4−(1)

                             【 完璧な暗殺者 】

                                 (1)


 翌朝、朝食を済ませたドゲットは、ベンの仕事部屋でPCに向かうベンを警護中、部屋の隅に置かれた低いテーブル
でP226の分解掃除をしながら、今朝眼を覚ました時のことを思い出していた。

 夢を見ていた。月明かりの林をゆっくりと歩きながら、少し前を歩く古風なドレスを纏った女性の後姿を、飽きること
なく眺めている。ギネヴィア。緑のドレスと、金のティアラは、処刑されそうな彼女をさらい追っ手を逃れ『喜びの城』へ
向かった時のものだ。時折、彼女の言葉に黙って頷いていると、自分は誰で、ここは何処なのかなどという疑問は、
どうでもよくなってくる。そうだ。これは、夢なのだから。突然茂みから、鹿が飛び出す。身体を強張らせ怯えたように
身を竦める彼女を、咄嗟に庇い抱き寄せれば、すっぽりと両腕に納まった。震えている。彼女は、何時も悲しみや苦
しみに耐え、寂しさを堪えて毅然としてまっすぐに立つ。しかし自分の心の奥の眼には、暗闇に怯え孤独に苛まれ悲
しみに涙している小さな彼女の姿が、映る。そう、見えてしまうのだ。彼女が隠そうとすればするほど、まるで本でも
読むように、彼女の心の内が、目の前にいる彼女の姿に重なり、その都度、無意識に身体が反応している自分がい
た。寒ければ暖かく、疲れていれば休ませ、苛立っていれば和ませる。それは、条件反射にも似て、なんら作為的な
ものでは無かった。
 不意に彼女は身を捩ると、顔を上に向け、自分に微笑みかけた。エージェント・スカリー?ギネヴィアじゃなかったの
か。ああ、夢だからな。夢じゃなかったら、こんなことはありえない。するとスカリーはドゲットの頬に手を滑らし、その
感触に信じられないほどの幸福感が胸を満たす。思わず抱き寄せた腕に力を込めれば、安心したようにスカリーはド
ゲットに身体を預ける。俯くとスカリーの髪から芳しい香りが漂い、溢れてきた感情に溺れそうになる。そうだ。溺れた
っていいのだ。これは夢だから。スカリーの柔らかな髪に頬を寄せ、その香りで胸を一杯にしようとしたところで、いき
なり誰かに肩を掴まれ強く、揺さぶられた。何だよ、一体?と、いいところを邪魔され不機嫌に振りほどこうとした。す
ると、数倍不機嫌な自分の声が聞こえ、一瞬の混乱の後、眼を開けた。
「いつまで寝てやがる。交代だ。」
俺?ドゲットは方肘を着き半身を起こすと、片手で顔を覆った。俺じゃない。リオだ。そうか、夕べ。ドゲットは仏頂面で
自分を見下ろすリオを、ようやく認識した。続いて自分が昨日と同じ格好で眠ってしまったことに気付いた。身体にか
けていたのは、コート。しかもさっきまで、腕の中にあったのは、夕べスカリーに貸したはずのジャケットだった。これを
したのが誰か、おおよその見当がつく。すると、いつの間にかドゲットのPCを覗き込んでいたリオが身体を起こした。
「お、お隣さんはもう、一階に行くようだぜ。お前も早く支度しねえと、ねえちゃんにどやされるぞ。」
さあ、寝るか。とリオはあくびをして、UZIを抱え部屋を出て行った。ドゲットはそれを見送ってから、両手で頭を抱え
た。リオがどうやってこの部屋に入ったかなど、考えたくも無い。そんなことより、と、ドゲットはばりばりと頭を掻き毟っ
た。あの夢は何だ。とても同僚に対して見る夢じゃない。しかも、感触や匂いまで生々しく身体に残っている。その
時、手に触れたジャケットが眼に入った。躊躇った後、両手で掴み襟元に顔を埋める。蘇ったのは、言い知れぬ幸福
感と、夢で抱いたスカリーの感触だ。
