4−(2)

                                  
                                  (2)

 3日後。パーティーは大盛況だった。もうすぐ11時半を回る。スカリーはバーカウンターで黒いベストにネクタイという
バーテンの格好をさせられ、早4時間。立ちっぱなしの足の痛みと、酔っ払いにカクテルを作る作業にうんざりしてい
た。10時半を境に招待客が徐々に帰り始め、一時の忙しさは無くなったものの、慣れない作業に加え、怪しい人物
がいないか常に注意を払っていなければならず、通常の倍疲労していた。
 ようやく、カクテルをお代わりをしては、その度に絡んでくるしつこい客が、仲間に引っ張られて帰って行くのを確認
し、ほっとしてカウンターのグラスを片付け始めた。ところがすぐに、バーテン、と声を掛けられ思わず不機嫌に顔を上
げると、リオがいた。
「何か?」
「ジントニック。」
スカリーは黙ってジントニックを作り、グラスに注いだ。リオはカウンターに肘を突き、一口啜ると、身体を捻り後ろのパ
ーティールームを眺め、誰に言うことなしに呟いた。
「殆ど帰ったな。」
「ええ。あのグループも、もう帰り支度をしているわ。それで最後ね。」
「ベンとラナは?」
「ピアノのところよ。」
リオがパーティールームの奥に設置してある、グランドピアノを見ると、白いタキシードを着てピアノの前に座るベン
と、その側に佇む黒いパンツスーツを着たラナの姿があった。繁々と二人を眺めリオは言った。
「絵になるな。」
「そうね。」
「それに比べ・・。」
リオは溜息をつくと、ジントニックを啜った。黒いタキシードを着たリオは、普段より数段見栄えがいい。何が不満なの
だろう。
「あら、あなただって捨てたもんじゃないわ。」
「よしてくれ。こんな格好。道化の気分だ。」
「でも、人気者だったわね。」
「見てたのか。」
「そりゃ、ここにいれば嫌でも眼に入るわ。」
リオはそうだなと頷いて肩を落としグラスを遠ざけると、カウンターに突っ伏した。目の前にあるリオの短い髪を眺め、
スカリーはカウンターに頬杖をつき尋ねた。
「リオの振りは疲れる?」
「非常に。」
ドゲットは顔を上げると、上目にスカリーを見た。今夜はずっとリオでいて欲しい。それは、ベンの指示だった。確かに
同じ顔が二つ並んでいては、混乱を招くだけだ。リオは、何処に雲隠れしたのか、朝から姿が見えない。ドゲットはラ
ナが用意したタキシードを着てリオに成り済ますと、パーティーに現れる客達の接待に追われた。
 しかも最悪なのが、リオの振り。つまり、ずっとしゃべり続けなければいけないという、無口なドゲットにとって拷問の
ような作業をこなさなければならず、隣でラナがサポートしなければ、5分と持たなかっただろう。そして、次々現れる
リオゆかりの怪しげな女達に纏わりつかれ、耳元でのきいきい声と、甘ったるい何種類もの香水の匂いに、頭ががん
がんしっぱなしだった。参った、と額に手を当てこめかみをさすっていると、ひんやりした手が頬に触れた。はっとして
眼を上げれば、スカリーが手を伸ばし、ドゲットの頬を擦っている。思わずたじろぎ、僅かに身体を逸らそうとすれば、
動かないでと釘を刺された。
「口紅がついているの。直ぐ取れるわ。」
「・・ああ、あの連中だ。」
ドゲットは思い当たる節があるのか、情けない顔で溜息をついた。スカリーは頬の口紅の後を落とし、ついで首周りに
もついていることを発見し同じように擦り落とし始めた。すると、今度は大人しくされるがままになっているドゲットの、
