ。お金と時間。専門医に治療する環境も整える必要があると
ね。でも、そんな施設は何処を探しても見つからなかったし、見つかったとしても、私にはお金が無かったのよ。私は
たった一人で途方に暮れていたわ。そこに手を差し伸べてくれたのが、ベンだったの。ビリーが入院している3ヵ月
間、ベンは行方不明だった。頼りたかった唯一の人間だったから、退院当日何事も無かったような顔で病院の玄関で
会った時は、もの凄く腹が立ったわ。迎えに来たとベンは言ったわ。そう言えば私、あんまり頭に来てたから、あの時
ベンのこと思いっきりひっぱたいちゃったわね。」
ラナがちょっと決まり悪そうに、ドゲットの顔を盗み見れば、ドゲットはスカリーと視線を交わし、俯いて苦笑している。
「そしてベンは何も言わず、行く当てのない私達をここへ連れてきた。ここは、かつてのビリーの仲間だった若者をケ
アし、社会生活に復帰できるようにとベンが造った施設なの。コルタサルで生き残った人間達全てに、受け入れ先が
あったわけじゃないのよ。誘拐された我が子が、殺人兵器となって帰ってくる。しかも、精神に重い障害を負ってい
る。仮に一時的に受け入れてくれても、殆どが長続きしないの。だからここで、時間をかけて療養し、普通に社会生
活が営める状態になってから、親元に帰すか、本人が望めば、外で生活が出来るように手助けをしているのよ。」
「治療は誰が?」
医者らしいスカリーの問いに、ラナは微笑んだ。
「ベンとジャニスよ。」
「ジャニス?」
「ええ。ジャニス・フランクリン。ベンの元同僚。ベンが言うところの本物の医者。彼女もあの事件をきっかけにFBIを辞
めたの。と、いうかベンが引き抜いたのね。今はマリアの養育係兼、彼らの精神療法士でもあるわ。」
「マリアって、確かベンの・・」
「そう。あの直ぐ後にベンが身元引受人になり、養女にしたの。勿論、未婚でFBIを辞めた直後の彼に、そんな資格が
あるとは到底思えなかったけれど、いろいろと裏工作をしたらしいわ。でも、その辺のことは詳しく聞いてないから、良
く知らないの。」
すると、それまで黙っていたドゲットが口を挟んだ。
「資金は?」
ラナは口を噤むと、上目にドゲットを見詰めた。
「母屋と別館は最初からあったものを買い取ったにしろ、この牧場は3年前に造ったんだろう?どこからそんな資金を
得たんだ?FBIの退職金がそんなにいいとは、聞いてないぞ。」
ラナは眉を顰めると、表情を曇らせ、視線を泳がせた。が、やがて深々と溜息をつくと言い難そうに呟いた。
「遺産が入ったの。」
「遺産?まさか、それは・・。」
「ええ。そのまさかよ。グリーリィの遺産。ベンは言いたがらないから、定かではないけれど、30億ドル以上はあるは
ずだと、以前リオが言ってるのを聞いたわ。不治の病に犯され、死期が近いことを悟ったグリーリィは、ベンを引き入
れ後を継がせようと、望んでいたの。だから、自分が死んだら、その巨万の富を残らずベンに譲るように遺言してい
た。最初、ベンはその権利を放棄しようと考えていたらしいわ。それを、リオに止められたそうよ。確かに汚れた金か
もしれないけれど、ベンが放棄すればそれはFBIに行くことになる。どちらが、有効に使うことが出来るか、よく考えろ
ってね。結局、ベンはグリーリィの犠牲者を放っておくことなど出来なかった。そこで全ての遺産を貰い受けることにし
たのよ。すると、今度はFBIがそれを阻止しようとしたわ。そこでベンはマスコミに真実を暴露すると脅したのよ。その
時カリフォルニア支局長だったクラークは、ベンの剣幕にたじたじだったとリオが言ってたわ。あの事件の情報を操作
して、武装したカルト集団の集団自決とマスコミに流したのは彼だったから。一旦は引き下がったクラークも、ベンがし
ようとしていることを知って、今度はそれを邪魔しようと画策し始めた。生き残ったグリーリィの犠牲者と、マリアの身
