猛獣使い、絶滅種と遭遇す






 放課後、生徒が残らず帰った校舎は静まり返っている。一年の担任を探して歩くスカリーの靴音だけが、やけに響
き渡り、それでなくとも薄気味悪い古い校舎を、尚のこと不気味な建物に感じさせる。過疎化の進むこの小さな町に
は築70年は経とうとしている老朽化した高校を建て替える予算はなく、只でさえ生徒数が減少している現在、町政
にその意思は無さそうだった。
 何年か前、隣町の高校と合併させようと言う話が持ち上がったが、鈍重な理事会が話を纏めている間に、業を煮や
した相手高校はさっさと隣接する市の高校と合併してしまい、こちらの合併話は立ち消えてしまった。その後今時珍
しい男子校を丸ごと引き受ける話などそうあるはずもなく、それ以来はじわじわと減少する生徒数を、学校に関わる
全ての行政は、一応は憂いて見せながらも傍観するのみなのだ。
 スカリーは西日の当たる渡り廊下を出席簿を胸に抱え、思案顔で歩いていた。教師になった翌年に赴任した高校
が男子校で、今まで学校と名の付くところ共学しか経験の無いスカリーは、戸惑うことばかりで些か慣れるのに時間
がかかった。しかしそれも半年経った今では、すっかり回りに溶け込んでいる。
 エネルギーの有り余った猛獣にしか見えなかった男子生徒も、首根っこを抑えこちらの強さを認識させれば、飼い
ならされた家畜のように従順になる。最も、父親や兄が船乗りで、物心付く頃から荒っぽい海の男達に囲まれ育った
スカリーにしてみれば、田舎の高校生を扱うことなど、赤子の手を捻るよりも簡単な作業だった。
 只、スカリーの華奢で可憐な容貌からは、彼女が兄から‘赤鯱’と呼ばれていたとは誰も想像出来ず、最初はかな
り過激な歓迎の仕方を上級生にされたが、どれもこれもスカリー本人から手酷くあしらわれ、仕掛けた生徒達は自尊
心を粉々にされる前に、全員彼女に降参することになった。今やこの高校で、生徒に一番恐れられている教師は、誰
あろう保健医務担当教員なのだ。
 しかし生徒達の為に労を惜しまない態度や、どんな生徒にも分け隔てなく接するスカリーは、その類まれな容姿も
相俟って、全校生徒、いや町の独身男性の憧れの的だ。便利な交通網の発達や、それに伴う産業の開発から取り
残され、全くの陸の孤島であるこの町に、ダナ・スカリーは綺羅星の如く現れた女神だった。未だ封建的な考え方が
根強い田舎町の中で、頭の切れるスカリーのスマートな物言いや、洗練された風情は若者達に都会の息吹を感じさ
せた。全ての若者がそうであるように、都会に憧れ辺鄙な田舎に辟易している彼らが、都会から来た美人の先生に
心酔しないわけがないのだ。
 赴任した当初彼らのスカリーに対する態度に、彼女は些か驚きもしたが、今ではすっかり慣れてしまった。何しろ見
かけは可憐な花にしか見えないが、中身は‘赤鯱’なのだ。自分の周りをうろちょろするものなど、寄生虫を食べにく
る小魚か、しつこいものはコバンザメ程度にしか認識していない。あまりに目障りなものは、頭からがりがり食べてや
ればいいのだ。まあ最も賢明なスカリーがここでの今後の生活を考え、そんなそぶりはおくびにも出さず、彼らの期待
を裏切らないよう、今のところイルカの如く愛想良くしているのは当然と言えば当然だ。
 一度怒ると男も殺すことを言う。これは彼女の亡くなった父親の言葉で、くれぐれもと長兄まで巻き込み、就職する
ときはなるべく都会を避けるようにと遺言されていた。自分の性格をよく分かっているスカリーは、苦笑しながらも同意
するしかない。確かに都会の人間より、田舎の人間の方が、スカリーにとってはるかに御しやすかったからだ。
 今現在こんなスカリーの性格に気付いたのが、借家の大家一人ぐらいだというのは彼女のとっては上出来だった。
しかも好都合なのは、大家が非常に人嫌いなやもめ男で、同じ敷地内に住んでいても、殆ど出歩くところを見たこと
が無く、用事は全て宅配で済ませるほどの、徹底振りだ。無愛想で横柄な態度の50がらみの男だが、毎月の家賃
さえきちんと納めれば、一切スカリーに干渉しないし、何しろこの町で唯一彼女に無関心な男だという事実は、些か
割高な家賃も目を瞑ることが出来る。
 スカリーは校舎を歩きながら、目当ての歴史教師が中々見つからず次第に苛々し始めていた。一年の担任は生ま
れも育ちも卑しからずといった、つるんとした顔の坊ちゃんタイプのハンサムで、現在ラテン語の女教師と交際中だ。
 授業内容は面白いし教え方も悪くないのに、生徒に人気が無いのは、彼自身が教師を親の会社の後を継ぐまでの
腰掛としか考えていないせいで、何処か熱心さに欠けるその教師をスカリーもあまりいい評価を下していない。しかも
交際中の女性が同じ職場にいながら、でれでれとスカリーに鼻の下を伸ばすあたりが、更に気にいらず、積極的に話
をしたいタイプではない。しかし仕事となれば、話は別だ。スカリーは再び大きな溜息をついた。

「そりゃあそうですがね、僕にはこれ以上何も出来ませんよ。僕だって何もしなかったわけじゃないんです。一学期中