沈黙が気になりだした。柔らかく眼を閉じそっと息をしている。眉間に刻まれていた皺は無くなり、寛いだ表情だ。け
ばけばしい女達に抱きつかれていた時の、張り付いた笑顔と、苦痛に満ちた眼差しとは、全く違う。どんな凶悪犯罪
者にも、決してひるまないドゲットが、慣れない苦行に見る影もなく憔悴している姿は哀れで、スカリーの口調も思わ
ず、優しくなる。
「頭痛がする?」
「いや。冷たくていい気持ちだ。」
眼を閉じたまま囁くようなドゲットの言葉に、どきりとしていい訳がましい言葉が出た。
「グラスを洗っていたからよ。」
「ああ、成る程。・・・・口紅には祟られるな。」
ふっと眼を上げたドゲットはスカリーを見詰め、滲むように微笑んだ。ドゲットのこういう時の笑顔は値千金の価値があ
った。釣られて微笑み返したスカリーは、自分のしていることに気がつき、心の中で嗜めた。私ったら、何をしている
のかしら。一方ドゲットはと見れば、寛いだ雰囲気でいながらも、眼だけは油断無く光らせている。さりげなく辺りを見
回しながら、ベンの所在だけは、何時も確認を怠らない。ジントニックに見せかけたジンジャーエールを飲みながら、カ
ウンターに片肘を着き、肩越しに最後の客達が出てゆくのを眺めドゲットは呆れたように首を振った。
「とんでもないパーティーだったな。」
「まともな人間は、一人もいなかったわ。」
「ああ。ベンの言う意味が分かったよ。」
「ベンが?何を?」
「この間ラナが、客が多ければ、それに乗じて襲ってこないかと聞いたら、否定したんだ。その時は意味が分からな
かったが、あいつらを見たら一目瞭然だ。」
「・・・タキシードの下のフル装備。」
「そう。奴ら嬉しそうに自慢していたな。・・・・しかも、使いたくて使いたくて、うずうずしている。そんな連中の中で、騒
ぎを起こしたら、格好の標的だ。ここに居た全員に狩られることになっただろう。実際、それ目当てで来ている奴らば
かりだったしな。」
ドゲットは意地の悪い顔付きになると、にんまりして呟いた。
「見てろ。あいつら。何時か必ず、一人残らず検挙してやる。」
スカリーは笑ってしまった。何処までいっても呆れるほど捜査官なのだ。ドゲットはその様子に妙な顔をしたが、直ぐ
に真顔になった。
「定時連絡は?」
「10分前に。」
「次まで、後5時間か。」
スカリーは客が一人もいなくなった室内を見回し、カウンターから出ると、部屋中の戸締りをラナに指示し玄関に向か
えば、ドゲットがパーティールームの入り口で警戒に当たった。玄関の扉を開け、外を見回すと既にあれほど一杯だ
った車は一台も無く静まり返っている。
 玄関の戸締りをし、部屋に戻ると、ラナとベンは相変わらずピアノの側で談笑している。入り口に立つドゲットの横に
並び、二人を眺めながら言った。
「例の情報はどう思う?」
「リオの友人のか?」
「ええ、確かカーロスとかなんとか。昨日ベンを狙っている男が殺されたって、言ってたわね。」
「がせ、だな。」
ドゲットは即座に決め付けた。スカリーが根拠は?という顔で先を促したので入り口から離れ、窓際に移動しながら
説明した。
「僕達を油断させる為と、どんぱち目当ての客を帰らせる為さ。おかげでみんな、カーロスがそれを口にした途端、潮
が引くようにぞろぞろ帰り始めただろう。」
「じゃ、やっぱり。」
「間違いない。」
そう言ってドゲットは天井から下がるブラインドを閉め始め、ふっと手を止め、隣のスカリーを見下ろした。ドゲットは今
