【 エピローグ 】


 その晩、ラングリーは上機嫌だった。ローンガンメンの3人で落ち合ったバーで、ゴージャスなブロンド美人と意気投
合し、羨むフロヒキー、バイヤーズを尻目にバーを出ると、けばけばしい歓楽街を闊歩する。しかも、隣は、道行く男共
が、振り返るようないい女なのだ。この俺にも、ようやく春が訪れた、やっぱりあの中じゃ俺が一番いい男だからな。
などと、鼻の下を伸ばしにやけていると、信じられないようなカップルと鉢合わせた。なにやら怪しげな店から出てき
た二人を、ラングリーは口をあんぐり開けて眺めた。
「いよう。」
やっぱりだ。ラングリーはドゲットの噂を思い出した。10日前出張から戻ったドゲットの様子がおかしいと、最近そこ
かしこで囁かれ始めていた。いよう?ドゲットが言うか?スカリーは隣で澄ましているが、何か態度が変だ。今、ドゲ
ットの足を踏んづけたように見えたのは気のせいか?まさかな。大体今出てきた店ってトップレスバーじゃんか。と、
疑問を挟む余地も無く、ラングリーの連れの女が、いい店を知ってるからと3人を誘い、ドゲットの運転でその場所に
向かうことになった。
 ところが、車に乗った瞬間から、3人は不気味なほど押し黙り、ラングリーの問いかけにも答えない。しかも、何か変
だ帰ると言っても誰一人として、聞いてくれない。3人とも妙な笑いを浮かべ、取り合わないのだ。何やら陰謀めいた
気配を感じ、下ろせと騒ごうとしたところで、車が止まった。
 ドゲットと女に両腕を掴まれ、あれよあれよと引っ張っていかれたところは、人気の無い倉庫街の片隅にある廃ビル
だった。先を歩くスカリーが路地裏の扉を叩くと、黒髪の若者が顔を覗かせ、辺りを窺うと4人を中に入れた。がらんと
した一階から業務用のエレベーターで4階まで上がり、全員が終始無言でエレベーターを降りる。
 色を失いパニックを起こしているラングリーが連行されたところにはデスクが一つ。デスクには最新式のデスクトップ
が設置してある。ドゲットはデスクトップの前にラングリーを座らせると、デスクに凭れて、挑発的に言った。
「お前は確か、コンピューターに関しては一流だって話だよな。右に出るものはいないって。そうなのか?」
ラングリーはこの事に関して、山より高いプライドを持ち合わせている。立場を忘れて胸を張った。
「勿論。俺がナンバーワンだ。」
「ははあ。じゃ、こんなこと出来るか?ある男を死んだことにして、全く別人のデータを作り、摩り替える。」
「簡単だ。」
「政府のコンピューターにアクセスするんだぜ。」
「関係ないね。」
「尚且つ、今後一切検索できないようにトラップを仕掛ける。しかも、誰がやったか分からないようにだ。」
「問題ない。」
「じゃ、やってもらおうか。」
ドゲットはそう言って、数名の名を連ねたリストを取り出しラングリーに渡した。するとラングリーは、受け取ったもの
の、慌ててドゲットとその奥のスカリーを見比べ尋ねた。
「ちょ、ちょっと待ってくれよ。そりゃ、あんた達に頼まれたら、嫌とは言えないけど、いいの?ホントにやっちゃって。政
府のコンピューターをハッキングしろなんてさ。ばれたら、あんた達、只じゃ済まないぜ。」
「大丈夫だ。」
突然、目の前にいるドゲットとは、違う方からドゲットの返事が聞こえ、ラングリーは混乱をきたし、辺りをきょろきょろと
見回した。すると、奥の暗がりからふっと現れたのは、やはりドゲットだったのだ。眼を見張り、口をぱくぱくさせるラン
グリーにもう一人のドゲットが近寄り言った。
「僕は頼んじゃいない。頼んだのは、そいつだ。」
「そう。俺。」
そして、後から来たドゲットが目配せして無言でドゲットを呼ぶと、デスクトップの向こうで二人、肩を寄せ合いひそひ
そ話を始めた。呆然として見守るラングリーに気付いた片一方のドゲットが、舌打ちした。
「何やってんだ。さっさと取り掛かれよ。」
ラングリーは、ああ、と頷いてキーボードに手を載せたものの、躊躇い、又顔を上げ、二人を見る。すると同じドゲット