 移り香。あの夢は、スカリーの残した移り香と、夕べの出来事の記憶が見せたものなのだ。突然ドゲットは、自分の
していることに気付き、顔を赤らめた。何をしてるんだ、俺は。ジャケットを下ろし、夢の欠片が漂う頭の中を、必死で
納まりつけようと乱暴に首を振り、自分に言い聞かせた。
「不謹慎だぞ。仕事だ。仕事。」

「ベレッタじゃ、無いんだね。」
え?と突然現実に引き戻され、顔を上げれば、椅子の背にもたれコーヒーを啜るベンと眼が合った。
「ええ、まあ。」
「君みたいな、スーパーコップは、みんなああいう銃を持ってると思ってた。事実、僕も現役時代はベレッタだったか
ら。」
「スペアは、そうです。」
ドゲットは作業を続けながら、素っ気無く答えた。その言葉にベンは身を乗り出すと、ドゲットのヒップホルスターの銃
を覗き見て頷いた。
「何故スペア?そうか、確か軍にいたんだな。」
「ええ、海兵隊。」
「何年?」
「77年〜83年。」
「ははあ、過度期だ。」
「支給される銃の種類は多かったですね。」
「83年というと、ベレッタが制式採用される前だな。確かSIG-P226も候補だった。P226の方が使いやすい?」
「ベレッタは隣で撃ってる奴のスライドが破断したのを、見てますからね。今は改良されてますが、何となく。これは
SEALの友人の勧めで。僕としては丈夫で故障さえしなければ、どちらでも構わないんですが。」
「特にこだわりはないのかい?」
「所詮、道具ですから。」
そう答えて、慣れた手つきで組み立てに入るドゲットを見ていたベンは、試すような眼をして問いかけた。
「その割には、念入りだったな。」
「自分に合った銃を選ぶのも、それをベストコンディションで保つのも、捜査官の義務です。」
ドゲットは組み立て終わったP226をショルダーホルスターに戻し眼を上げると、ドゲットを眺めにやにやしているベンの
表情に気付いた。
「何か?」
「・・・いや、君とリオって、本当に中身は全く違うんだな。と、思ってさ。」
「他人ですから。」
さも当たり前だという口調でドゲットが答えれば、突然ベンは吹き出した。そりゃ、そうだと、暫く笑い続けたベンは、
捲り上げていたYシャツの袖を直しながら妙な顔をしているドゲットに気付き、ようやく笑いを引っ込めた。いや、失礼。
などと言って座りなおし、それでもまだ愉快そうに話しかけてきた。
「夕べ、リオとやり合ったそうだね。」
「いえ。別に。」
「隠すなよ。リオから話は聞いてるんだ。随分きついことを言ったみたいじゃないか。」
「そうですか?」
ベンは、ともすれば会話が途切れそうになるドゲットの返答に、眼を細めた。
「リオが嫌いかい?」
するとドゲットは、又かという顔で、無愛想にいいえと答え、上着を羽織ると清掃キットを内ポケットにしまった。
「そりゃ、良かった。君達には仲良くしてもらわないと。あれで、結構いい奴なんだ。武器の調達と扱いはエキスパー
トだしね。君、リオの部屋に入ったことがあるかい?あのコレクションは、中々見ものだよ。」
「遠慮します。」
即座にドゲットが答えたので、やっぱりと言う顔でベンが言った。
「ほら、嫌いなんだ。」
「違います。」
「じゃ、何で?」
「数少ない味方になるかもしれない人間を、逮捕することになりかねないからです。フルオートのUZIを持つような人間
が、他にどれだけ違法な銃器を所持してるのか、予測するのは簡単ですから。」
ベンは、全くだと笑った。が、訝しげな表情になると、聞き返した。
「味方になるかもしれないって?」
「彼は、今ひとつ信用できません。」
「そりゃ君、お互い様だよ。」
「それは、そうですが・・。個人的にラナの話は信じます。」
「パートナーは?」
「同意見です。」