の会話の何かが引っかかった。何だ。何か見落としている。その様子にスカリーも、何かを感じ取ったのだろう。訝し
げにドゲットを見詰める。ブラインドを閉めながら、ドゲットは今の会話を反復した。そして、やおら手を止めると、スカリ
ーに向き直った。
「そう言えば、カーロスは何時帰った?」
「え?確か、10時半ぐらい。」
「帰る前は何処にいたんだ?」
「それは・・。」
スカリーは必死に記憶を手繰った。突然ドゲットの脳裏に閃いた光景が、彼を振り向かせた。カーロス。カーロスとピ
アノ。ショルダーホルスターから銃を取り出し、ベン達に向かって走りながら、大声で叫んだ。
「二人とも、そこから離れろ!」
切羽詰まったドゲットの叫び声に、ベンとラナが急を悟り、その場から走り出した瞬間、ピアノが爆発した。凄まじい轟
音と爆風に、その場にいた全員がなぎ倒された。もうもうと立ち上る白煙の中、爆発したピアノの後ろの壁がぽっかり
と崩れ、男が立っていた。
 ドゲットは爆風に倒されながらも、素早く立ち上がり後ろを見れば、スカリーも同じように立とうとしている。よし、彼
女は大丈夫だ。ラナもかなり遠くへ飛ばされたが動いている。しかし、肝心のベンがいた辺りは、未だ白煙と砂埃に
かすんで視界が利かない。その時聞き覚えのある音が聞こえた。瞬間ドゲットは身を翻し叫んだ。
「伏せろ!マシンガンだ!」
3人は一斉に物陰に隠れ、刹那、サブマシンガンの掃射が始まった。ドゲットは咄嗟に倒したパーティーテーブルに
隠れ、後ろを見ると、スカリーはバーカウンターの影でこちらを窺っている。ラナはと見ればやはりソファーの影に身を
隠している。くそ、ベンは何処だ。サブマシンガンは壁に開いた穴から発射されている。リオに渡されたデザートイー
グルで応戦しながら、前方を確認すれば、瓦礫の影に人影が見えた。向かって右に、サブマシンガンを持った奴が一
人。左側に一人。後ろを振り返りスカリーに指を二本立てて確認すれば、深く頷いた。敵は二人か。
 ベンは何処だ。自分のいるところからは確認出来ない。ラナを振り返れば、こちらを見て何か叫んでいる。が、サブ
マシンガンの掃射音の為聞き取れない。すると自分を呼ぶスカリーの声に身体を捩れば、カウンターから顔を覗かせ
弾を避けながら、前方を指さすスカリーが眼に入った。
「ピアノよ!ベンが倒れてる!」
言われた方向をテーブルの影から覗き見れば、ピアノの残骸の影にベンの足だけがかろうじて見えた。動いていると
ころを見れば、まだ生きている。動きが緩慢なのは、何処か怪我をしたのか、撃たれたか。いずれにしても早く確保
する必要がある。それも、敵方の左にいる男よりも早くにだ。だが結局のところ、こちらは相手のサブマシンガンで、
左の男はこちらが3人で撃ちまくる為、どちらもベンには近寄れず膠着状態なのだ。
 問題は、サブマシンガンだ。あれをどうにかしないと身動きが取れない。ドゲットは撃ちつくしたマガジンを捨て、予
備のマガジンを取り出し装填した。ポケットにはあと一つ。向こうの弾切れを待つしかないのか。こちらも、部屋のあち
こちに爪止めした予備の銃やマガジンを隠してあるが、この状態では取りにはいけない。そうこうする内に、ラナが弾
切れになった。耳元を掠める弾を避けながら、数発撃ち込んでから、ラナに自分のスペアのグロックを放り投げ、ラナ
がキャッチ出来るように、再び撃つ。撃ち尽くして最後のマガジンを装填しながらラナを見れば、こちらに向かってグロ
ックを小さく掲げた。それにしても、敵の弾切れは何時だ。こちらの手元にはもう10発しかない。ラナ、スカリーも似た