が、目ざとくそれを見咎めた。
「何よ。」
ラングリーはごくりと唾を飲むと、二人を交互に指さし、恐々尋ねた。
「ご兄弟?」
「違うっ!!」
二人は同時に振り返ると、声を揃えて否定し、恐ろしい顔で睨みつけた。その剣幕に、うわっと悲鳴をあげ、ラングリ
ーは慌てて作業に取り掛かった。視界の隅に、スカリーと女が吹き出している姿が映る。何で笑ってるんだ?その様
子を忌々しげに見るドゲット二人。すると今度は何時の間に移動したのか、両脇でドゲット達が無言のプレッシャーを
かける。ラングリーは逃げ出したかった。夢なら、早く覚めてくれ。そうだ、これは夢だ。悪い夢だ。この夢を終わらせ
る為には、こいつをさっさと終わらせりゃいいんだ。

 それから二時間後。正体無く眠りこけているラングリーを、屋上の大型ヘリコプターに乗せ、4階の設備を撤収し、こ
こで行われた事の痕跡を無くすと、リオとラナはスカリーとドゲットに向き直った。スカリーが尋ねた。
「ラングリーは大丈夫なの?」
「ええ。明日の正午。大金を懐に地の果てのモーテルで目覚めるわ。勿論、この事は全く覚えてないでしょうね。」
「ジャニスを呼んだのはそれの為?」
「そうよ。まさか、彼女が治療に使っている催眠術が役立つとは思わなかったわ。」
「あいつ、本当にかかったんだろうな?」
リオが口を挟んだ。ラナはくすりと笑って、答えた。
「ええ。こんなにかかりやすい人間は初めてだって、ジャニスが言ってたわ。」
「はは、違えねえ。」
「もういいだろう。」
突然、黙りこくっていたドゲットが割って入る。リオが顔を顰めて聞き返した。
「何が。」
「僕の服を返せ。IDカード。バッジ。銃。家と車の鍵。全部だ。」
「は、せっかちな野郎だな。じゃ、俺の服は何処なんだよ。」
「ヘリに積んである。来い。」
ドゲットは先に立って歩き出し、リオが慌ててその後を追った。リオが着替えてる間、ドゲットは操縦席に座るビリーと
何やら親しげに言葉を交わし、それを微笑んで見ているラナにスカリーが話しかけた。
「私達、最初あなたはベンと付き合ってると思っていたわ。」
「ああ。あれ。誤解されてもしょうがないわね。確かにベンとそうなった時期もあったわ。でも、駄目だったの。ベンの
生活を知っているでしょう。彼は眠らない。愛する人が、自分の前で隙を作らないというのは、結構きついものだわ。
それに、ベンは誰かを愛せる人ではないの。そういう感情が無い、という意味じゃないわ。ただ、彼の場合それよりも
大きなものが何時も彼の心を占めていて、常にそれが優先されてしまうのね。私は、感情が激しいタイプだから、何
時も自分を一番に考えてくれる人じゃなければ、受け入れられないのよ。」
「それがリオなの?」
ラナは恥ずかしそうに笑うと、答えた。
「ああ見えて、結構一途なのよ。あなた達が来る少し前、私達婚約したの。リオはその為に、昔の過ちを清算してい
る最中だったのよ。」
「じゃ、最初のあの騒ぎは・・・・。」
痴話喧嘩。その言葉は、慌てて飲み込んだ。本人を目の前にしては、ちょっと言い難い。すると、それを察したラナ
が、その時の事を思い出し、ばつの悪そうな顔で曖昧に笑って見せた。
「ジョンはとんだ、とばっちりだったわね。」
「あれには、流石の彼も吃驚したようよ。」
「もう、嫌だわ。忘れて頂戴。」
二人は視線を交わすと俯いて、くすくす笑いあった。ほんの数週間前のことなのに、遥か昔の出来事のように感じ
る。あの時から信じられないほど色々なことがあった。そして、今夜が又、彼らの新たな旅立ちでもあるのだ。着替え
終わったリオは、戻ってくると、その様子に怪訝な顔で尋ねた。
「何を笑ってるんだ?」
「終わってみれば、上手く行って良かったわね。って、ダナと話してたのよ。」
リオは頷くと、相変わらず厚かましいことを言う。
「まあ、当然だな。あの野郎を見たときには、正直たまげたが、俺様の活躍で全て円く収まったぜ。」