何度も彼の父親に電話をして、校長にも話しましたし、父親を交えて校長と話す機会を設けもしたんだ。」
「じゃあ、何故こんなに彼は無断欠席してるんです?」
携帯で私用電話中を邪魔された歴史教師は、スカリーの問い詰めるような眼差しに、うんざりした顔でこう答えた。
「・・・・さあ、僕に聞かれても。」
「だってあなた、担任でしょう?」
「そりゃあそうですがね、彼の他にも問題のある生徒は大勢いるんです。ましてや彼の場合まだ出席日数が足りてる
んだ。それほど大騒ぎすることじゃ無いと思いますがね。」
ようやく探し当てた担任のやる気の無い返答に、スカリーの癇癪は既に限界だ。が、ここでそれを爆発させるわけに
は行かない。スカリーは必死に心を静め、何とか微笑むことに成功した。
「でも実際この生徒は、連絡も無しに一週間も休んでいるんです。担任として、黙って見過ごすわけには行かないで
しょう。」
「そりゃあそうですがね。電話には出ないし、家を訪ねようにも僕は今夜から隣街に研修に行かなきゃならない。帰っ
てくるのは日曜日の深夜ですからね。来週でよければ何とかしますが・・。」
スカリーは静かに息を吸うと、心の中で10数えた。これが担任の言い草?まだ足りなくて更に20数える。この様子
じゃ、きっと来週になってたって何もしないわ。それまでこの事態を知っていたのに見過ごすことは出来ない。確かめ
る必要があるわ。
「もし私でよければ、明日朝一番に彼の家を訪ねて、無断欠席のわけを聞いてきましょうか?」
丁重なスカリーの申し出に、面倒ごとを嫌う歴史教師が、一も二も無く承諾したのは言うまでも無い。私なんかでは
上手く話が聞きだせるか分かりませんけど、と気弱に微笑んで見せたスカリーが、なあに様子が分かればいいんで
すよ、と暢気な顔で笑う男を、頭の中で口に出来ないような酷い目に遭わせているなど、そのしおらしい様子からは、
注意力散漫なこの男には想像出来ないだろう。
 明日の準備があるんで、とそそくさとその場を去る担任は、既に携帯電話を耳に当てている。電話口の相手に没頭
している男の、ブランド物のジャケットの背を見送りながら、スカリーはゆっくりと息を吐き出し、心の中で安堵した。偉
いわ。ダナ・スカリー。良く我慢したわね。それにしても危ないところだった。もう一度あの、そりゃあそうですがね、と
いう台詞を聞いたら、八つ裂きにするところだった。あなたは運がいいわ。
 スカリーは遠くなった担任の背中に、ふんと鼻を鳴らし意地悪く微笑んだ。それは皆が知るような、美しく優しいスカ
リー先生ではなく、何処と無くサーカスの猛獣使いが、愚鈍な動物をどう料理しようか、てぐすね引いてるような風情
だったが、生憎それを目撃したのは、校舎を赤く染める夕日以外に誰もいなかったのである。


 翌朝。スカリーは担任から貰った判り難い地図に苦労しながらも、ようやく目指す生徒の家まで辿り着いた。そこは
町を遠く東へと進んだ山の中腹に位置する、こじんまりとしたログハウスだった。スカリーは鬱蒼とした林に囲まれ、
周りに人の気配無く静まり返った家を眺め、眉を顰めた。高校の事務員に渡された生徒の資料には、隣接する国定
公園の監視員をする父親と二人暮しとある。
 スカリーは林道脇に車を止めると、前庭を横切り玄関の前に立った。玄関の何処を探してもベルが見つからないの
で、数回ノックをするが返事は無い。聞こえないのかと今度は力強くノックをしながら、呼びかけてみた。すると中から
不機嫌な声で応答がある。
「遅えぞ、ジョン。俺を餓死させる気か!?」
「あの・・・私は高校のダナ・スカリーです。息子さんに・・」
「何?高校?・・・ジョンじゃねえのか。・・担任は野郎のはずだぞ。」
「私は保健と医務担当の・・」
「ああ、分かった分かった。開いてるから入ってくれ。」
畳み掛けるような言い方に顔を顰めたスカリーは、ぴんと背筋を伸ばしスーツの皺を伸ばすと扉を開けた。明るい屋
外から薄暗い室内に一歩足を踏み入れたスカリーは、眼が慣れて声の主の姿を確認するのに、暫し時間を要した。
が、スカリーがその姿を認めた時には、既に男はスカリーをじろじろと眺め回し、眼が合った途端鑑定は終わったとば
かり、にやりと笑う。
「出迎えなくて済まんな、先生。まあ、この状況だ。大目に見てくれないか。」
男は暖炉の側のカウチに寝そべったまま、足にかけた毛布を捲くり、左足のギブスをスカリーに見せる。スカリーはそ
れを見ると厳しい眼差しで近寄り、屈みこんでギブスに触りながら尋ねた。
「どうなさったんです?」
「密猟者を追って崖から落ちたのさ。大腿骨骨折。あと2週間は動けん。」
「それは、大変でしたね。何時この怪我を?」
「先週の日曜。・・・・あんた、何しに来たんだ?息子のことで来たんじゃないのか?」
つい医者の顔でギブスの様子を見てしまうスカリーは、我に帰ると罰の悪い顔で向き直り改まって尋ねた。