ようなものだ。ドゲットは焦った。
 と、その時彼の耳にしか捉えられない幽かな音と共に、びしっと着弾音がし、サブマシンガンを持つ男がくず折れ
た。額の真ん中から血を流し、眼を見開き空を見詰める男は、カーロスだった。庭からの狙撃。即死だ。この機を逃す
なとばかり、ドゲットは振り返り叫んだ。
「援護しろ!」
イーグルを撃ちながら走り出したドゲットと、物陰から男が飛び出たのは、ほぼ同時だった。ベンまでの距離は敵の
方が近い。くそ、間に合うか。しかし男も、こちらからの援護射撃があり、瓦礫の影を移動しながら応戦していて、そう
は容易く近づけないでいる。もう少しというところで、イーグルの弾が切れた。一瞬、ドゲットと男の眼が合った。
 男はにやりと笑い、必死で起き上がろうとしているベンにすっと銃を向けた。男の指がトリガーにかかり、もう駄目
か、と思ったその時だった。
「ベン!」
ラナの叫び声と共に、男の銃は弾かれ遥か後方に飛ばされていた。ラナの撃った弾が的中したのだ。しかし、男はひ
るむことなくアーミーナイフを取り出すと、一気にベンまで飛びかかり刺し殺そうと、振りかぶった。爆風に叩きつけら
れ脳震盪の治まらないベンは、やられると腕を翳した。
 ところが、男の振りかぶったナイフは、ベンまで到達できなかった。一瞬早くドゲットが立ちはだかると、男の振り下
ろす腕を十字受けで止め、そのまま男の腕を掴み捻り上げてナイフを持つ腕に圧力を加える。
「ベン!立てるか?逃げろ!ラナ!スカリー!ベンを連れて出ろ!!」
叫びながら更に手に力を込めると、男はたまらずナイフを落とした。すかさずナイフを遥か彼方に、蹴り飛ばせば、男
はドゲットの腕を逆手に取り、力任せに投げ壁に叩きつけた。障害物を排除した男は、スカリーとラナに助け起こさ
れ、庭に出ようとしているベンに走った。するとそれに気がついたスカリーが、振り返り銃を向けた途端、男の回し蹴
りによって、銃を飛ばされてしまった。そのまま男は踏み込み、スカリーの首に手刀を叩き込もうとしたが、またしても
間に入ったドゲットに阻止されてしまった。
 男の手刀を左腕で受けたドゲットは、右手で男の脇腹を殴りつけた。かわそうと身体を捩る男を蹴り、ドゲットは叫ん
だ。
「早く、外に!」
そして、尻餅をついて立ち上がろうとするスカリーの腕を引っ張り上げたところで、背後の殺気に振り返った。どすっと
脇腹に衝撃が走る。男の回し蹴りを、まともに食らったのだ。咄嗟に筋肉を絞め踏ん張らなければ、数メートル先の床
に叩きつけられるところだ。しかし、なんとか堪えたもののその衝撃は凄まじく、その場を数十センチも横滑りしてい
る。ここで足止めをせねばと、ドゲットは脇腹に受けた男の蹴り足を片手で抱え、もう一方の手で素早くポケットを探
り、飛び出しナイフをひっつかんで力任せに男の腿に突き立てた。
 ぎゃっと叫んで仰け反る男を突き飛ばし、ドゲットはベンを支えて走るスカリーを追って、庭に出た。目指すは裏山
だ。だだっ広い芝生の庭を走りながら、ドゲットが後ろを振り返れば、屋敷から銃の狙いをつけ走り出る男の姿を認
め、叫んだ。
「伏せろ!撃ってくるぞ!」
全員がその場に伏せた。9oバラべラム弾の着弾音と共に、芝生が抉れる。オートマチックだ。すると、いち早く林に
逃げ込んだ、スカリーが木立の影から応戦し始めた。
「林に入って!」
ラナ、ベン、ドゲットは次々と裏庭を走り抜け、林の中に飛び込んだ。ドゲットは、ラナとベンを先に行かせると、スカリ