「あら、私は、リオが二人もいたらどうなるのかしらと、凄く不安だったわ。」
「俺が二人だったら、言うことねえだろ。」
「出来ればジョン二人の方が、トラブルが少なくて良さそうな気がするわね。」
「よく言うぜ。お前はそんなタイプじゃないくせに。」
リオはそう言ってラナの腰に手を回すと、抱き寄せた。満足そうにラナはリオに身体を預け、それでも口だけは違うこ
とを言う。
「ベンだってそう思ってたのよ。」
「どういう意味だ?結局は、ベンの思惑通りに運んだじゃねえか。」
「嫌だわ。ベンから聞いてないの?ダナ、あなたは?」
丁度そこへ戻ってきたドゲットへ、追加でラナは尋ねた。事の経緯を聞いたドゲットが、いいやと首を振れば、やれや
れとラナは話し始めた。
「カーロスの流した噂のおかげで、FBIから警護を打ち切れと、二人とも直ぐに戻らなけりゃならなくなったわよね。ジョ
ンはその時まだ動かせない状態だったから、結局リオに暫くの間ジョンの代わりをさせることになったじゃない。それ
がこの時の為に最初から仕組んでいたみたいで、ベンに、あなたの読みが当たって良かったわね。って言ったの。そ
うしたら、彼が不思議そうな顔をするので、最初から全部見越して、ジョン達を仲間にしたんじゃないの?そう尋ねた
ら、こう言ったわ。まさか。初対面のジョンの実力がどれほどのものか分からなかったし、ましてやFBIにはなんの期
待もして無かった。でも済んでみれば、ジョン達を加勢に加えて本当に良かったって。」
「え?じゃ、別に俺達だけでいいと思ってたのか?」
「始めはね。」
「それじゃあ何で、こいつらを中に入れたんだ?何時もみたいに追い帰しゃあ良かったじゃねえか。」
「ジョンを見て気が変わったそうよ。」
3人は意味が分からず、顔を見合わせた。ラナが気まずそうに視線を泳がせるとリオは、何だ言えよ、と先を促した。
「あなた達を合わせたら、どんな反応するのか見たかったんですって。」
「何っ!?」
全員が絶句して、ラナを見詰めた。そう言えばベンは、あの時の二人の様子を見て、仲裁に入るわけでもなく、不自
然なほどげらげら笑っていた。その後のリオとドゲットの様子も、何時も面白そうに見物していた。彼らは、この時初め
てベンの終始愉快そうな態度に、納得出来たのだった。
「あの野郎。帰ったら覚えてろよ。」
リオ、ドゲットが忌々しそうに顔を背けると、ラナが取り繕うように言った。
「ベンって、ちょっとそういうところがあるの。あなた達を見るのは、実に面白かった、って嬉しそうだったわ。でも、悪気
が合ったわけじゃないし、結局は彼の気まぐれが功を奏したわけだから、大目に見てあげましょうよ。」
「知るか。そのせいで俺はこいつに成り済まして、糞面白くも無いFBIに10日も通ったんだぞ。畜生、俺はもう帰る。大
体こんな所でぐずぐずしてる暇はねえんだ。行くぞ、ラナ。」
怒り心頭といった風情でリオはラナをヘリに引っ張っていく。見送りに近くまで来たドゲットを、ヘリから身を乗り出した
ジャニスが呼んだ。ラナがヘリに乗り込むのを手助けしながら、ドゲットはジャニスに何やら指図されている。それを少
し離れたところで見ていたスカリーに、リオが歩み寄り躊躇いがちに話しかけた。
「あんたには、色々世話になったな。礼を言うぜ。」
「いいのよ。でも、これからあなた達はどうするの?」
「移住は前から計画してたんだ。半年もしないうちに、完了するだろうな。さっきのバーで本物の新しいIDカードも手に
入れたし、俺達のデータはもうこの国には無い。あとは、新天地で幸せに暮らすさ。こっちには億万長者がついてるん
だ。」
「何処に行くかは聞かないわ。」
「そうだな。知らない方がいい。」
リオは一旦言葉を切ると俯いて、地面を蹴っていた。時折、よく似た仕草をする。そんなスカリーの視線に気付いて
か、ふと顔を上げ照れくさそうに曖昧な笑顔を作った。
「あんた達には、もう二度と合わねえだろうな。まあ、今更こんなことをいうのも、何だけどよ。その、この前はきついこ