柄を拘束し、FBIの監視下に置こうとしたのよ。」
ラナは一旦言葉を切ると、コーヒーを啜った。
「FBIの主張は最もだったわ。ベン個人が彼らの身元引受人になることは、出来ない。ましてや表向きには、引き取り
手の無い事件の犠牲者を、FBIが面倒を見ると保障していることになるから、それに真っ向から意義を唱えても、通る
はずなど無いわ。それで・・・・・。」
ラナは唇を噛んだ。苛々した仕草で、髪をかき上げ、険しい眼をして宙を見詰めると悔しそうに言った。
「取引したのよ。」
「取引?」
スカリーとドゲットは顔を見合わせた。ベンが財産以外に一体何を取引出来るのだろう。嫌な予感がする。ドゲットが
先を促した。
「何と?」
「ベンは自分を差し出したの。」
「どういうことだ?」
ラナは肩を落とすと、椅子の背に凭れ虚ろな眼差しを向けた。
「FBIが何の為に、ずっとベンを監視していたと思う?ベンはグリーリィの後継者であると同時に、生きた実験データだ
ったのよ。全てはベンから始まっていた。分からない?ベンは私達とは違う。だからFBIは、グリーリィの財産がベンに
渡り、長年の研究資料とその成果が失われる事を何よりも恐れていたの。そこで、ベンは自分の身体の自由と、他
の人間の自由を引き換えたの。・・・・取引は成立したわ。おかげで、私達は誰にも干渉されず、平穏に暮らせる場所
を得ることが出来たのよ。」
ラナは、そう結んでにっこりと笑い、おもむろに立ち上がると、窓辺へと歩み寄った。暫く二人に背を向け、外を眺めて
いたラナは、振り返ると複雑な表情でいる、スカリー達をかわるがわる眺めた。二人は言葉を失っていた。この話が
事実だとしたら、諸悪の根源はFBIにある。事実関係を未確認のまま、弁解も非難も出来ず、かといって適当な慰め
の言葉も見当たらず、結局は当初ラナが言った通り、困るのは自分達の方になってしまった。二人の心中は容易に
見透かされていたのだろう。ラナは感慨深げに眼を伏せた。
「そんな顔をしなくてもいいのよ。私達は今とても幸せなの。私はね、私はいいの。ビリーが戻ってきた。でも、一番辛
いのは、ベンだわ。彼は、実の父親に実験材料にされ、母親を奪われ、秘密裏に監視されていた。そして全てを断ち
切る為に、ベンがしなければならなかったのは、父親をその手で撃ち殺すことだった。でも、結局それでは終わらなか
ったの。ベンがこれを始めた理由は、その首謀者が自分の父親だったから、彼らの悲劇の発端が自分にあると考え
ているからなのよ。」
「馬鹿な。不可抗力だ。」
「ええ。そうね。私達、何度もそう言ったわ。でも、ベンの考えは変わらない。ベンへの実験が成功しなければ、もっと
早くに気付いていれば、この悲劇は避けられた。止められたのはベンだけで、彼が迂闊にも見過ごしてきたことが招
いたんだと、信じているの。ベンは一生かけて、彼らに償うつもりよ。でも、それは一人ではとても背負いきれるもので
はないし、彼が背負わなければいけないものでは、無い筈だわ。・・・・2ヵ月に一回。ベンはFBIとの契約を果たしに、
5日間だけここを空ける。何処に行くかは、私達には教えない。でも、何時も別人のように憔悴し切って戻ってくるの。
それを見るのが、・・・凄く辛いわ。」
ラナは零れ落ちそうになる涙を堪え、唇を噛んだ。が、直ぐに気丈に顔を上げると、二人に向かって微笑んだ。
「だから、ベンが出した条件には、全て理由があったの。東の別館に住むマリアは、ベンとジャニス以外には強い拒
否反応があって、情緒が不安定だし、それはここで働く全ての子達に当て嵌まるの。規則正しい生活は、彼らの精
神を安定させるのに欠かせない。何が起ころうと、普段どおりの生活を貫くことが重要なのよ。」
「賢明だわ。じゃあ、彼への質問を封じたのは何故?何を聞かれてもいいと思っているのなら、本人が話したほうが
早いと思うけれど。」
「面倒だったのよ。」
あっけらかんとしたラナの返答に、スカリーは眼を瞬かせた。