ベンはふうんと頷くと、机に肘を着き両手を顔の前で組み合わせた。
「リオは信用していい。」
自信たっぷりに言い切るベンの言葉に、ドゲットは顔を顰めた。ベンは一度リオに裏切られている。すると含みのある
顔でベンは言った。
「保険がある。」
何のことか分からず問いかけるようにベンを見詰めると、その内分かるさ。と肩を竦め、何気ない口調でとんでもなく
重要な話を始めた。
「3日後ここで、パーティーをするんだ。君達の都合は?」
「何っ!?」
ドゲットは思わず、立ち上がった。命を狙われている人間がパーティーをするなど、どういうつもりなのだ。警護する側
の人間は4人だが、ラナがどの程度その類に精通しているか分からないし、スカリーは接近戦向きとは言い難い。し
かも、聞くところによると、相手は挌闘タイプだ。主戦力は2人と考えていいだろう。プロの暗殺者相手に、2人という
数は微妙だ。長期戦でも、ここで待ち構えていれば、活路が開けるかもと思っていたが、どうしてわざわざ相手に付
け入る隙を与えるのだ。
 立ち上がったドゲットの顔に、様々な疑問が浮かんでは消えるのを、ベンは面白そうに眺めていた。それでも、ドゲ
ットが口を開かないのは、ベンが出した条件を、律儀に守っているからだと彼は気付いていた。ベンはくすりと笑って
呟いた。
「君って、つくづく真面目人間なんだねえ。」
間延びしたベンの言葉に、ドゲットはすとんと椅子に腰を落とし、片手で顔を撫でてから、鋭い眼差しを向けた。
「延期や中止はしない。」
「勿論。」
「これ以上警護の増員をする気も無い。」
「当然。」
「こちらは4人だけ。」
「それは、少し違うな。君も分かってるだろう。」
「女性は戦力外。」
「聞いたら怒るだろうがね。只単に、腕力の差だ。」
「銃器のみで立ち向かえる相手じゃない。」
「そういうこと。・・・・やっと、普通に話せるようになったな。」
ドゲットが何時の間にか、同僚と話すような口調になっていることに、ベンは気を良くしたようだった。一方ドゲットは、
再び湧き上がってくる数々の疑問に、頭を悩ませていた。俯いてしきりに自分の顎の辺りを擦っている。パーティー。
どういうパーティーなのだ。規模は?もし、相手が人質でも取ったらどうなる。巻き添えになる人間が出るぞ。たった4
人で、ベンを警護しながら、他の人間の安全も確保できるのか?いくらなんでも、無理だ。自然と口をついた言葉は、
独り言に似せていたが、明らかにベンに向けられたものだ。
「死傷者が出る。」
「かもしれない。」
「関係ない人間でも。」
「僕の知ったことじゃない。」
冷たく言い放ったベンの言葉に、ドゲットは眼を見張ると絶句した。ベンはドゲットの視線を平然と受け止め、椅子の
背にもたれ、ゆっくりと両手を擦り合わせた。
「僕はねえ、エージェント・ドゲット。絶対に死ねないんだ。だから僕以外の人間が死のうが生きようが、そんなことに
はあんまり興味が無い。パーティーに来る客達全て、そうさ。彼らは、僕の開くパーティーが非常に危険だと、承知し
て来るんだ。ああ、ごめん。説明不足だった。このパーティーはもともと、僕のクライアント向けに開いていたんだけ
ど、何時の間にか、武器を扱っている企業や、ディーラーの見本市みたいになってしまって、ある時襲撃があったん
だ。そうしたら、どういうわけか、却ってそれが裏で評判になってしまってね。以来、僕のパーティーに来る連中は、危
険を承知でやってくる。」
「馬鹿げてる。」
「そうさ。スリルの為なら金も命も厭わない。結構胡乱な人間ばかりだ。彼らに比べたら、リオなんて可愛いもんさ。そ
んな人間が巻き添えでどうなろうと、僕は一向に気にしないね。」