ーの隣の木に身を潜め、発砲を続けるスカリーを呼んだ。
「スペアを持ってるか?」
スカリーは屈んで足首ホルスターから、パイソンを出して放り投げ、受け取ったドゲットはスカリーに目配せすると、ド
ゲットが数発撃ち込んでから、身を翻し林の奥に駆け出した。直ぐにドゲットは前を走るスカリーに追いつき、必死で
走った。すると目指す小屋がまもなく視界に入ってきた。二人が後ろを警戒しながら、小屋に飛び込めば、ラナとベン
が待ち構え直ぐに扉を閉めた。はあ、はあ、と息を整えながら、扉の隙間から林の様子を伺いドゲットが尋ねた。
「全員、無事か?エージェント・スカリー?」
「ベンが軽い脳震盪だけど、あとは無事だわ。」
ドゲットが振り返れば、床にへたり込み眩暈のするこめかみを押さえるベンの姿があった。
「銃は?」
「あるわ。でももう予備の弾は・・・。」
スカリーはそう言って首を振ると、持っていたベレッタのマガジンを出し弾数を数えた。
「この5発だけ。」
「ラナは?」
するとラナは、グロックを出し同じように弾数を調べ言った。
「私は8発。予備は無し。」
ドゲットはそれを聞くと、自分のリボルヴァーのシリンダーを開け、弾数を確認して呟いた。
「俺のパイソンに3発か。」
「待ってくれ。僕のがある。」
ベンが弱々しい声で、割って入り、懐からベレッタを出す。それから、思い出したようにポケットから予備のマガジンを
一つ取り出した。
「上等だ。」
ドゲットがそれを見て、にやりとベンに笑いかけると、ベンは立ち上がり、ドゲットに銃とマガジンを差し出した。
「これは君が持っていてくれ。僕が持っていても役には立たない。」
ドゲットは厳しい眼をしてベンを見たが、頷いて受け取った。そして又元の位置に戻りかけるベンに、ヘイ、と声をか
け、振り返ったベンに持っていたパイソンを投げた。
「こいつを持っていろ。」
ベンは受け取ると、頷いた。それを確認したドゲットは、スカリーに向き直り、ベンから渡されたマガジンを差し出した。
「これは君が持て。」
「え?でも・・。」
「5発じゃ足りん。」
スカリーは躊躇った後、受け取った。ドゲットは満足げに頷いてから、全員を見回した。既に息も整い、臨戦態勢は万
全だ。林の奥の茂みが揺れ始めた。ドゲットは緊張を漲らせると、3人に言った。
「合図したら、裏から出ろ。3人別方向へ走れ。いいな。」
ドゲットの言葉に、3人は裏口の扉に移動した。ドゲットはそれを確認し、扉の隙間から外を覗く。直ぐ近くの木立に男
の影がさっと動いた。
「行け!」
ドゲットは叫ぶと同時に扉を開け、林に弾を撃ち込んだ。それを合図に、裏口から同時に3人が飛び出す。ラナ、スカ
リーが右と左に別れ、ベンはそのまま裏山の奥へと入ってゆく。ドゲットは数発撃った後、直ぐにベンの後を追った。
男は、林から飛び出ると、もぬけの空の小屋を一瞥して通り過ぎ、辺りを素早く見回した。すると、裏山を登る白い影
がちらりと眼に入り、ほくそえんだ。ベンのタキシードは白。男は迷うことなく、ベンとドゲット追跡し始めた。


 裏山の中腹にある洞窟は、鍾乳洞になっていて、奥は複雑に入り組んでいる。二人が逃げ込んだのは、そこだっ
た。ドゲットが洞窟の入り口で後ろを警戒し、ベンを先に入れ自分も中に入ると、真っ暗な洞窟の隅から、こっちだ、と
ベンに呼ばれ、続いてマグライトの灯りが眼を射た。手を翳し近寄ったドゲットに、もう一本マグライトを渡したベンは、
先に立って奥へと入ってゆく。ドゲットも灯りを灯すと、素早く後を追った。
「追って来てるか?」