「失礼しました。今日伺ったのは、月曜から息子さんが無断欠席を続けている理由を聞きに来たんです。校長や担任
も心配してますし。」
「へえ、あの2人がね・・・。ふーん。そうかい?」
疑り深い顔でちろりとスカリーを見上げ、男は急にはっとして身体を起こした。
「ああ、悪いな。椅子も勧めないで。その辺に適当に腰掛けてくれ。」
「いえ、お気遣い無く。」
「俺はこんなだろ。立ったままの相手とは、話し難いんだ。頼むよ。スカリー先生。」
そう言って笑った男の顔は、それまでのいかつい印象とは打って変わって愛嬌のある顔になった。浅黒く日焼けした
肌と散髪など無縁の茶色の髪。不精髭と深く刻まれた皺の奥の緑の瞳は、思いのほか澄んでいる。そこまで言われ
たら断るのは却って失礼だ。スカリーは手近にあったダイニングの椅子を男の方に向け腰掛けた。
「それで、今息子さんは何処に?」
「ああ、南の尾根の監視小屋に。今朝早くな。発電機の部品を届けに行ったんだ。」
「それじゃあ息子さんの欠席は、あなたの怪我のせいなんですね。」
「・・うむ。まあ、そういうことになるな。」
父親は口篭ると気まずそうに目を逸らした。渋い顔で口を噤む態度は、彼も息子の欠席を望んでいるわけではない
と、如実に物語っている。
「監視員の仕事は楽じゃない。年中休み無しだ。人手不足は何処でも同じでな、欠員が出ても補充はない。おまけに
経験が無いと務まらん仕事だ。誰にでも代わりを頼めるわけじゃない。その点あいつはここで育った。山はあいつの
庭みたいなもんだ。今じゃ俺より詳しいだろう。」
一瞬父親らしい誇らしげな顔になった男は、直ぐに渋い顔で首を振った。
「そうは言ってもあいつはまだ16だ。大人と同じことをやらせる訳にはいかん。ほんの手伝いぐらいしか、やらせない
んだが、今回は俺がどじを踏んだ。身動き出来ん親父の面倒と監視員の補佐で、学校に行く間が無い。学校には俺
が欠席の電話をすると言ったんだが、自分でするからいいと断られちまった。」
そこで男はスカリーの顔をやるせなく眺め、肩を落とすと確認した。
「してないんだな。」
頷くスカリーに男は苦い顔で、困った奴だと呟いた。
「学校から電話があったはずですが・・。」
「ちょっと前の雷で電話もFAXもいかれちまった。修理しても雷の度に壊れるんだ。修理代は馬鹿高いし、すぐには直
らんし、以来携帯電話しか使ってない。そいつを学校に報告しなかったのは、俺の不精だ。あいつのせいじゃない。
何しろ無線機の方がここじゃ重要でな。電話はあんまり使わないから、気にしてなかったが、了解した。携帯の番号
を教えておく。」
男は背後の出窓に据えてある無線機の脇のメモ帳を取り、番号を走り書きして破ると、スカリーに渡した。スカリーは
乱暴な癖字で書かれた数字を確認し、お預かりします、と畳んでポケットにしまった。
 その時背後の扉が微かに軋み、音と同時にスカリーの脇を毛むくじゃらの物体が通り過ぎた。一瞬ぎょっとしたスカ
リーだが、それが男に頭を撫ぜてもらおうとカウチに前足をかけた犬だと判り、顔を綻ばせた。灰色の体毛に覆われ
た中型犬は、男の顔を舐め頭を撫ぜられると、満足したのか足元にぱたりと寝そべり、スカリーの顔を胡散臭そうに
眺める。毛並みのいいミニチュアシュナウザーは賢者のような顔でスカリーを品定めし、直ぐに興味を失い前足の上
に顎を乗せ眼を閉じてしまった。
「あの道は通れないよ。クー・・」
勝手口から入りキッチンを通り過ぎ居間の戸口に立った青年は、そこにいる人物を認め言葉を宙に浮かせたまま顔を
強張らせ、一瞬呆然と立ち尽くした。が、すぐに気を取り直し背中のリュックを床に下ろすと、色褪せた紺色のキャップ
を脱いでスカリーに小さく会釈し、ごく自然に退室しようとする。
「待つんだ。ジョン。ちゃんと先生に挨拶をしないか。」
父親の声に振り返った青年は戸口まで戻ると、キャップを両手で握りつぶしながら、スカリーに挨拶した。
「おはようございます。スカリー先生。」
青年は上目にちらりとスカリーを見てから、もう用は無いだろうという顔でキャップを被ると、再び勝手口へ向かう。し
かし父親に名を呼ばれ、怪訝そうな顔で戻って来た。
「ちょっと待て、何処に行く気だ?」
「朝飯。」
「俺もまだだぞ。」
「今作るよ。」
「朝飯を作るのに、何で外に行く必要があるんだ?」
その質問に青年は妙な顔で父親を見返す。
「鶏小屋。」
「鶏小屋?・・・・そうか。卵か。まあ、いい。とにかくそんなものは後でいいから、そこへ座れ。」
青年は渋々居間に入ると、ダイニングテーブルのスカリーから一番遠く離れたところに椅子を移動させ、すとんと腰を
下ろした。次に青年はキャップを脱いでテーブルの上に置き、所在無げにキャップの綻びを触りながら、黙ってしまう。
スカリーはその様子を眺め、ようやくこの青年のことを、思い出した。
 今まで散々この生徒について話しながら、とうの本人が誰なのか、実はスカリーには分かっていなかった。一学期
中保健に関する授業が無く担当するクラスも無い上、病気や怪我で医務室に通う生徒、あるいは特に素行の目立つ