「元々ベンは、あまり社交的なタイプじゃないの。私やリオにさえ、考えていることの半分も言ってくれないわ。最も、
リオがベンの分まで喋ってるから、その必要が無いと思ってるみたいね。」
それを聞いた二人はさもありなんと頷きあった。リオの放つ品の無い機関銃のような喋りは、既に二人を辟易させて
いた。ドゲットに到っては、最早お手上げ状態で、リオが現れると、磁石のS極とN極のように、一定の距離を保ち、そ
れ以上は決して近づかない。そしていよいよ我慢出来なくなれば、ふいっとその場から姿を消した。が、リオが下卑た
仕草でスカリーに言い寄ろうものなら、何処からともなく現れ、手の届く範囲で、無言のプレッシャーを掛ける。リオは
その度に、ドゲットへからかいの言葉を残し、何処かへ行ってしまう。そういう点では、この状況に余裕があるのは、ド
ゲットよりリオの方に軍配が上がっていた。ドゲットはリオの名前を聞いて、嫌そうに顔を顰めたが、ある事に思い当
たると、ラナに尋ねた。
「ベンが、FBIを嫌う理由は良く分かった。だが、何故急に僕らを?大体ベンは、誰に命を狙われてるんだ?」
「呆れた。本当に何も聞かされてないのね。そんなんで、よく仕事に入れるもんだわ。」
二人は顔を見合わせ、その目つきからからお互い同じ事を思っていると頷き合った。そこでドゲットが咳払いをする
と、言い難そうに、説明にならない言葉を並べたが、案の定、さっぱり分からないというラナの表情を作っただけだっ
た。
「僕らの所属する課は特殊でね。こんな、継子いじめは慣れっこなんだ。」
「ふぅん。・・・そっちも色々ありそうね。ま、いいわ。・・・ここってセキュリティシステムが、素晴らしいでしょう?どう?」
「ええ。そうね。ちょっと不自然なくらい。」
「そうだな。政府の要人並みだ。」
二人が着いた当初からの感想を述べると、ラナはゆっくり近づいてきて、疑問に答えるべく、姿勢を正し席に着いた。
「実は、こういった事は、これが初めてじゃないのよ。グリーリィはコルタサルに居を構えてから、誘拐した子供を感情
の無い兵士に変え、戦争の絶えない国や、内乱の起きそうな国へ武器として輸出し巨万の富を得ていた。それが、
グリーリィの死によって、突然供給が絶たれ、そのことで窮地に立たされた人間が、いないわけではないの。そういっ
た輩は、最初ベンを懐柔しようとしてきたわ。でも、ベンは二度と彼らに、人殺しをさせる気など無いから、撥ね付け
た。すると、今度はベンを脅迫し、強引に彼らを奪おうとしてきたのよ。そういう連中にここが襲撃されたのは、一度や
二度じゃないわ。確かに万全のセキュリティシステムがあっても、私達だけでここにいる全ての人間を守るには限界
があるわ。FBIは恩を売ろうという下心丸見えで、おざなりな協力しかしようとしないし、下手に借りを作っても後が面
倒だわ。だからベンは、残されたグリーリィの顧客リストを照らし合わせ、お金で解決できるところは、そうしてきた
の。そういった交渉に役立ったのが、リオなのよ。どうするのかは知らないけれど、リオが行けばお金を渡しただけ
で、後腐れなくすっぱりと関係を断ち切れるの。」
リオの交渉の仕方に、大方の予想がつくドゲットは、天真爛漫なラナの口調に俯いて苦笑した。ラナは二人が、当惑
気味に笑みを交わすのを見て、妙な顔をしたが、肩を竦めて先を続けた。
「ベンとリオで、二人の言う後始末全てを終わらせたのが、一年ほど前。これで私達を煩わせるものは、無くなったと
思っていたのに、どうやら違っていたようね。三ヶ月前から、ベンもFBIも何が始まったか、把握していたわ。・・あいつ
は、死んだはずだったのに。」
「誰の事を言ってるんだ?」
「・・・グリーリィには子飼いの武闘家がいたの。虫でも殺すように人を殺す男よ。アジア系の武術の達人でグリーリィ
