【エピローグ】

 スカリーはモルダ−のネームプレートに触りながら、今日こそはドゲットとちゃんと話しをしようと決意を固め、彼が出
勤するのを待ち構えていた。先週、ドゲットの家で別れてから1週間が経過していた。その間ドゲットは毎日病院通い
をかかさず、スカリーはその間のドゲットの仕事をカバーするのに忙しく、僅かな時間顔を合わせても殆ど会話らしい
会話などしていなかった。この1週間ドゲットの態度は以前と全く変わらず、スカリーが話しかけなければいつまでも
黙って自分の仕事に没頭していた。
 一方スカリーはと言えば、1週間前ドゲットの家で、別れ際彼女に示したドゲットの言動がずっと心から離れなかっ
た。僕は君達に助けられた。なのに彼を救えなかった。そう言ったドゲットの表情をスカリーは忘れる事が出来ない。
アイダホにいる間スカリーは、大きな誤解の元でドゲットに接していた。そしてそれが間違いではないかと思い直した
のが先週の事だ。1週間前、思わぬ事態からドゲットを看病する事になり、その時初めてドゲットという人間について
じっくり考察する時間が出来たのだった。先入観を取り払いアイダホのケースを思い返せば返すほど、自分がどれほ
どドゲットの存在をなおざりに考えていたか思い知らされた。
 何がそうさせたのか。スカリーは今自分が触れているモルダ−のネームプレートに眼を落した。全ての原因はここ
にあるのだ。モルダ−の失踪はスカリーにとって最大級の痛手だった。しかも、未だ何の決着もつかずにいる。この
痛手と、もって行き場の無い宙ぶらりんな感情をコントロールするのは、至難の技だった。いかな冷静なスカリーでも
混乱する。そこへ持ってきて最悪の対面をしたドゲットの赴任。動揺し混乱したスカリーは、それを悟られまいと常に
構え全てを疑い、この状態に陥った全ての不満を、ドゲットに向って吐き出していたのだ。
 捜査に個人的感情を持ちこまない。勿論それは鉄則。しかし、モルダ−を肯定しようと気負うあまり、常にドゲットと
モルダ−を比較しドゲットの言動を批判的にしか判断しようとしなかった。不満。批判。怒り。スカリーはこの三つの感
情に囚われて、多くを見落していた事に気づいた。そしてそれを気づかせてくれたのが、他ならぬドゲットだったのだ。
 僕は君達に助けられた。ドゲットのその言葉にスカリーは打ちのめされた。何故そんな風に思えるのだろう。私があ
の時一体ドゲットの為に何をしたというのだろうか。助けられたというなら、それはむしろじぶんの方ではないか。スカ
リーは目を閉じた。思い出しても身震いが起こるあの夜。
 スカリーを呼ぶ声に振り返ると、扉付近の暗がりからドゲットが現れた。その酷い有様に息を呑んだ途端、突然ドゲ
ットに床に引き倒されたのだった。次の瞬間恐ろしい獣の咆哮が背後から聞こえ、スカリーの頭上を黒い物体が掠め
た。あっと思った時にはドゲットが彼女の隣で銃を発射していた。ドゲットは素晴らしい反射神経で10弾撃ち尽すと、
傷ついた身体を捩り、スカリーの安全を確かめる為、身体を起こそうとした。その様子に我に返ったスカリーが慌てて
手を差し伸べると、無理やり立ち上がり尋ねたのだ。君は大丈夫かと。
 君は大丈夫か。危うく聞き流してしまうところだったこの一言は、ドゲットがどんな状態で彼女の元に戻り、何を思い
彼女に言ったかを知った今となっては、スカリーにとってかけがえの無い重さを持つ言葉になった。何故聞き流そうと
したのだろう。あの時、素早くドゲットを医者として診る事で、スカリーは自分からもドゲットからも、心に受けた衝撃を
隠した。自分の感情に振りまわされ、ドゲットが立っている事さえ困難な状態でスカリーの元に戻り、彼女を庇い命を
救ったという事実を、おろそかに扱おうとしていたのだ。加えてアイダホにいる間のドゲットに対する自分の態度。スカ
リーは深いため息をついた。
 ドゲットがドアまで来た足音と、スカリーがその音を聞きつけて振りかえったのは、ほぼ同時だった。ドゲットはスカ
リーにマイロンの消息がわかった事を告げ、不安そうに蝙蝠男への脅威を尋ねるスカリーに、諭す様に答えた。
「弾が命中したと思うね。君も僕も射撃は一流だ。」
穏やかなドゲットの眼を見詰め返す内、不思議とそれが気休めでは無いと思えてくる。そう、ドゲットはいつも事実し