「ああ。確認した。」
「やけに遅いな。」
「俺がナイフで足を刺した。」
「は、やるねえ。で、お前銃は?」
「ベレッタ。」
「俺の渡したイーグルは?」
「弾切れだ。捨ててきた。」
突然立ち止まったベンに、危うくぶつかりそうになりドゲットはマグライトを前に向けた。灯りに照らされ、振り返った男
は、ベンと全く同じ格好をしたリオだった。何時の間にか入れ替わったのだ。ドゲットを信じられんという顔で見詰める
リオに、何だ、と問えば、リオは首を振りながら、やってられねえぜと肩を竦め、又歩き出した。
「いい銃だったのによ。」
「弾が無ければ、只の鉄屑だ。」
「かーっ。屑はねえだろ。屑は。信じられねえぜ。それが持ち主に言う言葉か。大体何だってそんなに撃ちやがったん
だ。」
「サブマシンガン相手じゃ弾が幾つあっても足りん。サブマシンガンが出てくるとは聞いてなかったぞ。」
「知るか。俺だって驚いたよ。まさかカーロスが、奴と組むとは思わなかったんだ。ま、きっちり借りは返してやったけ
どな。」
「撃つのが遅すぎる。何やってたんだ。」
「うるせえな。スナイパー用のライフルを扱うのは初めてだったんだよ。」
更に何かを言おうとしたリオを手で制すると、ドゲットは人指し指を口に当て耳を澄ました。すると、入り口付近から岩
のがらがらと崩れる音が聞こえ、岩肌と地面がそれに合わせて振動した。二人は眼を合わせ頷き合い、再びリオが
先に立って奥へと歩を進めた。
「ラナ達が入り口を塞いだんだな。」
「ああ。打ち合わせどおりだ。」
「と、いう事は、奴さんが中に入って、後の3人は無事って事だな。」
「そうだ。」
「追ってくると思うか?」
「他に方法はない。」
リオは頷くと、急に砕けた口調で話を変えた。
「なあ。お前さ、ダナと出来てるのか?」
答えが無いので、リオが振り返れば、厳しい顔でドゲットが睨みつけた。
「何だよ。そんな顔で睨むなよ。大したことじゃねえだろ。教えろよ。」
「下らんことを聞くな。」
「いいじゃねえか。ちょこっとでいいからよ。な、ホントのところ、どうなんだ?」
リオは何時の間にかドゲットの隣に並び、馴れ馴れしく肩を組むとドゲットの顔を覗き込んだ。ドゲットは乱暴にその手
を振りほどいて、不機嫌に答えた。
「彼女はパートナーだ。」
「それだけ?」
「優秀な捜査官だ。」
「ちぇっ、糞面白くもねえことを言うなよ。他に何か無いのかよ。」
「無い。それに・・・。」
「お?それに?」
ドゲットは躊躇った後、続けた。
「彼女には7年間ずっと一緒だったパートナーがいる。」
「パートナーって、男か?」
「勿論。だから彼女が、他に眼を向けることなどありえない。」
「ダナのパートナーは、今お前だよな。」
「そうだ。」
「じゃ、そいつは今何やってるんだよ?」
「それは・・。」
「何処にいるんだ?その野郎は?」
「今はいない」
「何っ?」
「失踪した。」
「ちょ、ちょっと待ってくれよ。分かるように説明してくれ。」
「断る。」
ドゲットのきっぱりした言い方に、さしものリオもそれ以上は追求出来ず、口を噤んだ。しかし、これで黙るような男で
は無かった。再び口を開いたリオにドゲットはうんざりとした顔で、長い溜息を吐いた。
「じゃ、つまりだ。お前はダナが、まだその野郎のことを思ってるから、何にもしねえっていうのか?・・何だよ、恐ろし
い顔して睨むなよ。お前の言いたいことは、分かってるって。パートナーってんだろ?でもよ、実際その野郎はここに
はいねえんだぜ。」
「それが、どうかしたか。」