ドゲットは黙ってベンを見詰めた。端整で優しげな風貌のこの男の、根底に流れる激しい憎しみを、垣間見たような気
がした。武器を売り買いする人間全てを、ベンは憎んでいる。彼の半生を知った今では、その憎しみも充分理解でき
たが、結局のところその原点から離れられないベンの運命は皮肉に満ちている。
 決して死ねない。その言葉に微塵もわが身の保身が無いことなど、とうに分かっていた。彼には守るべきものが、
多い。そしてそれを守るためなら、なりふり構わず行動に移すだろう。なまじっか奇麗事を並べないところが、却って
潔かった。
 そのベンが、パーティーを開くと言うのだ。策でもあるのか。パーティー。定時連絡はどうする。リオの言うように、本
部は既に別働隊を待機させているのだろうか。様々な憶測と思惑が、頭の中を掻き乱す。すると、更に彼の思考を混
乱させるような出来事が起こった。
 突然、寝室のドアが開き、裸にシーツを巻きつかせただけのラナが、寝ぼけ眼で入ってきたのだ。思わず固まるド
ゲットの前を通り過ぎ、自然な仕草でベンの膝に座ると、首に手を回しキスをする。そして満足そうに微笑んで、ベン
の身体に両腕を回したまま、頭を凭れ掛らせた。
「おはよう、ベン。」
「おはよう。よく眠れたかい?」
「うーん。ちょっと寝足りないかんじ。これって、コーヒー?」
「ああ。入れて来ようか?」
「いいわ。それ頂戴。」
ラナは、ベンからコーヒーを貰うと一口啜り、そこで初めて部屋の隅で、居心地悪そうに座るドゲットに気付いた。ラナ
はドゲットと眼が合うと、気まずそうなドゲットとは対照的に、にっこりと笑って見せた。
「おはよう、ジョン。」
「あ、ああ、おはよう。」
「リオとは仲良くしないと、駄目よ。」
一瞬にして、渋い顔になるドゲットを、二人は横目で見て、ひそひそ話をし、くすくすと笑いあう。二人にしか分からな
いジョークを耳打ちして、吹き出す。ドゲットはしだいに、そこにいるのが馬鹿馬鹿しくなってきた。
「ロスはどうだった?」
「契約成立。」
「素晴らしい。」
「ちょろいもんよ。」
「こらこら。リオみたいな口の聞き方は止めなさい。」
「ごめんなさい。パパ。」
甘ったるい雰囲気に、ドゲットはもう限界だった。何か用事を探して、一刻も早くその場を退きたかった。すると、その
辺りから、二人の会話が変化し始めたのだ。
「守備は?」
「上々。」
「餌は?」
「蒔いてきたわよ。たっぷりとね。」
「そりゃあ、いい。あとは、どれだけ集まるかだな。」
「多い方がいいの?」
「勿論。紛れ易くなる。」
「でも、その期に乗じて、襲ってきたら?」
すると、ベンはふふと笑った。
「そう思うかな。」
ああ、と納得してラナは頷くとベンと微笑み合った。と、その時立ち上がったドゲットが、間が悪そうに割って入った。
「あ、っと、僕はちょっと出てくるよ。この先の話は聞かない方がいいし、さっきのベンの話も、聞かなかったことにす
る。」
「別に構わないんだぜ。」
「いや、今後の事でパートナーと相談する必要があるからな。」
「あら、ダナにもここに来て貰って、一緒にこれからの相談をしましょうよ。」
屈託のないラナの言葉に、ドゲットは返事に窮した。するとベンがそれとなく助け舟を出した。
「ラナ。彼らは微妙な立場なんだ。」
「どういうこと?」
「FBIには規則が多いってことさ。」
良く分からないといったラナが、更に言葉を続けようとした時、ノックの音と共に仕事部屋のドアが開き、スカリーが入
ってきた。
「昼食ですが、何処で取りますか?」
が、そう声をかけたスカリーは、ドゲットが気まずそうに振り返るので、訝しげにベンに注意を向けた途端、ラナの格好
に眼を見張った。
「おはよう。ダナ。もうそんな時間?」
「え、ええ。」