か言わない。彼がそう言うのならきっとそうなんだろう。スカリーは知らずに小さく頷いている自分に戸惑った。それを
感じ取ってかドゲットは、自分の報告書が上で取り沙汰されてるなどと話題を変えた。スカリーは適当に返事をしなが
ら、言葉を探していた。まずはこのケースに入る前、ドゲットと交わしたデスクの話を持ち出すと、ドゲットは滲むような
笑顔で簡潔に分かったと答えた。しかしすぐにその笑顔を消したのは、彼女がどんな思いでそれを言ったか、明確に
理解している証拠だ。スカリーはドゲットがすっと真顔になるのを認め、今しかないと決意し、些か口篭もりながら礼を
言った。
「今回のことだけど、・・・感謝してるわ。」
「礼など必要無い。お互い様だ。」
ドゲットはスカリー見詰め、至極当り前の口調でそう言うと、言葉の余韻を残したままその場を離れキャビネットに向っ
た。スカリーはドゲットの言葉を心で反復させながら、躊躇いがちにモルダ−のネームプレートを引き出しにしまった。
視線を感じ眼を上げると、ドゲットがキャビネットの前から、気遣わしげな面持ちでスカリーを見守っている。自分は今
どんな顔をしていたのだろう。スカリーは平静を装い、もう一つ言おうしていた事があったのを思い出した。
「それと、あなたに謝らなければ。」
ドゲットは向き直ると怪訝そうな顔をして、首を傾げた。スカリーは言葉を続けた。
「アイダホにいる間、あなたに対して酷い態度だったわ。」
するとドゲットは複雑な表情をして、頷くとも頷かないとも取れる動作をした。そんなドゲットの様子を訝しく感じながら
も、とにかくいうべき事は言ったわ。と、スカリーは今朝から決意していた事を終わらせた安堵感に、ほっと一息いれ
椅子に腰掛けた。
 ふと気が付けば、デスクに散乱している郵便物の山を整理し始めたスカリーの前に、ドゲットが立っている。ポケット
に手を突っ込み、何かを考え込んでいるように俯いたドゲットを、スカリーはデスクごしに見上げた。するとドゲットは、
言おうか止め様か暫し迷っている素振りを見せたが、スカリーがほんの少し柔らかな表情で促す様に顔を上げたのを
認め、決心したようだった。
「エージェント・スカリー。・・・・その、何と言うか、ごく親しい関係の人に辛い出来事があったりすると、人は誰でも不
機嫌になる。自分だけが良い思いをする事は出来ないという想いに囚われる。その結果、自分を明るいところから遠
ざけ様としてしまう。その人間とどれだけ親密であったかによって、そいつはより強くなる。安穏なところにいる自分が
許せず、罪悪感から自分にペナルティを架してしまうんだ。・・・それは、人間らしい感情で、本人にはどうしようもな
い。」
突然ドゲットは言葉を切った。ああ、遠くへ行ってしまう。スカリーはたった今、ドゲットがケビンの話を聞いていた時
と、同じ現象に陥ったと感じていた。話を止めるまで、スカリーを見詰めるドゲットの眼は暖かく、口調は柔らかかっ
た。そして驚くべきは、スカリー本人ですら明確に意識せずにいた事を、ドゲットが理解していた事だった。でも、何
故。何故ドゲットはまだ組んで間も無い自分の心情を、こうも的確に把握出来たのだろう。一体何時から。その疑問
がスカリーの瞳を過ったのをドゲットは見逃さなかった。唐突に口を噤んだドゲットは、スカリーの視線を避ける様に顔
を背け、気まずそうに鼻の横を擦ると、その場を取り繕う様に、今とは打って変わったおどけた口調で付け足した。
「・・だから、僕の下手なジョークに付き合って無理して笑う必要はないし、八つ当りした事を謝らなくてもいいんだ。」
「・・・八つ当りなんて・・。」
していないわ。という言葉はドゲットの瞳にからかうような色が浮かんでいるのを見て、慌てて飲みこんだ。そう、端的
に言えば八つ当りともとれる。
「何だい?」
「何でも無いわ。」
スカリーが澄まして答えると、ドゲットはにやりとして頷きデスクを離れた。コーヒーを買ってくるよと告げ、オフィスを出
て行こうするドゲットを、スカリーは既のところで呼び止めた。ドゲットが振り返ると、デスクからスカリーが封筒を1通
持って近づいてきた。
「これ、今朝届いたの。あなた宛よ。」