と言っちまって悪かった。あの後、ラナにこっぴどく怒られちまって、これでも反省したんだぜ。」
スカリーは、返事に窮し黙ってリオの顔を見詰め返すと、一瞬迷ってからリオはこう付け足した。
「だけど、これだけは言わしてくれねえか。あんたさ、気が付いていたか?あんただけだったぜ。俺と野郎を間違えな
かったのは。同じ格好でいたら、ベンやラナでさえ見分けられなかったのに、あんただけは只の一度も見間違えなか
った。これがどういうことか、あんたにはもう分かってるんだろう?」
「・・・・ええ。分かっているわ。」
スカリーはそっと囁くように答え、リオの眼を見詰め微笑んだ。リオは顔一杯に笑みを浮かべると、さあ、行くか、と大
きく伸びをしてヘリに向かった。途中戻ってくるドゲットと擦れ違ったが、お互いちらりと視線を交わすだけの、あっさり
した別れの挨拶だった。ドゲットならともかく、リオにしては随分簡単ね。とスカリーが思う間も無く、一旦ヘリに乗った
リオが、戻ってきた。リオに背を向けたままのドゲットに、おい、と声をかけ振り向かせると、数歩手前で手招きする。
何だ?とドゲットが訝しげに歩み寄れば、小ぶりの紙袋を手渡した。益々不思議そうなドゲットが、紙袋の口を開け、
中を覗き込めば、リオはにっと笑い小首を傾げてドゲットの顔を覗き込んだ。
「FBIは安月給だからな。大事にしろよ。」
するとドゲットは俯いて苦笑し、仕方無さそうに頷いた。じゃあな、と満足そうに言うと、リオは踵を返し、ヘリに乗り込
んだ。直ぐにプロペラが勢いよく回り始め、ヘリは飛び立った。
 程なくヘリはかき消すように、その姿を闇に溶け込ませ、黙って夜空を仰いでいた二人を静寂が包む。空を見上げ
たまま、スカリーが言った。
「行ってしまったわ。」
「ああ。」
「もう二度と、会わないでしょうね。」
「そう願いたい。」
ドゲットの口調に、スカリーは思わず口元を綻ばせた。ドゲットにとってリオと鼻付き合わせるのが、よほど堪えたのだ
ろう。二人で肩を並べエレベーターに向かいながら、スカリーはドゲットが持つ紙袋が気になった。
「リオは何を?」
「あいつが着ていた服に・・・・・新品のYシャツ。」
「じゃ、あなた本当にリオに請求したの?」
「当然だ。僕はそんなに物持ちじゃない。クリーニング代も一緒だ。」
「良かったわね。」
「・・・それが、・・そうでもない。」
「あら、どうして?」
不思議そうなスカリーに黙ってドゲットは紙袋を渡した。スカリーは受け取ると、中を覗き込み思わず笑ってしまった。
憮然としたドゲットに、慌てて笑いを噛み殺し下を向いたまま言った。
「エージェント・ドゲット。金だわ。」
「知ってる。」
「金色。凄くゴージャスな金色のシャツよ。」
ドゲットはむっとした顔で、返せ、とスカリーから紙袋をひったくった。しかし、スカリーの可笑しそうな瞳にぶつかると、
俯いて腹立たしげに呟いた。
「あいつめ。こんなシャツどこで見つけてきたんだ。」
「いい色じゃない。きっと似合うわよ。」
「いい色?これに合うスーツなど、あるか。エージェント・スカリー。あ、止めろ。今、君、想像しただろう。そんなに面白
いのか。」
「いいえ。ちっとも。」
「・・・・・・笑うな。」
二人は上がってきたエレベーターに、無言で乗り込んだ。黙って点滅する階数ボタンを見上げていたが、ちらりと視線
を交わした途端、発作的に笑いが込み上げ、二人同時に吹き出した。こいつを着るのだけは勘弁してくれ、等と言い
ドゲットは片手で顔を覆い肩を揺らしている。スカリーも堪え切れず口元を押さえていたが、途中でドゲットがふっと静
かになりどうしたのかと顔を上げれば、脇腹を押さえ顔を顰めている。ドゲットは直ぐに、スカリーの視線に気付き、身
体をぴんと起こすと、大丈夫だと微笑んで見せた。が、その直後古い業務用エレベーターが下に到着した振動で、よ
ろけた拍子に身体の左側を壁に激突させ、真っ青になった。
 脂汗を浮かべ息を整えるドゲットを、心配そうに覗き込みスカリーは尋ねた。