は彼に心酔していた。グリーリィが死ぬ直前には、兵士達を支配し統率していたのは、彼だといってもいいくらいだっ
たわ。でもあの時、ベンは彼を殺したはずだったのよ。」
「死体は確認されて無かったぜ。」
全員が声のする方を、振り返った。視線の先には、食堂の入り口から、こちらに向かって歩み寄るリオと、ツナギ姿の
黒髪の若者の姿があった。眼を見張り、こわごわリオとドゲットを見比べる若者を見た途端、ラナはぱっと顔を輝かせ
立ち上がった。
「ビリー!」
素早く駆け寄ったラナは、ビリーを引っ張ってきて、二人に紹介した。
「ビリー。こちらは、ダナ・スカリー。彼はジョン・ドゲット。二人ともベンを守るために、来てくれたのよ。」
スカリーとドゲットが立ち上がり微笑みながら手を差し出せば、ビリーは躊躇いがちにその手を握り返し、恥ずかしそ
うに微笑み返した。
「こ、こんにちわ。ビリー・クロスです。」
そして、ビリーはラナの腕を掴み、こそこそと何事かを耳打ちした。するとそれを聞いたラナは、満面に笑みを浮かべ
ビリーを見詰め、自分で聞きなさいと、この上なく優しい声で促した。ビリーは暫くもじもじしてたが、ラナに再三催促さ
れ、ようやく決心して、ドゲットに向かい、蚊の鳴くような声で聞いた。
「リオのお兄さん?」
スカリーはもう少しで、吹き出すところだった。慌てて口元を手で隠し、顔を背けるスカリーを、歯を食いしばったドゲッ
トがじろりと睨みつける。その様子に、何かとんでもない間違いをしでかしたのではと、おどおどとビリーが二人を見比
べたので、それに気付いたドゲットが、表情を和らげた。ドゲットの眼差しの優しさにいち早く反応したビリーが、恐る
恐る尋ねる。
「ぼ、僕、何か失敗した?」
「いや。違うよ。失敗などしていない。」
「そう。良かった。」
ほっとしてラナと顔を見合わせるビリーにドゲットが、真面目な顔で言い足した。
「だけど、僕はリオのお兄さんでは、無い。」
「お、弟?」
「弟でも無いんだ。」
「・・従兄弟なの?」
「うう・・・違う。他人だ。」
「え?でも、そっくり・・。」
「そっくりでも、だ。」
「本当に?」
「本当さ。」
このやりとりを、些か驚いたように見ていたラナが、こっそりスカリーに耳打ちした。
「信じられない。ビリーが初めての人と、こんなに話すなんて。」
「リオと似ているから、そうは思えないんじゃないかしら。」
「リオとだって、あんなに会話が長続きしないのよ。それに、ビリーの顔。まるで、ベンと話してるみたいに、打ち解け
てて自然だわ。素敵。ああ、ダナ。ジョンって本当に素晴らしいわ。」
そう興奮気味に言うと、頬を高潮させ、きらきらと瞳を輝かせたラナは、同意を求めるように、スカリーの顔を覗き込ん
だ。スカリーが返事に窮し、ええ、そうね、と曖昧に頷けば、ラナは輝くような笑みを浮かべ、うっとりとドゲットを見詰
める。そんなラナを見るのが、スカリーは何故か、不快だった。その不快感がどこからくるのか当惑し、居たたまれな
さに顔を背けようとしたとき、まるで、今のスカリーの心を見透かすような、不機嫌なリオの声が頭上で聞こえた。
「おい、ラナ。こんな所で油売ってる場合か?午後から仕事だろう?」
「ああっ!そうだったわ。大変、今何時?」
「11時半だ。」
「ベンは?」
「資料の説明をするから、早く戻って来いとさ。」
「もう、早く言ってよ。」
ラナは、リオの胸を手の甲で軽く叩いて、延々と同じような問答を続けているドゲット達に割って入った。仕事がある
から戻るわ、と焦るラナに圧倒され、全員がその場を離れた。リオは牧場に残り、ラナ、スカリー、ドゲット、ビリーは、
ラナの運転するジープで屋敷へと戻った。途中ラナに、屋敷の反対側にあるヘリポートは、後で私達が発つ時、案内
すると言われ、このツアーは幕を閉じたのだった。

 そして、一時間後。二人の前に、真っ赤なスーツを纏ったラナが現れ、ヘリポートへと誘った。正面玄関の西側の道