ドゲットは受け取ると、差出し人の名を読み、おやっと言う顔をしてスカリーを見た。なんだろう、と呟きながら封を開け
中に入っていた便箋を広げれば、はらりと小さな紙片が落ちた。拾おうとするドゲットを制し、スカリーが拾い上げる間
ドゲットは手紙に眼を通していた。スカリーは拾った紙片を表裏まじまじと見詰め、口元を綻ばせると、ドゲットが手紙
を読み終えるのを待った。やがて尋ねたスカリーの口調は優しかった。
「保安官補は何て?」
「うん。後始末の報告と、マイロン・ステファニャクの消息を尋ねてきてる。それから・・。」
ドゲットは躊躇う様に口篭もった。スカリーが何なの、と先を促すと手紙に書いてあった事を話し始めた。
「僕が提案した事で、ちょっとした展開があったらしい。」
「提案した事?ちょっとした展開って?」
「ああ。・・・ケビンを覚えているかい?」
「ええ。新聞配達の子ね。」
「君は知らないと思うけど、彼は保安官補の息子だったんだ。」
「・・・そう、知らなかったわ。」
勿論、嘘である。ドゲットはスカリーがあの時鑑札医務室にいて、彼らの会話を聞いていた事など知らない。ドゲット
は先を続けた。
「あの時僕はケビンに頼まれて、ライサンダ−の屋敷からケビン達の野球チームのボールを持ってきたんだ。ライサン
ダ−の屋敷の裏の空き地は、彼らのチームの練習場で、ボールがライサンダ−の屋敷に飛び込んでもずっと取りに
行けず泣き寝入りしてたらしい。で、僕がライサンダ−にそれを伝えると、あの紙袋を持ってきた。ライサンダ−は訪
ねて来たら返そうと全部まとめていたらしい。ケビンがどうして僕に託したか理由を説明すると、ライサンダ−はこう答
えた。犬達が最近些か乱暴なのは、足の弱ってきた自分があまり散歩に連れ出せなくなり、運動不足のせいだ、と
ね。で、僕はケビンにちょっとした提案をしてみたんだ。」
「どんな?」
「うん。ライサンダ−は犬達に運動させたがっている。ケビン達はボールを安全に回収したいと願ってる。」
「・・話が読めてきたわ。ライサンダ−の犬達の散歩をケビン達にさせようと言うのね。」
「当り。最初は行き難いから、父親にでも付き添って行ってもらえばいいとメモに書いて、ケビンに渡すよう頼んだ保
安官補が、その父親だったってわけさ。保安官補は僕達が帰った翌日にライサンダ−を訪ねたそうだ。」
「上手くいったのね。」
ドゲットの結論を待たず、スカリーがすかさず後を引き継いで言うと、ドゲットは不思議そうな表情でスカリーの顔を眺
めた。スカリーは先ほど拾上げた紙片を差出しながら言った。
「これを見れば分かるわ。」
ドゲットは怪訝そうな面持ちで受け取り、紙片に眼を落すと、ほんの一瞬はっと息を呑み、続いてとっくりと見入った。
 少年と犬。それは、一枚の写真だった。野球のユニフォームを着たケビンが満面に笑みを浮かべ、大きな犬の首を
抱きしめている。犬は誇らしげに身体を起こし、上目にカメラを見上げている。しかしこの困ったような表情を浮べた水
色の眼をした犬が、ケビンにとってどれほど脅威だったかなど、この写真からはとても窺い知る事は出来ない。それ
ほど彼らは親密そうに写っている。
 ドゲットは俯いて写真を見詰めていた。暫く感情を映さない眼をして眺めていたが、ケビンの姿を親指でなぞり放心
した様に宙を見た。そして小さく息をつくと、ふっと口元を綻ばせたのだ。続いて何気なく写真を裏返し見ると、更に微
笑を顔一杯に広がらせた。
 そこには、お世辞にも上手いとは言い難い筆跡で、こう書かれていた。
『僕の親友。僕のパートナーもクールでカッコイイでしょ。ケビン』
「ケビンのメッセージね。」
スカリーの声にはっとしたドゲットは、慌てて小さく頷き、まるでとんでもないところを見られたと言う風情で、早口に言
った。
「うん。どうやら良い方に転んだようだ。先週ケビンはずっとライサンダ−の屋敷に入り浸りだったらしい・・・。読むか
い?」
「あなた宛よ。いいの?」
「勿論。・・さて僕はコーヒーを買いに行くけど、君は?よければ買って来るが。」
「・・ええ。お願いするわ。カフェイン抜き。ミルクだけ入れて。」
「了解。」
そう言ってドゲットは、オフィスを出ようとドアノブに手をかけた。が、急に思い出した様に振り返ると、便箋を広げてい