「大丈夫?安静にしていなければいけないんじゃないの?」
「平気だ。今はぶつけたからだが、もう治った。」
ドゲットは平然とした様子で、先に立ってエレベーターを降りると、すたすたと倉庫の出口に向かう。しかし、スカリー
はドゲットがこっそり左腕を摩っているのを眼の端で捉えていた。相変わらずだわ。スカリーは溜息を付くと、首に巻い
ていたスカーフを解き、端と端を結びつけ輪を作った。そして足を速めドゲットに並ぶと眼の前にスカーフを差し出し、
面食らった様子のドゲットに命令した。
「これで左腕を吊ってなさい。少しは楽よ。」
こういう口調のスカリーには逆らえない。ドゲットは条件反射的に受け取り、大人しく言うことを聞くことにした。
「ジャニスは何て言っていたの?」
「明日から通常業務についていいそうだ。」
「エージェント・ドゲット。」
「ええ、いや、デスクワークだったな。」
「そうね。どのくらい?」
「一週間だ。」
「エージェント・ドゲット。」
「いや、ええっと、10日だ。確か。」
「エージェント・ドゲット!」
「・・・・・・・一ヶ月です。」
「いいわ。」
しおらしい声で返答したドゲットに、満足げに頷きスカリーは扉を開けると路地裏に出た。後を付いて出たドゲットは、
俯いてふわふわしたスカーフを片手で首にかけようと悪戦苦闘している。スカリーはドゲットの前に回ると、彼の手か
らそれをやんわりと取り上げた。スカリーがスカーフを首にかけようと、ちょっと背伸びをすれば、ドゲットはそれを助け
るように僅かに背を屈めた。スーツの襟の裏に結び目が来るように調節し、輪にしたスカーフにドゲットの左腕を通し、
見上げれば思わぬ近くにドゲットの顔があった。スカリーを見下ろすドゲットの瞳を、スカリーは真っ直ぐに見詰め返し
微笑んだ。
「これでどう?」
「ああ、ありがとう。楽だよ。」
そう言って微笑み返すドゲットの瞳の奥で、一瞬揺らめいた青い炎を、最早スカリーは見逃さない。
「車は何処に止めてあるんだ?」
「ここから2ブロック先よ。少し歩くわ。」
「ふむ。いい運動だ。あそこにいる間、随分と身体が鈍ってしまったからな。」
「馬鹿なことを言わないで頂戴。本当はまだ寝てなきゃだめなのよ。」
「しかし代役も、もう限界だったろう。」
「うーん。それはとっくに過ぎてたかも。」
「どういう意味だ。君に奴の見張りは頼んだはずだぜ?」
「勿論最善は尽くしたわ。でも・・。」
「でも?」
「セクシャルハラスメントの訴えが出ないことを祈りましょう。」
「セクハラ!?」
ドゲットは小さく叫んで眼を瞬かせると、がっくりと肩を落とした。あの野郎、と呟く声が聞こえ、長い溜息がそれに続
く。
「ごめんなさい。私も精一杯頑張ったのよ。でも、リオの手の速さは、とても制御仕切れなかったわ。」
「そりゃ、そうだ。いいさ、運を天に任せるよ。」
ドゲットは肩を竦めると、仕方無さそうに笑って見せた。
「もう無いだろうな。」
「ええ。あとは大して。明日からあなたが出てくれば、妙な噂も直ぐに消えるわ。」
「妙な噂?」
「知らない方がいいわ。それはそうと、明日から私が車で送り迎えするから、そのつもりでいて頂戴ね。それから仕事
で外に行く時、あなたは残るのよ。」
「ちょっと待ってくれよ。車の件はいいとして、どうして僕は現場に行けないんだ?」
「自分の身体の状態を考えなさい。ジャニスにも言われたでしょう。デスクワークよ。」
「じゃあ、誰が君をバックアップするんだ。一人じゃ危険だ。」
「その腕じゃ、銃は使えないわ。」
「右手がある。」
「エージェント・ドゲット。確かにあなたは射撃の名手かもしれないけれど、あなたが両利きじゃないことは知っている
のよ。」
「でも、大丈夫なんだ。」
「そりゃ私達は皆、利き腕じゃないほうでも、銃を扱えるように訓練しているけれど、利き腕ほど命中率を上げるように
訓練してる訳ではないわ。」
「うん。それは、そうなんだが・・。」