生徒以外、生徒と接触する機会が少ないスカリーが知らないのは当然だ。面識がないのに今回彼がスカリーの注意
を引いたのは、その欠席の多さと、一週間の無断欠席と言う異例の事態だった。
 又欠席だわ。と、仕事柄毎日各クラスの名簿を確認する度眼に留まる名前に、スカリーは不信感を募らせていた。
あまり気になったので、二学期が始まると直ぐに生徒の健康診断書を調べた。それによれば、彼の健康状態は良好
とあるし、体格も特に問題は無い。それでは学校での生活に何かあるのかと疑問に思い、青年の教科を受け持つ同
僚から、少し情報収集してみたが、成績や授業態度も、特に目立った問題は無さそうだった。それなら何故この生徒
は学校に来ないのだろう。
 そして今回の一週間無断欠席。これを医務担当として見過ごすことは出来ず、担任に確認を取ろうとしたのだが、
担任のあのやる気のない態度。如何にもこうなったのは担任にむかっ腹の立った行きがかり上で、その実名簿上の
生徒の顔は、今こうして目の前に座るまで、殆ど思い出せなかった。だがキャップを触る青年の仕草に、スカリーは
見覚えがあった。そうか。この子だったんだわ。スカリーは蘇った記憶に微笑んだ。

 それは赴任して2ヶ月が過ぎる頃だった。既にスカリーは生徒の崇拝を集めていたが、彼女自身はこの動物園のよ
うなむさくるしい輩ばかりの学校に、些か辟易していた。最近の男子生徒は、身体ばかりは大人並みだが、幼稚で
騒々しく加えて厚かましいことこの上ない。誰も彼も自己主張することばかりに長けていて、彼女を慕って纏わりつく
気持ちは分からないではないが、加減と言うことを知らない。毎日毎日大盛況の医務室に、スカリーはすっかり嫌気
がさし早くも来年の赴任先を考えていた。
 その日スカリーは、古い保健の資料を大量に抱え二階の廊下を歩いていた。始業ベルが鳴り、慌しい登校の気配
に、何気なく外を見下ろせば、自転車置き場で若い女性事務員が、通勤自転車を止め鍵を掛けようとショルダーバッ
グを引っ掻き回している。彼女がショルダーバックの底から、やっとのことで鍵を取り出した時、何かの弾みで肘が自
転車に当たり、その拍子に彼女の自転車が倒れ、呆然とする彼女の目の前で他の自転車が将棋倒しに倒れて行
く。
 大変だわ。とスカリーは直ぐにでも駆け寄り手助けしたかったが、何せここは二階だしそれに両手に抱えたものが
邪魔だ。一つ残らずなぎ倒された自転車を前におろおろする職員を、側を通る生徒達は、薄笑いを浮かべ我関せずと
足早に通用門に向かう。全く。なんて連中かしら。今時の男ってこれだから。 
 ところがそう思った時、通用門にいた生徒の1人が戻って職員を手伝い出した。その生徒は黙っててきぱきと自転
車を直し、手際良く全部を元通りにして、そのまま立ち去ろうとする。慌てて職員が礼を言おうと追い縋るように引き
止めれば、困ったような顔で色褪せたキャップを脱ぎ、両手でぎゅうぎゅう握りつぶしていたのだ。遠めで顔は良く見
えなかったが、言葉も返さず逃げるようにその場を離れる生徒を見て、スカリーは何となく、この高校もまだまだ捨て
たもんじゃないわ。と認識を新たにしたのだ。

 その時味わった清々しい気持ちが蘇り、我知らず微笑んでいたスカリーは、次第に剣呑となる会話で現実に引き戻
された。
「何だってお前は電話しなかったんだ?」
「したよ。」
「何時だ?」
「月曜の朝一番に。」
「嘘じゃないんだな。」
「違う。」
「本当に月曜の朝一番で連絡したのか?」
「本当。」
「じゃあ何でここにスカリー先生が来てるんだ?」
「・・・さあ。父さんに用事?」
「お前にだ。馬鹿野郎。」
父親の言葉に、青年は唇を引き結ぶと、手にしたキャップを放り出した。
「何だよ。それ。」
「いいか。学校はお前が一週間も無断欠席ってことで大騒ぎだ。校長先生、担任、皆が心配してくれてたんだぞ。し
かもスカリー先生はな、お前を心配してこんなところまで様子を見に来て下さったんだ。そんなことも分からねえの
か。」
「分かるかよ。連絡はしたんだ。」
「このやろ。まだそんな嘘を・・・」
打って変わって乱暴な口調になった2人は、既にスカリーの存在など忘れているようだった。身体を起こし腕まくりをす
る父親を見て、勢い良く立ち上がった青年は、テーブル越しに父親を睨みつける。スカリーは慌てて2人の間に立ち、
止めに入った。
「ちょっと待って下さい。2人とも落着いて。」
「放っといて下さい。先生。生意気言いやがって、こいつは。親に嘘を吐くとは、とんでもねえ大馬鹿野郎だ。その腐っ
た根性を叩き直してやるから、とっととこっちへ来やがれ!」
「何を言ってるんですか!ドゲットさん、あなたは怪我をしているんですよ。安静にしなくては。」
「嬉しいねえ。俺の心配までしてくださるとは。こんな優しい先生を心配させるとは、我が息子ながら全く申し訳が無
い。」
スカリーに向かって情けない顔で嘆いた父親は、再び息子を睨みつけた。