たスカリーに声をかけた。
「一つ分からないんだが・・。」
「何かしら。」
「ケビンのメッセージさ。『僕のパートナーも』とあるが、この『も』ってどういう意味なんだろう。」
「・・・さあ。子供のする事ですもの。」
そう言ってスカリーは肩を竦めた。ドゲットは妙な顔をしてスカリーを見たが、まあ、いいさと呟き、オフィスを出ていっ
た。 
 スカリーは保安官補の手紙を読む間、自然と頬が緩んでくるのを止める事が出来なかった。ドゲットがそそくさと出
ていった訳だわ。保安官補の手紙には確かにドゲットが言った事が、事細かく書かれていた。しかしその他に、ケビ
ンがドゲットの事を、何と言って父親に話したかという、おまけもついていたのだ。あの表現豊かなケビンの言った事
を、保安官補は一語も漏らさず伝えていた。ケビンが興奮して話す様が眼に浮かんでくる。これを目の前で読まれた
ら、ドゲットは堪らないだろう。
 スカリーは繰り返し2回程読んでから、封筒に手紙をしまいデスクに置いた。そして手に持っていたケビンとプリンス
の写真を、スタンドの脇に立てかけ、一歩下がって腕組みをするとじっくりと写真を眺めた。予期せずスカリーは微笑
みながら写真のケビンに話しかけていた。
「全く、ケビンたら。しょうのない子ね。」
写真の裏に書かれたメッセージは、紛れも無くスカリーに宛てたメッセージだった。ケビンはあの時の会話を覚えてい
たのだ。自分がドゲットとプリンスをダブらせた様に、きっとケビンもそうだったに違いない。そこで、あの時の会話を思
い出したのだろう。それをドゲット宛ての手紙の中に入れる写真の裏に書いてしまうのが子供なのだ。スカリーは、ケ
ビンの得意そうな笑い声が聞こえてくるような写真を見詰め、心の中で呟いた。
 そうね、ケビン。プリンスがあなたのパートナーであるように、ドゲットは私のパートナーなんだわ。私はいい加減こ
の現実を認めなくてはいけない。ケビンも私もお互いのパートナーを誤解していた。でも、ケビンは僅か1週間で親友
になった。それに比べ私は・・。
「・・・いい写真だ。」
すぐ脇でドゲットの低くソフトな声がした。スカリーは眼を伏せると、頷いた。
「ええ、本当に。」
猫のように密やかに現れ、犬のように忠実な眼をして背後を守り、優雅な捕食動物のように、期せずして近寄れば、
するりと離れしまうこの男に、慣れるべき時期だとスカリーは感じた。スカリーは隣でコーヒーカップを二つ持ち、写真
を眺めているドゲットを振り仰いだ。ドゲットはこうして何時も、晴れ渡った空のような眼をして静かに待つ。スカリーが
話しかけるのを、説明するのを、行動に移すのを。そして恐らく、準備が出来たと告げるのを。
 初めまして、エージェント・ドゲット。私はここからやり直す必要があるわ。スカリーがそう心の中で呟けば、まるでそ
の言葉が聞こえたかのようにドゲットはスカリーを見下ろした。スカリーの眼に浮かんだ表情を不思議そうに見詰め返
し、何かと尋ねればスカリーは片手を前に差出した。ドゲットが、ああと言ってコーヒーを手渡すと、受け取りながらス
カリーはドゲットに微笑んだ。その笑顔を見たドゲットは、まるでそれを慈しむような笑顔を浮べ、スカリーに向き直っ
た。
「ありがとう。エージェント・ドゲット」
「どういたしまして。エージェント・スカリー」 
二人は短く言葉を交わしコーヒーを啜りながら、寛いだ雰囲気で幸せそうな少年と犬の写真を黙って見ていた。沈黙
は最早苦痛ではない。

                              終




*後書き*
これは、「爪痕」に触発されて書きました。大部分は作者の捏造です。ここまで読まれた方にはもうお分かりかと思いますが、ドゲモニ賛同
者が多い中、doggieはドゲスカです。この二人がこの先どうなってゆくか、これがとりあえずの私の課題。皆さんは私の描くこの二人につ
いて、どう思われるでしょうか。感想をお聞かせ下さい。掲示板、私宛てのメールどちらでも構いません。是非一言お寄せ下さい。 
By doggie  
Eメール jock@sf7.so-net.ne.jp





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