を少し上った駐車場の脇にあるヘリポートで、アタッシュケースを持ったベンと、操縦席に座るスーツ姿のビリーが待
っていた。ラナが、ベンに歩み寄れば、ベンは少し下がって繁々とラナの姿を眺め、満足げに微笑んだ。胸の谷間に
深く切り込んだスーツの上着と、フロントスリットのミニスカートは、ラナの完璧な身体の曲線を露にし、髪と眼の色を
引き立たせた。ベンから数歩手前まで来たラナは、両手を腰にやりモデルのようにポーズをつけて立ち止まった。す
らりと伸びた長い足と、豊満な身体。輝くような美貌はグラビアから抜け出たように美しかった。
「どう?」
「完璧。」
「ふふん。これで企業の重役達は、全員私にひれ伏すわ。」
「いいぞ。」
「ベン。又、あなたは大金持ちになってしまうわね。」
「美しく優秀な副社長兼営業部長のおかげさ。さあ、こいつを持って。楽しんでくるといい。」
ベンがそう言ってアタッシュケースを渡せば、受け取ったラナは、ベンの頬にキスをし足早にヘリに乗り込んだ。プロ
ペラの巻き起こす風圧によろめきながら、飛び去るヘリを見送り、三人は屋敷へと戻った。先頭を歩くベンに追いつ
き、スカリーが何かを問いかけようとすれば、たしなめるような顔でベンは人指し指を出し、顔の前で左右に振った。
僕に質問するな。それは、筆頭の条件だった。すると、スカリーの横に並んだドゲットが、まるで彼女の心を先読みす
るが如く言った。
「ラナは、商談でロスに行ったんだ。」
「商談?」
「ベンの本業さ。外回りは全てラナが任されてるそうだ。クライアントの中には、ベンの顔さえ知らない連中がいるらし
いが、あれじゃ、無理も無いな。」
再び、何かがスカリーの癇に障った。一体何時の間にそんな会話をラナと交わしていたのだろう。自分の知らないこ
とを、ドゲットが知っているのが気に入らない。相手がラナだというのが、更に気に食わない。自然と強張った口調に
なるのを、止められない。
「どういう意味?」
「そりゃ、ラナみたいな女性が、身体のラインがばっちり出る服で立っていたら、後はどうでも良くなってしまうだろう。」
「ああ、そう!それでセキュリティが云々なんて、よく言えるもんだわ。」
「はは。男なんて大方そんなもんだ。」
「あなたもね。」
「僕?」
突然自分に振られ、ドゲットが面食らってスカリーを見下ろせば、スカリーはちらりと冷たい一瞥を投げ、先に戻るわ
と、ベンを追い越し屋敷に入り、大きな音を立ててドアを閉めた。眼を瞬かせ呆然とそれを見送ったドゲットを、ベンが
にやにやしながら振り返り言った。
「怒らせたぞ。」
「え?ああ・・・いや。」
ドゲットは苦笑いを浮かべ、、参ったな、と呟き頭を振って首の後ろを擦った。ベンは、楽しくて仕方ないといった風情
で、くすくす笑うとドゲットに歩み寄り、親しげに肩を叩いた。
「君も中々大変そうだね。」
「いや、彼女は優秀な捜査官ですよ。パートナーとして申し分ない。」
「違うよ。問題なのは君さ。」
「僕が?」
怪訝そうに聞き返すドゲットを、上から下まで品定めするように眺めたベンは、当惑するドゲットに嘘も謙遜も無いと確
信し、半ば呆れ半ば面白そうに、謎のような言葉を投げ掛けた。
「君、自分の事が全然分かってないな。」
何のことかさっぱり分からず、ドゲットは眉間に皺を寄せ、ベンの顔を訝しげに見れば、まあ、いいさと、呟きベンは屋
敷に首を傾げ、中に入るように促した。ドゲットは言われるままにベンと肩を並べ、屋敷に戻りながら、愉快そうに口
元を綻ばせているベンを盗み見て、心の中で呟いた。喰えない男だ。しかし、彼女は何を怒っているんだ?分から
ん。ドゲットは、溜息を付くと首を振った。早く仕事を終わらせ、一刻も早く帰りたかった。前触れ無く不機嫌になるスカ
リー。直情的な行為で人を振り回すラナ。命の危険があるというのに緊張感皆無で食わせ者のベン。そしてあの、口
にするのも忌まわしい悪夢のようなリオ。ドゲットにとっての、最大級のXファイルが、今開かれようとしていた。