「ぼけっと突っ立ってないで、さっさと先生に謝らんか!この馬鹿息子。」
すると青年はうんざりと顔を背け、ジーンズの後ろポケットから何かを取り出し、ぽいっと父親の胸元に放る。咄嗟に
受け止めた父親は、手にしたものを眺め首を傾げた。
「何だ?携帯なんざ放って寄越して、どう言うつもりだ?」
「・・・・履歴。」
不機嫌に呟いたその言葉に、スカリーははっとして青年の顔を見た。青年は腕を組み俯くと、憮然とした顔で父親を
睨んでいる。未だ何のことか分からない父親に、スカリーは向き直った。
「携帯からなら、発信履歴が残ってるはずです。」
「発信履歴か。成る程。」
父親はすぐさま確認し、あったぞ、と声を上げた後、咎めるような息子の視線に気付き、ばつの悪い顔で頭を掻いた。
「良かったですね。じゃあきっと、こちらの連絡ミスでしょう。」
スカリーはそっぽを向き合う親子の、気まずいその場を何とかとりなそうと明るく笑いかけ、今度は青年に向き直っ
た。
「電話した時、誰が対応したか覚えてる?」
すると青年は複雑な表情で、口を噤んでいる。明らかに覚えているが、言いたくないという風情だ。
「心配しないで。誰もあなたが告げ口したなんて思わないわ。只、確かめたいことがあるの。誰だった?」
スカリーが柔らかく促すと、それでも尚口幅ったい様子で、ようやく青年は答えた。
「・・・・事務の・・。」
「アリソンね。」
後を引き取ったスカリーに、青年は驚いた眼を向ける。スカリーは頷くと、微笑みかけた。
「それで分かったわ。月曜日アリソンは朝から熱があったの。出勤した私は彼女の様子に気付いて、直ぐに早退させ
たのよ。結局アリソンは風邪で3日欠勤して、出てきた木曜日は溜まった仕事に追われておおわらわだった。だから
上手く伝わらなかったんでしょう。」
「アリソンって、雑貨屋の娘か?」
「え?ああ、そうです。」
突然割って入った父親は、したり顔で頷く。
「あそこの一族はみんなそうだ。ちょっとな、抜けてる。」
父さん。いきなり遮った青年の低い声は、窘めるような響きがあった。ところがとうの父親は平然と、何だ、と聞き返
す。青年が顔を顰め息を吐き出し黙って片手を出せば、父親は焦れったそうに繰り返した。
「だから、何だ。」
「携帯。」
「あ?おお、そうだったな。」
父親が投げた携帯電話をジーンズのポケットにしまった青年は、ちらりと父親に視線を投げ、優雅な動作で椅子を戻
し部屋を出ようとする。
「待てよ、おい。何処に行く気だ?」
「鶏小屋。」
「鶏小屋ってなあ。さっきからお前は。いいからちょっと来い。」
「まだ何か?」
青年は渋々戻ったが、今度は座らずに椅子の背に両手を着き、何処と無く不服そうに尋ねる。
「せっかく先生がこうして来てくださってるんだ。何時から学校に行くのか、ちゃんと伝えなきゃ駄目じゃねえか。」
「そりゃ、父さんが治ったらさ。」
「何言ってんだ。そんなもん待ってたら一ヶ月かかるぞ。そんなに休ませれるか。来週から行くんだよ。」
「馬鹿言ってら。」
ふんと鼻を鳴らし呟いた青年の言葉に、父親は目を剥いた。
「何だと!?」
「別に。」
「惚けるな。聞こえたぞ。親に向かって馬鹿とは何だ。もういっぺん言ってみろ!」
「だって1人で困るのは、父さんじゃないか。」
肩を竦めてそう言う青年は、父親に比べて酷く冷静だ。
「お前なんかいなくても、別に俺は困らねえぞ。」
「よく言うよ。1人じゃトイレにも行けないくせに。」
「ばっ・・馬鹿お前、何を。せ、先生の前で・・」
顔を真っ赤にしてうろたえる父親を横目で眺め、何を気取ってんだか、と青年は呆れた口調で首を振る。スカリーは親
子のやりとりに苦笑すると、折衷案を持ち出しだ。
 スカリーの提案とは、父親のギブスが外れるまでの間午前中のみの登校とし、その代わり土曜日の補習授業を受
けること。どの道このまま一ヶ月休み続けたら、出席日数が足りなくなり退学になるし、かといってこんな山奥まで息
子に代わり、父親の面倒を見に来る親類縁者はいないらしく、2人ともその提案を受け入れるしかなかった。
 その後、朝食を一緒に如何ですかと父親に誘われたが、済ませたからと丁重に断り、スカリーは忘れていた各教
科一週間分の宿題を取りに一旦車まで戻った。スカリーが宿題のファイルを抱えて玄関口に立てば、中では再びさっ
きの続きの真っ最中だ。
「全くお前は一体何なんだ。鶏小屋、鶏小屋って。何だって今朝に限ってそんなに鶏小屋に行きたがるんだ?」
「そりゃ出かける前に、腹ペコだから帰ったらすぐ目玉焼き作れって、煩かったのはそっちだろ。」
「煩かったぁ?そんなことはねえぞ。それよりお前の態度だ。失礼にも程があるぞ。」
「失礼?何処が?」
「あんな綺麗な先生にだな、トイレの話を持ち出すとは、一体全体どういう了見だ。」
「事実だろ。それより俺に言わせりゃ、クーパーの方がよっぽど変だぜ。何だよ‘朝食’ってのは。‘エサ’じゃねえ
の?」
「だからお前は子供なんだ。俺はお前と違って、T.P.Oってやつを心得てるんだよ。」
すると青年は突然げらげら笑い出した。