ドゲット言い淀み、俯いて鼻を擦った。スカリーは、ぴんと来るものがあり、少し考えてから眼を細め、訝るようにドゲッ
トを見上げた。
「同じように使えるのね。それは例の、狙撃手訓練コースに関係してるのかしら。」
「まあ、そんなところだ。」
「待って。右手も同じように使えるのなら、どうして洞穴では、わざわざ折れてる利き腕を使ったの?」
「銃が普通じゃなかったし、最近訓練を怠っていたからな。リオがいたから、至近距離で撃つにしても、絶対はずすわ
けにはいかなかった。そうなると少々痛いが、それさえ我慢すれば、やはり利き腕の方が狙いは正確だ。」
「少々痛いが?嘘おっしゃい。・・やることが、無茶苦茶だわ。」
スカリーが呆れた顔で上目に睨むと、そうかな、とばつが悪そうに眼を逸らし、とぼけてみせる。しかしスカリーは誤
魔化されない。
「そう言えば、どうして狙撃手訓練コースを出たことを、経歴に載せないの?」
「狙撃手じゃないからさ。」
「でも、あの訓練コースを出ていれば資格があるのよ。経歴に箔が付くわ。」
ドゲットは不可思議な眼をして、スカリーをさっと見た。しかし、直ぐに視線を逸らし何でもないことのように言った。
「理由がある。」
「聞きたいわ。」
「君が聞いても面白い話じゃない。」
「それは、私が判断することよ。」
スカリーのその言葉に、ドゲットはゆっくりと微笑を顔に広がらせ、何かが溢れるような眼差しでスカリーを見下ろし
た。その眼差しを受け止めスカリーは思った。これからはこうやって、あなたが隠している沢山の色を見つけてゆく
わ。私はあなたをもっと知りたい。あなたが、何を考え何に喜び何に悲しむのか。あなたの過去や、あなたの経験や
あなたの知る世界を教えて欲しい。そうやってあなたが上手に隠しているものを、丹念に突き止めてゆけば、あなた
は私の前から簡単に消えることなど出来ないはずよ。あなたを、月にかかる虹には、決してしないわ。何故なら、あな
たは私にとって・・。私にとって?スカリーの思考は唐突に口を開いたドゲットによって中断された。
「話しても構わないが、長い昔話だ。それでもいいのか?」
「ええ、勿論よ。」
「古い話だから、思い出すのに時間がかかるぜ?それでも・・」
「待つわ。」
「今夜中には、無理かもしれない。」
「構わないわ。あなたが思い出した時、話したい時で・・・。何時どんな時でも、私は聞きたいの。」
スカリーの言葉は、ドゲットの心を打ったようだった。はっとして僅かに眼を見張りスカリーを見詰め、愛しむような眼差
しになった後、ふっと視線を逸らした。そうだな、と低く呟き、記憶を手繰ろうとするドゲットの瞳を見て、スカリーは今
夜も月が出ている事を悟った。月の光を反射して銀青色に変化したドゲットの瞳は、何処と無く悲しそうだった。彼女
にとってムーンストーンは、幸福を齎す象徴だった。それなら、彼には何を齎し、私に何を齎すのだろう。スカリーはこ
の時、ドゲットの顔を仰ぎ見ながら、密かに決意する。
 これから私はパートナーとしてではなく、一人の人間として、この瞳を覗き声を聞き、その謎を解き明かそう。私達が
月虹にならない為に。

                                終






*後書き
初めての、クロスオーバー。如何でしたでしょうか。映画「ダブル・リアクション」そのものが、結構辻褄の合わない、説明不足のストーリー
のせいか、クロスオーバーもとんでもないストーリーになってしまったような気が・・・。何だこりゃと、思っても、そこは作者の力量不足とお
見逃し下さい。今回、何時に無く楽しげな二人の様子が、伝わったでしょうか。Xファイルという枷がなければ、こんなにも伸び伸び出来る
のだなぁ、と自分で書いてて、妙に可笑しかったです。皆さんの読後の感想はどうでしたか?是非お聞かせ下さい。


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女の子お絵かき掲示板ナスカiPhone修理