スカリーはドゲットの横に並ぶと、当惑げにドゲットを見上げた。するとドゲットは、俺に聞くなと言う顔で横を向く。
「ベンはどうする?」
「ここで食べるよ。」
「じゃ、私も。私達はここで食べるわ。」
「僕らは食堂で食べてきます。エージェント・スカリー、行こう。」
ラナの答えを聞いたドゲットは、やおらスカリーの腕を掴み、戸惑った顔でベン達を見詰める彼女を廊下に引っ張りだ
し、やれやれと長い溜息を吐いた。そのまま足早に部屋を後にするドゲットに追いつき、スカリーが尋ねる。
「あれは一体、どういうことなの?」
「見たままさ。頼むからそれ以上は僕に聞かないでくれよ。」
「知らなかったわ。」
「僕もさ。それより、問題発生だ。」
「何があったの?」
「ちょっと複雑なんだ。食事しながらで、いいかい?」
ドゲットの口調に何か切羽詰ったものを感じ、スカリーは黙って頷くと食堂に向かった。

 その日の夕食前、定時連絡をする為、中扉からドゲットの部屋に入ると、クローゼットの扉を開けようとしているドゲ
ットが眼に入った。スカリーは、さっとそれを見てから、自分のPCの前に座りおもむろに声をかけた。
「Yシャツはプレスして返さないと、怒られるわよ。・・・リオ。」
ドゲットのスーツ一式を着た、それはリオだった。リオは驚き、ばれてたのか、と肩を竦め、スカリーの眼の前で遠慮
会釈なしに着替えを始めた。あっという間に下着一枚になると、手早くドゲットのスーツをハンガーに吊るし丁寧に皺を
伸ばす。スカリーはPCに向かいながら、こういう羞恥心の無いところが、ドゲットとは全く違うと、リオの厚かましさに
眉を顰めた。しかし、顰めた眉の間から盗み見たリオの身体が、軟派な風貌からは予想外に逞しく鍛え抜かれてい
ることに驚いた。しかも、身体のあちこちには銃創まである。これは、ドゲットが夕べ言っていたように、相当の修羅場
を潜り抜けてきた証なのだろう。スカリーに観察されてるとも知らず、リオは代わりに放り込んであった自分の服を引
っ張り出して着ると、意味ありげな笑みを浮かべスカリーの隣の椅子に腰掛けた。
「へへ、ちょっと借りただけだよ。サイズが知りたくてさ。まあ、あいつに成り済まして遊ぶのは面白かったけどな。」
「エージェント・ドゲットは知っているの?」
「まさか。あいつは今、プールサイドだ。なあ、あいつ泳げねえのか?ベンに誘われても断ってたぞ。」
「仕事中だからよ。それに、元海兵隊の彼が泳げないわけないわ。」
「海兵隊?・・・益々嫌な野郎だな。」
するとスカリーはPCのキーボードに打ち込む手を一瞬止め、意味ありげに微笑んだ。それを目ざとく認めたリオが尋
ねた。
「何だよ。他にも何かあるのか?」
「聞かない方がいいわ。」
「おい、そこまで言っといて、そりゃ無いだろ。教えろよ。」
「・・・・彼、FBIに勤務する前は、NYPDにいたの。」
リオはその途端、げーっと身体を仰け反らせ、椅子の背に頭を乗せて天井を振り仰いだ。
「信じられねえぜ。よくもまあ、そんな糞面白くも無い仕事ばかり選べたもんだ。」
「あなたとは違うのよ。」
「悪かったな。あんたの番犬とは出来が違うんでね。」
リオの一言は一々癇に障る。
「エージェント・ドゲットは私のパートナーよ。失礼な言い方は止めて欲しいわ。」
「へえ、そうなのかい。」
「そうよ。何か文句でも?」
「別に。だが、あんたがそう思っていたとは、驚きだね。」
スカリーは手を止め、リオに向き直った。
「どういう意味?」
「さあな。」
リオは、意味ありげににんまりすると、肩を竦めた。そしてやおら、身を乗り出すと、話を変えた。
「なあ、あんたさ、腕のいいハッカー知らねえか?」
「犯罪者に知り合いはいないわ。」