「T.P.O!?クーパー、意味知ってんの?」
「爺い扱いすんな。俺だってそのくらい知ってるぞ。」
ああ、はいはい。と適当に頷く青年を父親は何かを言いたそうに眺めていたが、何だよ、と視線に気付いた青年に促
され口篭りながら、ようやく痞えた言葉を吐き出した。
「ああ、・・・・ジョン。そのう、さっきのことだが。・・・いや、疑ったりして悪かった。済まなかったな。」
すると青年は、ふうん、と顎を上げ眼を細めて居心地の悪そうな父親を眺め、にやりと笑う。
「分かりゃいいんだよ。」
笑いを含んだ声は、仲直りの意を示しており、二人は顔を見合わせ如何にも気心知れた風に笑いあう。直ぐに父親
は、けろりとした顔で言い訳めいた話を持ち出した。
「いや、何しろ朝っぱらから母さんそっくりな美人が戸口に立っちゃ、幾ら俺でも舞い上がって判断も鈍るってもんさ」
「女と見れば、又それかよ。いい加減老眼鏡買えば?」
「老眼鏡?そんなもん無くてもちゃんと見えてるぞ。」
「へえ。本当?だって母さんは眼も髪も茶色だったし、背も高かった。スカリー先生とは全然似てないよ。」
「美人だってのは同じだ。」
「はあ?母さんそっくりって、それ?・・・・・・呆けたんじゃねえの。」
「何だとぅ?」
立ち聞きは楽しかったが、険悪になりそうな雰囲気に、スカリーは大きな咳払いをして、扉を開けた。お待たせして、
と言いながら視線を向けた二人は、ぴたりと話すのを止め同時にスカリーを見た。青年は何事も無かったかのように、
黙ってファイルを受け取り中をぱらぱらと見てから、ありがとうございます、とスカリーに小さく礼を言うと、床に置いた
リュックの中にしまった。
 学校には私が連絡しておきます、とスカリーは微笑んで帰ろうとすれば、部屋の奥にいた青年は、ごく自然にスカリ
ーを追い越し扉を開ける。スカリーはたった今の野卑な言い争いからは、ちょっと想像出来ない青年の仕草に面食ら
って棒立ちになれば、その背後から父親が改まった声をかけた。
「今朝はわざわざすいませんでしたね。先生。こいつは来週から、きっちり学校へやりますんで、心配要りません。そ
うだな。ジョン。」
「父さん次第。」
「何だ?俺より自分の心配してろ。」
「よく言うよ。心配なのはそっちだろ。」
「何だと?俺の何処が心配なんだ。生意気抜かすな。」
「どうでもいいけど、朝っぱらからコーヒーのがぶ飲みは、控えなよ。」
「・・・・どういう意味だ?」
「トイレは遠いぜ。」
にやりとして投げつけた青年の言葉に、顔を真っ赤にして喚き散らす父親を、はいはい、そうですか、などと適当にあ
しらい、青年はスカリーを促して玄関から出ると、ばたんと扉を閉めてしまった。ことの成り行きに唖然として見上げて
いるスカリーに気付いた青年は、手にしたキャップを目深に被りちょっと肩を竦めて、言い訳らしき言葉を呟く。
「相手にしてると長いんで。」

車まで送ります。という青年の隣に並び、スカリーはその端整な横顔を見上げ、心の中で首を捻っていた。ここに来る
前、彼を知るどの教師に聞いても、無口で大人しいが、人と打ち解けない頑ななところがある、と言うのが、この青年
の一貫した評判だった。しかし今の父親とのやりとりを見る限り、聞いた感じとはかなり隔たりがある。確かにスカリ
ーの前では、僅かな単語を発するだけの、ブツ切れで味気ない会話しかしないが、父親だけになると、簡潔だが機知
に富む大人顔負けの話術を展開する。しかも一体あれの、何処が大人しいのだ。
 つまり彼は本当の姿を、他ではその片鱗も窺わせないほど、見せていないことになる。おまけに多分無意識なのだ
ろうが、その雰囲気態度はスカリーがいる時といない時では、狼と飼い犬ほどの差があり、それが又呆れるくらい変
わり身が早いのだ。
 スカリーがあんまりじっと見詰めているので、青年は具合が悪そうに顔を背け、スカリーの視線など気付かぬ振りを
する。スカリーはすっかり他人用の顔になってしまった青年を、興味深げに見守った。面白いわ。スカリーはちょっと突
付いて見ることにした。
「何時もあんな風なの?」
質問の意味が分からないと、青年は眉間に皺を寄せ首を傾げたが、察しのいいスカリーには白々しく映るだけだ。
「何でも言いたいことを言い合って。・・時には喧嘩も?」
「何でもってわけじゃ・・。喧嘩はまあ・・・。」
小首を傾げ見上げるスカリーの視線を眩しそうに避け、青年は慎重に口を切る。しかし相変わらず会話はブツ切れ
だ。これは手強いわ。スカリーは俯いて微笑みながら、戦術を練った。質問されるのは嫌いみたいね。スカリーは不
意に顔を上げ、青年の視線を捉えて、にっこりと笑いかけた。それこそまさしく、可憐な花のような風情で。すると青年
は俯いてキャップを更に深く被り直す。おかげで表情はキャップの鍔の陰になって見えなくなったが、耳の先が赤くな
っている。スカリーはほくそえんだ。
「仲がいいのね。」
「そうしなきゃここじゃ暮らせません。」
「二人暮しのこつね。」
「そんな気楽なものじゃ・・」
