【エピローグ】


 月曜の朝は、晴れていなければいけない。スカリーは車を止めると、空を見上げた。昨日までのどんよりした天気
が、今朝は雲一つ無く見事に晴れ渡っている。冬の朝の凍てつく空気も、こんな空の元ならむしろ心地よかった。
 7:00。ドゲットはもう起きているはずだ。スカリーは夕べ、ベッドの中で、彼はどうやって出勤するつもりなのだろう
と、あれこれ考えていた。ピックアップは来週末まで、修理工場行きだし、FBIの車を借りるとしても、利き手を怪我し
ていては運転させられない。スカリーは、やはりここは、パートナーである私が、送り迎えをすべきね。と今ここに、ド
ゲットの家の前に車を止めているのだった。
 暫く迷っていたスカリーだったが、小さく溜息をつくと決心し、車を降りた。こんな朝早くに押しかけるのは気が引け
たが、ドゲットがタクシーでも呼んだらと思い当たり、そうする前にこの申し出を承諾させなくてはならなかった。スカリ
ーは玄関まで歩きながら、次第に不安が募ってくるのを覚えた。そしてドゲットの顔を見るまで、多分この不安は解消
されはしないのだ。一昨日知らぬ間にスカリーの部屋から帰ったドゲットの様子は、万全とは言い難かった。しかも、
彼はそれを人に悟られまいとするやっかいな性格なのだ。しかし、こうして不意に訪れれば、その辺が見極められる
筈だ。
 ドアの前で立ち止まったスカリーは、意を決してノックした。はっきりと三回。すると、中からくぐもった返事が聞え、
近づく足音と共にドアが開き、ドゲットが現れた。Yシャツにネクタイ姿のドゲットは、上着とコートさえ羽織れば、何時
でも出勤出来る格好だった。スカリーの顔を訝しげに見詰めドゲットが聞いた。
「エージェント・スカリー?事件なのか?」
「おはよう、エージェント・ドゲット。そうじゃないわ。」
ドゲットはその答えに戸惑いながら、おはようと返答すると、とりあえずスカリーを家の中に招き入れた。
「コートはそこに。コーヒーを入れたんだが、飲むかい?」
「ありがとう。戴くわ。」
スカリーはコートをかけながら、ドゲットの部屋を見渡した。何時もながら整然と片付いて、床には塵一つ無い。ドゲッ
トの表情とこの部屋の様子を見る限りでは、何時もの彼のようだった。でも、まだ安心は出来ないわ。スカリーはドゲ
ットの後をついて、キッチンに入りながら思った。
「朝食の途中だったの?」
テーブルの上を見たスカリーの問いかけに、ドゲットはシンクの上のキャビネットから、クジラのマグカップを手に振り
返った。
「ああ。君、朝食は?エージェント・スカリー。」
「食べてきたけれど、・・・おいしそうね。これはチリ・ビーンズ?」
「そう。」
ドゲットはマグカップにコーヒーを注ぐと、スカリーに差出した。
「昨日大量に作ったんだ。・・良ければ、どう?」
「あなたが、これを?」
スカリーは眼を見張り、意外そうにドゲットを見た。
「僕が料理しちゃ、おかしいのか?」
「そんなことは。只、ちょっと、その。じゃ、・・少しだけ。」
ドゲットの切り返しにスカリーは思わずそう答えてしまった。しかし、用意するから掛けて待つように言ったドゲットが、
愉快そうに口の端を歪めているのを認め、顔を顰めた。又、人の反応を見て面白がっている。でも、今はまだ様子見
の段階だ。ここは、素直に言う事を聞こうと、椅子に腰掛けマグカップに口をつけた。すると、先日初めて使った時に
は欠けていたカップの縁が、きれいに直っているのを発見し、スカリーは、その滑々した縁に触りながら、我知らず微
笑んでいた。なんとなく、幸先が良さそうだ。
 ドゲットはスカリーの前に、チリ・ビーンズとボイルし下味をつけたマカロニ、チコリとマッシュルームのサラダを乗せ
た皿を置いた。紙ナプキンの上にフォークとナイフをセットする。忘れていたよ、とレンジの中から暖めたミルクピッチャ
ーを出し、テーブルの真中に置くと、自分も途中の皿の前に座った。
「で?こんなに早くに何の用だい?まさか、一緒に朝食を食べる為に来たんじゃないだろう?」
「運転手よ。美味しいわ、このチリ。」
「は?何だって?」
口に食べ物を頬張ったままの返答は聞き取り難い。スカリーはフォークを置き、慌てて口の中のチリ・ビーンズを飲み
込むと、補足した。
「あなたの車が戻って、その手の傷が治るまで、暫く私が送り迎えするわ。」
反論させないわよと言った顔付きのまま、スカリーは平然と食事を続けた。すると、ドゲットは椅子の背に凭れ、俯い
て左手を摩った。ドゲットの手には未だ、包帯が捲かれたままだった。
「もう、平気なんだが。」
「でも、車の方は重症だったわ。」
「それは、まあ、そうだ。しかし、電車かタクシーという手もあるんだぜ。」
「車が戻るまで毎日?あれやこれやで今月の出費は、相当なものになりそうなのに?」
スカリーが上目にドゲットを見詰め深刻そうに言うと、参ったなと呟き相変わらず下を向いたまま、左手を摩っている。
しかし、彼の俯いた静かな眼差しや、口元に浮かんだ柔らかな微笑みがスカリーの眼を引いた。感じが変った?