「や、悪りい。言い方を間違えた。ハッカーじゃなくって、コンピューターにもの凄く詳しい奴。」
「・・・・何が目的?」
「例えばさ、政府のコンピューターに進入して、ある男の記録を書き換え、しかも、その男を二度と検索できないよう
に、トラップを仕掛けられるような奴。記録の上で完全に人間一人を、別人に出来るような奴さ。俺とラナは随分前か
らそういう奴を探してるんだ。少々やばい奴でも構わないし、金に糸目はつけねえんだが、心当たりないか?」
スカリーはリオの言葉を頭の中で反復させた。
「考えておくわ。」
「頼りにしてるぜ、ねえちゃん。」
スカリーの答えにリオは気を良くし、気安く肩を抱いたが、彼女の冷たい眼差しに慌てて手を離し、しまったと言う顔
でホールドアップして見せた。スカリーはじろりと一瞥して、黙ってPCを閉じる。するとリオは又しても話を変え、スカリ
ーの顔を覗き込んだ。
「ところでさ、今携帯してる銃は何だ。ちょっと、見せてくれよ。」
訝しげに眉を顰めるスカリーに、人懐っこい笑みを浮かべ、見るだけさ、とリオは手を差し出す。その笑顔に他意は無
さそうだと、少し、もったいぶってヒップホルスターから銃を出し、リオに手渡した。
「S&W M36チーフか。」
リオは慣れた手つきでシリンダーを開ける。バランスを見てシリンダーを戻し照準を合わせる。今までに見せたことの
無い真剣な顔つきで、リオは銃を調べながら、尋ねた。
「スペアは?」
有無をも言わさない口調だ。スカリーは黙って足首ホルスターからスペアを出し、テーブルに置いた。
「22口径のコルトだな。」
それも同じように調べ、リオはスカリーに銃を返した。
「オートマチックは使わねえのか?」
「携帯するには重いのよ。」
「じゃ、扱えるんだな。」
「勿論。」
「野郎は、P226とベレッタだったな。」
リオはそこで俯くと、腕組みをして考え込んだ。そうしてリオが真面目な顔をしていると、隣にいるのがドゲットのよう
な気がしてくる。豹変したリオを不思議そうに眺めていると、突然顔を上げ尋ねた。
「あんた銃の腕は?」
「悪くはないわ。」
「野郎は?」
「俺のことか?」
その声にぎょっとして振り返った二人の視線の先に、ドゲットが立っていた。何時からいたのだろう。上着を小脇に挟
み、ズボンのポケットに両手を突っ込んで、入り口に仁王立ちするドゲットの顔は、それと分かるほど不機嫌だった。
「お、丁度良かった。聞いていたなら、教えろよ。どうなんだ?」
リオはドゲットの様子など全く頓着無く話しかける。ドゲットは部屋に入ると、黙って二人の斜め前に立った。
「もったいぶるなよ。いいのか?悪いのか?」
「俺がこの中ではベストだ。」
「は、言うねえ。根拠でもあるのか?」
「海兵隊狙撃手訓練コースを出た。」
さすがのリオもそれには、驚いたようだった。眼を丸くするとドゲットを眺め、続いてふうんと頷き立ち上がった。
「成る程ね。良く分かったぜ。ダナ、いい銃だけどよ、あの銃は使えねえ。お前もそうだ。二人ともパーティーには別の
銃を使って貰うぜ。明日までにあんたら用の銃をアレンジしておくから、明日明後日で慣れておくんだな。射撃場はヘ
リポートの裏だ。」
そう言い残すと、リオは出て行った。後に残ったスカリーは、むすっとしてリオの後姿を睨んでいたドゲットに尋ねた。
「スナイパーだったとは、知らなかったわ。」
「違う。」
「でも、今・・。」
「薦められて訓練コースを出たが、狙撃手にはならなかった。」
「そんなことが・・。」
「偵察狙撃兵の小隊に配属されるはずが、レバノンの平和維持軍に配置転換されたんだ。82年はそういう年だっ
た。」
もういいだろうという顔で、ドゲットはスカリーを見た。その表情にスカリーは口を噤んだが、実際は驚きを隠せないで