いいかけて青年は無表情に言葉を途切れさせた。それは説明しても分からないだろうと、そんな風に彼女の眼には
映った。見くびられたものね。しかしスカリーには、ここで引き下がる気など無い。対処法は幾らでもあるのだ。その済
ました顔から、素顔を引きずり出してあげる。
「いいお父さんだわ。」
「さあ。」
「そう思わないの?」
「他を知らないので。」
「ああ、そう言うこと。だけど客観的に見ても、とてもいいお父さんよ。世の中にはもっと酷い父親が大勢いるわ。違
う?」
「そんなの考えたことありません。」
青年はだんだん居心地の悪そうな顔になっている。明らかにこの話題が気に入らない様子だ。おまけに話しかけるた
び、スカリーが青年の返事を聞き取ろうと身体を寄せ、覗き込むように見上げるので、その度にぎこちなく身体を反ら
せ、スカリーから遠ざかろうとする。が、あからさまに彼女から離れないのは、幾らなんでも失礼だと心得ているから
に違いない。同じ年の子なら、喜ぶか嫌がるか、どちらかの反応をするのに、そのどちらとも取れない青年の仕草は
酷く大人びて見えた。このタイプは今時珍しいわ。スカリーは希少種に巡り合ったという期待に、わくわくしていた。又
同時に、この種は取り扱いが難しいことも思い出し、充分注意を払わなければと肝に銘じ、そろそろいい頃だと切り
出した。
「一つ聞きたいんだけど、いいかしら。」
「何です?」
「どうしてお父さんをクーパーって呼ぶの?」
案の定青年は、目を見張ってさっとスカリーを見た。その瞳が青空を写したような美しい色なのに気付き、スカリーは
どきんと鼓動が打つのを覚え、そっと息を整える。相手は子供よ。馬鹿ね。そんなスカリーの隣で、青年は口を噤んで
地面を睨んでいる。どこか傷ついた眼をして唇を噛む仕草は、何かとんでもない失敗を指摘された子供のように頼り
無げだ。やっと口を開いた青年の声を聞く前に、スカリーはすっかり後悔していた。
「・・・・クーパーは、クーパーだから・・。」
言ってしまってから、説明になってないことに気付き、苛立った眼をして青年は、きゅっと唇を引き結んだ。これ以上は
無理だわ。スカリーは引き際を心得ていた。そして自分が本当に望んでいたのは、父親にしか見せない、柔らかな低
い声と親しげな眼差しを相手に向け優雅な動作でくつろぐ絶滅種の姿だと気付いたのだ。
 丁度車のところまで来ていたので、スカリーは立ち止まると、何事も無かったかのように青年に向き直った。そして
反省の意味も込めて、青年の眼を真っ直ぐ見詰め、本当に暫くぶりの嘘偽りの無い、心からの笑顔を向けた。
「送ってくれてありがとう。今日はあなたの様子が分かったから、来て良かったわ。校長先生と担任には上手く私から
伝えておきます。事情が事情だし、土曜日の補修授業に出れば問題ないはずよ。だから土曜日は、絶対に休まない
で頂戴ね。」
青年に向けたスカリーの優しげな口調と輝く笑顔は、彼を狼狽させるのに充分だった。頬を染めまともにスカリーの顔
が見られず、所在無げに視線をあちらこちらへと彷徨わせる。スカリーはその様子を微笑ましく見ながら、休まないで
ね、と念押しすれば、下を向きうなじの辺りをばりばり掻き、黙って何度も首を振る。スカリーはくすりと笑い、じゃあ、
と言って片手を差し出した。目の前に差し出された、白くほっそりとした手を眺め、青年は不思議そうな顔でスカリーを
見た。
「握手。話が上手く纏まったでしょ。」
如何にも当然と言うスカリーに気おされ、ああ、と頷いた青年はキャップを脱ぎ、手を出しかけたが止め、ジーンズの
腿で何度もごしごしと掌を擦る。その仕草はスカリーの更なる笑いを誘ったが、青年の真面目腐った顔を見て慌てて
引っ込めた。差し出された青年の手は、握ってみると見かけよりずっと大きく、掌はまめだらけで荒れている。自分の
手をすっぽりと暖かく包んでしまうその手を力強く握れば、青年はそっと握り返しおずおずと手を離した。
 商談成立とばかりにスカリーは満足げに頷き、車のドアを開けたが、乗り込もうとするスカリーの背後で、先生と呼
ぶ声がする。何かと肩越しに振り返れば、青年は何かを言いたそうな顔で、手にしたキャップを両手で握り締めてい
る。スカリーはもしかしたらと、期待に胸を膨らませ、出来るだけ自然な素振りで青年に向き直った。
「何かしら?」
青年は唇の端を噛み、どう言おうか考えあぐねているようだった。不安そうなその心情は、何よりぎゅうぎゅうと力一
杯絞られた、哀れなキャップが物語っている。何をそんなに躊躇っているのだろうと、スカリーは話し易くなる手助けを
することにした。
「お父さんのこと?」
青年は顔を顰め、頷くとも頷かないともとれる仕草をする。
「何か言い忘れたことでもあるのかしら。だったら遠慮はいらないのよ。何でも言いなさい。」
しかしそれでも尚、青年は言葉に詰まっている。
「どんなことでも、いいのよ。相談に乗るわ。」 
スカリーは平静を装っていたが、実はかなり焦れていた。だが職業柄それを生徒に感づかれない術には長けている。