「ありがとう。エージェント・スカリー。そうさせてもらうと助かるよ。」
ややあって、ドゲットは不意にスカリーを見あげ、ちょっと照れたように言うと笑顔を滲ませた。どういたしまして、と何
食わぬ顔で返事をしたものの、スカリーは内心非常に驚いていた。てっきりドゲットは断るだろうと思い、その場合の
返答をあれこれシュミレーションしていたからだった。その証拠に、この類の申し出を今までドゲットが、素直に受けた
ことなど、一度も無い。大抵は、数回の押し問答の末、渋々承知するか、頑として譲らないか、そのどちらかだった。
それが、こんな風にすんなりと、人の好意を受け入れるなど、どういう心境の変化だろうか。
 スカリーがドゲットの様子を窺いながら、食事をしている間に、ドゲットは自分の分を終えると立ち上り、皿をシンクに
置いてコーヒーのお代わりをスカリーに聞いた。スカリーは、丁重に断ってから自分も素早く残りをコーヒーで流し込
み、皿をシンクに運び後片付けを買って出た。一回は断ったドゲットだったが、スカリーが厳しい視線を左手に送ると、
肩を竦め上着とコートを取って来るよと、2階へと姿を消した。
 スカリーは既に使ったことのあるキッチンだった為、慣れた仕草で洗物を済ませると、玄関に戻った。コート掛けから
自分のコートを取り羽織っていると、微かに紙がめくれるような音が聞え、何かと見まわすスカリーの眼に、居間のテ
ーブルの上にある新聞が風で煽られているのが、見えた。窓が少し開いているのね。と、戸締りをしようと居間に赴
けば、ごく小さな音で音楽が流れている事に気付き、耳を欹てた。聞き覚えのある曲は、スカリーが先日ドゲットのコ
ートに忍ばせたアルバム収録曲だった。
 窓を閉めながら、スカリーは頬が緩むのを止められなかった。ドゲットがすっかり元通り、いや、もしかしたら依然より
良い方向に変ったと思えるのは、これのせい?スカリーは、ちょっと考えてから肩を竦めた。あまりに短絡的過ぎる。
ドゲットはそんな簡単な男では無かった。一筋縄では行かない。その証拠に、相変わらず何も自分の話をする気は無
さそうだった。
 スカリーは鍵をかけ、小さく溜息をついて振り返った。すると、テーブルの上に白百合が一輪、空瓶に活けられてい
るのが目に入った。ドゲットと白百合という組み合わせに、不思議なものを見るようで、思わず近寄り、瓶ごと手に取
った。丁度良い具合に花びらを綻ばせた白百合は、美しかった。その美しさに引かれるように顔を寄せれば、清清し
い香がスカリーの鼻腔をくすぐった。この香。スカリーは、一昨日ドゲットの身体から漂ってきたのが、この花の香だと
思い当たった。眼を閉じ、もう一度そっと匂いを嗅ぐ。
 爽やかな香が身体を満たすと、彼女の脳裏に、黒いコート纏ったドゲットが、白百合の花束を腕一杯抱え佇む姿が
浮かんだ。見たわけではないが、ドゲットが一昨日この花を香が移るほど、抱えていたのは間違いない。あの出で立
ちで花なぞ抱えたら、さぞかし映えるであろう筈が、スカリーのイメージの中では、只ひたすら寒寒とした光景としか、
捉えられなかった。なんだか、寂しいわ。スカリーは眉を顰めた。
「エージェント・スカリー?」
躊躇いがちに自分を呼ぶ声に、はっとして眼を上げれば、CDプレーヤーの前に立つドゲットが、妙な顔で首を傾げて
いる。スカリーが、花をテーブルに置きながらドゲットを見詰め、微笑んだ。
「いい香ね。」
「・・・うん。」
ドゲットは僅かに狼狽したような素振りで眼を反らすと、スカリーのCDを手に近寄って来た。
「これを、返すよ。」
「どうだった?」
「・・・ああ、素晴らしかったよ。エージェント・スカリー。・・・本当に。」
終わりの方は、殆ど独り言のようのドゲットは呟くと、スカリーにCDを渡し、良かったわと、頷くスカリーを眩しそうに見