いた。ドゲットは事も無げに言ったが、家族に海兵隊員がいるスカリーは、海兵隊狙撃手訓練コースがどれほど厳し
いか、よく知っていた。合格率40パーセントの訓練コースをクリアできる兵士など、ざらにはいない。ベストと断言する
には、余りある根拠だ。しかし、そう言われてみれば、ドゲットの射撃の腕は、仲間内でも一目置かれていた。充分に
誇っていい経歴を何故、ドゲットは明らかにしていないのだろう。
「ああ、くそ。あいつ。」
それは、クローゼットを開けたドゲットの罵る声だった。スカリーが何事かと思って立ち上がれば、ドゲットはこめかみ
に血管を浮き上がらせてYシャツを握り締めている。そっと後ろから覗き込んだスカリーの眼に、Yシャツの襟元にべっ
たりとついた口紅が飛び込んできた。覗き込むスカリーに気付いたドゲットは、慌ててそれを隠そうとしたが、一瞬早く
驚くべき速さで、スカリーに掠め取られてしまった。スカリーは狼狽するドゲットの目の前で、繁々と口紅の後を眺め、
疑いの眼差しを向けた。
「ラナの口紅じゃないわ。それに、安物の香水の匂いがする。」
「いや、それは、違う。」
「・・・・そういえば、麓の町に酒場があったわね。」
「だから、違うんだ。」
「あなたが、聞き込みに行ったわ。その時?」
「そうじゃない。これは、違う。」
スカリーは、額に汗を滲ませしどろもどろになって、無実の釈明に頭を悩ますドゲットを見るうち、堪えきれず笑い出し
た。
「分かってるわ。リオでしょう。さっき着替えてるところと鉢合わせしたの。それを着て外出したらしいわよ。」
「何だ。・・・何だよ。そうなのか。それを、早く・・」
狐につままれたようなドゲットだったが、スカリーにからかわれていたことに気付き、むっとした顔つきで、返せ、とYシ
ャツをひったくった。笑いを噛み殺し、スカリーが尋ねた。
「口紅の染みの取り方、知ってるの?」
「知らん。・・・・笑うな。」
「笑ってないわよ。それより、そのシャツどうするつもり?」
「クリーニング。」
「まあ、それは名案ね。」
「落ちなかったら、弁償させる。」
「素晴らしいわ。さすがね。」
「茶化すな。」
スカリーはとんでもないと、首を振ったが、憮然とした面持ちのドゲットを見る眼差しには、いたずらな輝きが消えない
でいる。疑わしそうなドゲットの視線を避け、夕食を食べてくるわ、とドアノブに手をかけたスカリーだったが、何かを思
い出したように振り返り言った。
「そうそう。あなたは、暫く麓の酒場には行かないほうがいいかもしれないわ。エージェント・ドゲット。それを見る限り
じゃ、リオはあなたの名を騙って相当遊んだみたいですものね。」
ドゲットのこめかみがぴくぴくと痙攣し始めた。スカリーはにっこりすると、最後の駄目押しをした。
「きっと行ったら、あなたを待ってる素敵な女性達が、群がってくるでしょうけど。」
「さっさと食事に行けっ!」
怒声と共に投げつけられたのは、ドゲットが持っていたYシャツだった。ひらりとかわしてドアを閉め、部屋から出たス
カリーはくすくす笑い始めた。暫く、ドアを背に笑っていると、今度は部屋の中から押し殺したような笑い声が聞こえだ
した。ドゲットが笑っている。スカリーはその笑い声を後に、口元を綻ばせたまま部屋を離れた。
 明日以降は、こんな風にリラックスして笑える時など、そうは巡って来ないだろう。二人とも、昼食時の打ち合わせ
で、緊張が徐々に高まりつつあるのを、肌で感じていた。全員が無傷で終わることが出来るのだろうか。そうだ。笑え
るのは今のうちなのだ。


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