この時も完璧にそんな気配は隠せていたはずだ。しかしまるでスカリーの苛立ちが伝わったかのように、青年は口を
開く。
「その、このことをみんなに、大袈裟に言わないで欲しいんです。」
「大袈裟に言うつもりは無いわ。でも、どうして?あなたは別にサボって、学校に行かなかったわけじゃないでしょ
う。」
青年は眉間に皺を寄せ、足元の土をスニーカーで掘りながら、俯いたままぼそぼそと呟く。
「下の連中に知れると、色々と煩いんで・・。」 
青年の言葉は、赴任したてのスカリーにはぴんと来るものでは無かったが、その話し辛そうな様子から、何か事情が
あるらしいことは理解出来る。スカリーが眼を細め、怪訝そうな顔で青年を見上げれば、視線を彷徨わせ取り繕うよう
な苦笑いを浮かべて肩を竦めた。
「父さんがあれだから・・、その・・。」
スカリーが青年の父親の言動を思い出し、この父子が町でどんな評価を得ているか、予想するのは容易い。それは
学校よりも更に厳しいものかもしれない。閉鎖的な町の中で、槍玉に上げられるのは、常に枠から外れた人達だ。そ
して彼の父親は、何処をどう見ても、枠の外にいる。スカリーは父子の置かれている状況をおぼろげに理解すると、
安心させるように頷いた。
「分かったわ。校長と担任にだけ話すことにしましょう。」
「ありがとうございます。スカリー先生。」
明らかにほっとした顔で、青年はスカリーに初めて屈託の無い笑顔を向けた。その笑顔はスカリーに、とてつもない
戦利品のように映り、自然と気分が高揚してくる。この後、思いがけない落とし穴が、用意されてるとも知らず。
「お安い御用よ。」
「バスケのコーチに言うのは構いません。」
「コーチ?何故?」
「話をするのが面倒で・・。お願いします。」
「チームに入っているの?」
青年は苦笑すると首を振る。そして手にしたキャップを目深に被り、きっぱりとした口調でこう言った。
「でも入れと言われました。断ったんですが、まだその・・。時間が無いと言っても聞いてくれないし。」
そこでスカリーは、そう言えばバスケットのコーチである化学教師が、いい選手を見つけたから二学期に入ってずっと
勧誘してるが中々うんと言わないんだ、と零しているのを思い出した。それが目の前にいる青年だったとは。スカリー
は無口なこの青年が、弁の立つコーチに反論する間もなく押し捲られている図を想像し、それはさぞかし苦痛だった
ろうと、同情を禁じえない。しかしそこで浮かぶ疑問がある。スカリーは慎重に尋ねた。
「いいけれど。でも何故私に?」
「明日会ったついでに・・・・」
「ついでって。明日は日曜日よ。」
青年が不意に下を向くと、キャップが濃い影を落とし、表情が隠れてしまう。しかしその奥から発せられた声は、明ら
かに不本意な響きを含んでいた。
「明日デートなんでしょう?」
「何ですって!?」
思わず声を張り上げてしまったスカリーに、青年は不思議そうな顔でちらりとスカリーを見る。
「違うんですか?」
「あなた、何を言ってるか、分かってるの?」
「勿論。あれ?おかしいな。確かにそう聞いたけど。」
「き、聞いたですって!?誰がそんな・・。」
「誰って、下のもんみんなです。知らなかったんですか?」
スカリーは憤慨した顔で首を振り、忌々しげに息を吐き出して、これだからと、不平を漏らした。別に秘密にするつもり
は無いが、町中に知れ渡るほど噂になるのもご免だ。幾ら狭い町でも町中が知っているとは、恐らく吹聴している人
間がいるのだ。スカリーは心当たりの人物に、明日会ったらきっちりお灸を据えてやろうと心に決め、そっと微笑ん
だ。
 するとそれまで黙ってスカリーを見ていた青年が、まるで彼女の心を読みそれに呼応するかの如く俯いたまま薄く
笑った。それはさっき見せた、屈託のない明るい笑顔とは違い、陰謀の共犯者的なものを匂わせ、何も言わず只微
笑む姿には既に大人の男の風格がある。それはスカリーの眼を見張らせると共に、微かな疑問も抱かせる。なんと
なく釈然としない。まさかとは思うが、私をからかっていたの?
 だが再び顔を上げた青年には、既にその痕跡は無い。じゃあ、よろしくお願いします、などと殊勝な声で呟き、仕方
なく頷いたスカリーが車に乗り込むと、丁寧にドアを閉めた。
  
 車を走らせるスカリーはバックミラーに小さくなる人影が、じっとそこに佇み見送っているのを確認していた。日は高
く山は緑に萌え、尾根から吹き降ろす風は爽やかだ。そしてスカリーの心にも一陣の爽やかな風が、到来しようとし
ていた。



















※後書き 
何だかどんどん長くなっています。おかしいなあ。しかも、この話は2人の出会いを描いたものです。と、言うことは・・・・・・。うーん。この先
どうしよう。皆さんの要望希望感想。お待ちしております。
2003.8.29


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