 スカリーは立ち上がると、窓辺へと赴いた。外は冴え冴えとした満月に照らされ、青い影を濃く浮き上がらせてい
る。月があまりに煌々と照らす為、深夜だというのに、灯り等必要がないくらい視界がはっきりとしている。こんな風に
自分の心もすっきりすれば良いと、スカリーは願った。
 ここに来てから、調子が狂いっぱなしだった。感情がコントロール出来ず、訳も分からず不機嫌になってしまう。今日
の昼間の出来事が何故こうも、自分の心を掻き乱すのか、スカリーは考えを巡らせた。
 ラナ自身は嫌いなタイプの人間では無い。正直で、素直な性格だ。加えて弟への深い愛情は、スカリーの感動を誘
った。非常に女性らしい容貌だが、さっぱりした雰囲気で健康的な色気がある。はきはきした物言いは、頭の良さが
窺い知れたし、些か感情的になると早合点しがちなところも、可愛げがあって好印象を与えた。
 それなのに、何故、ラナとドゲットの三人でいると息苦しいような、居たたまれないような気持ちになってしまうのだ
ろう。スカリーは心の奥を探り、この不可解な感情に、なんとか決着をつけようと必死だった。ドゲットがこんな自分に
気付かない内に、何時もの自分に戻る必要があった。
 曖昧、あやふや、答えの出ない疑問。そういったものをそのままにしておく事は、科学者であるスカリーには耐えら
れない現実だった。彼女の基本的生活方針は、全てをコントロールすることにある。物事の筋道を立て、流れを把握
し、疑問や、謎を残さない。長年のXファイル勤務は、その性格に更に拍車をかけていた。
 スカリーは窓の外を眺め、暫くもの思いに耽っていたが、ふとあることに気付き、ほくそえんだ。そうだわ。こんなこと
は、パートナーの間では、よくある話なのよ。特に通常の業務から離れた場所で特殊な場合、お互いが頼りのパート
ナーは、相手を自分に縛りつけようとしてしまう。私のように複数の同僚と仕事をしたことの無いタイプは、余計にその
傾向が強くなるようね。ドゲットがすんなり周りに溶け込んでゆくのが、私だけ置いていかれるようで、気に入らなかっ
たんだわ。
 スカリーはそう思い当たると、満足げに微笑み、続いていたずらな眼をして肩を竦めた。彼には悪いことをしたわね。
でも私って、結構独占欲が強かったんだわ。明日からは気をつけなくては。
 スカリーは打って変わって、気分が良くなった。そうだ。こうやって心を落ち着けて考えれば、必ず何でもコントロー
ル出来る。とっちらかった状態から、整理の付いた頭でいるのは、なんと心地よいことか。
 うーん、と伸びをして、深呼吸する。煩わされるものが無くなった今、ベットに入れば直ぐにでも眠れそうだった。スカ
リーが踵を返し、ベットへと入ろうとした時、きーっ、という幽かな音と、続いて、どさっと、何かが地面に着地するよう
な音が近くで聞こえた。慌てて窓から外を窺えば、芝生を横切り東側の林へと分け入る、ドゲットの後姿が見えた。
 何かあったのだろうか。窓を開けてベランダから身を乗り出せば、ベンの部屋のガラス扉が開いたままだ。ベンの部
屋のバルコニーにはすべて階段が付き、庭に降りられるようになっている。しかし、それ以外の部屋は、小さなベラン
ダがあるのみだ。この状況から判断すると、何らかの理由で庭に出たベンの後を、ドゲットが追っているのだろう。ス
カリーは遅れを取ったと慌て、サイドテーブルから銃を掴み、手近なところにある、もこもこしたカーディガンを羽織り再
びベランダへ出ると、下を覗き込んで舌打ちした。この高さを、ドゲットは飛び降りたの?直ぐに引き返し、廊下へと飛
び出した。急がないと、見失ってしまう。銃を使うような事態にならなければいいと、スカリーは願わずにはいられなか
った。





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