詰めた。スカリーはじゃあ、行きましょうかとドゲットに声を掛けると、先に立って玄関に向かった。
「しかし、今から出たら、随分早く着くな。」
「ええ、そうね。でも、丁度いいわ。」
「何が?エージェント・スカリー。」
スカリーは玄関の鍵を掛けるドゲットを振り返り答えた。
「エージェント・ドゲット。あなた、何か忘れているんじゃないかしら。今日、カーシュは報告書を読むわ。いえ、もう読ん
でいるかもしれない。これが、どう言う事か分かる?」
「ふむ、つまり?」
「いい?今度は全てを書き込んだのよ。あれを読んで、カーシュは何て言うでしょうね。特に、あなたが持出し禁止の
少年記録を取り寄せた辺りなんか。」
ドゲットはそれを聞くと顔を顰めた。
「だから、早く出勤して対策を講じろ、というわけか。」
「そうよ。」
スカリーはドゲットを見上げ、にっこりと笑った。するとその笑顔を見たドゲットは、信頼と尊敬の篭った眼差しでスカリ
ーを見詰め、緩やかに顔を綻ばせていった。暖かく優しげなその微笑みと涼やかな瞳は、スカリーを、どぎまぎさせる
のに充分だった。予期せぬ自分の反応にうろたえ、それを悟られまいと、スカリーはつっけんどんに尋ねた。
「何を笑っているの?おかしな人ね。」
「いや、なんだか、楽しそうだな。と思ってさ。」
あら、と言ってスカリーはわざと澄まして答えた。
「それは、そうよ。だって、あなたが今度は、どうやってカーシュと対決するのか、凄く興味があるんですもの。」
「成る程。ご期待に添えるよう頑張るよ。」
「いい心がけだわ。」
「エージェント・スカリー。」
「何か?エージェント・ドゲット。」
「君、本当は、ちょっといい気味だと思ってるだろう。」
「あら、どうして分かったの?」
「実を言うと僕はFBI捜査官なんだ。」
「まあ、奇遇ね。私もなの。」
二人は一瞬顔を見合わせ、同時に顔を背けるとくすくすと笑いあった。和やかな雰囲気のまま、二人は車に乗り込み
出発した。運転するスカリーの横顔を盗み見ながらドゲットは、窓に頬杖を付きふっと眼を伏せると心の中で呟いた。
今さっき浮かんだことを彼女に言ったら、張り倒されるかもな。それは、百合の花に顔を寄せるスカリーを眼にした時、
不意にドゲットの脳裏に浮かんだ言葉だった。
 Muse=B音楽や芸術を通し人に感銘を与える女神。あの曲を歌った歌手が彼女にとってのMuse≠セとした
ら、俺にとってはどうだったんだろう。やはり、それなりに感化されたとしか言いようが無い。しかし、その時ドゲットの
瞼に浮かんだのは、海の如く全てを育む青い瞳を煌かせ、燃えるような赤い髪をした女神の姿だった。
 辛苦と苦悩のただなかに、失ったものがある。そこに導くものは、Muse=B

                               終






*後書き*
これは「冥界の使者」に触発されて書きました。勿論、殆どがdoggieの捏造です。少しづつ距離を縮めてゆく二人ですが、どうなるんでしょ
うか。全くこの先は作者にも先が読めません。今回、私設秘書を買って出てくださった、ぐらうちさん。ありがとうございました。ネタバレしな
いように、情報を教えて欲しいなどという、ワガママに文句一つ言わず丁寧にドゲット関係の新事実を教えて下さいました。お礼はfic上でし
たつもりです。それから、ドゲットが聞く音楽は?という、問いに沢山の方からいろんな声が寄せられ、参考になりました。この場を借りてお
礼を申し上げます。さて、皆さんの読後の感想は如何でしたでしょうか。是非お聞かせ下さい。




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