「どうかって。オンナ心の分からねえ野郎だな。いくら、長いこと付き合っていても、オンナってのは何時も側にいて貰
いてえもんなんだよ。離れちまったらアウトだ。もし、だな、やんごとなき事情があって離れなきゃならねえんだった
ら、小まめに連絡取るとかよ。プレゼントを送るとかよ。繋ぎ止めとく努力をせにゃ、オンナなんてあっという間に、他の
男に鞍替えしちまう。でも、だからってオンナが悪いって訳じゃないぜ。そうなるのが普通だってことさ。オンナっての
は、見た目以上に現実的に出来てんだ。」
リオは突然、ドゲットが妙な目つきで自分を見ていることに気付いた。
「何よ。」
「誰のことを言ってるんだ?」
「誰って、そ、そりゃ、ダナとお前のことに決まってるだろ。」
それを聞いたドゲットは、ふふんと鼻先で笑い、思わせぶりな目をして、黙って視線を逸らした。何だこいつ。とリオは
ドゲットの態度に妙に落ち着きを無くすると、口を閉じた。暫く二人は無言で歩いた。洞窟の中の空気は、ひんやりと
して湿っている。二人の足音がやけに大きく響いていた。これ以上黙っていると、間が持たないと、リオが何か話しか
けようとした時、意外なことにドゲットの方から話してきた。
「彼女のパートナーの失踪は、誘拐だ。」
「誘拐?」
「だと、信じている。」
「生きてるのか?」
「分からん。だが、命が危険に晒されてるのは確かだろう。必死に捜し続けている。」
「お前はどう思ってんだ?」
「俺か?・・・俺は彼女が生きてると信じて捜し続ける以上、協力するだけだ。」
「それだけ?」
「そうだ。」
「何時まで?」
「見つかるまでだ。」
「見つかったらどうするんだ?」
「俺達はパートナーを解消して、彼女は元の鞘に納まる。」
「じゃ、最悪の場合、そいつが死んでたらどうなる?」
「・・・パートナーとして仕事をするだけだ。今と何も変わらん。」
リオは立ち止まると突然マグライトをドゲットの顔に向け、繁々と眺めた。眩しそうに眼を細めたドゲットは、その無遠
慮な目つきにむっとしたようだった。
「何を見てる。」
「今世紀最大の馬鹿野郎の顔。」
「何だと?」
怒気を含んだドゲットの口調など、リオの厚かましさには通用しない。
「お前ね。お前みたいな男のことを、世間じゃ何て言うか知ってっか?都合のいい男って言うんだよ。お前がそんな風
だから、ダナもお前のことを番犬扱いしかしねえんだ。」
「大きなお世話だ。お前には分からん。」
「ああ、分からねえよ。分かりたくもないね。」
そういい捨てると、急にリオは歩調を速めドゲットの前を歩き始めた。何故だか無性に腹が立つ。リオは自分とそっく
りのこの男に会った瞬間から、興味津々でドゲットを観察していた。そして日を追う毎に、ドゲットに対しある感じを抱
かずにはいられなかった。リオは舌打ちした。くそ、ベンみてえだ。人の心配ばかりしてやがる。全く、何だって俺の
周りにはこういう人間が多いんだ。
 ドゲットは先ほどから急に黙ってしまったリオの後に従いながら、時間を計っていた。次の定時連絡までに、全てか
たをつけなければならない。
 3日前、ベンからパーティーの話があったとき、即座にドゲットはこの場所を、ベン達を守ろうと心に決めた。しかしそ
れにはまずスカリーを説得せねばならなった。が、意外と簡単にスカリーはドゲットの気持ちに同意した。しかし問題
があった。まず、自分達の立場はあくまでベンの身辺警護だから、何かあった場合は報告の義務があった。定時連
絡の時にそれをしなければ、服務規定違反になる。又、定時連絡を怠ると、捜査員の安全を確認しに誰かを派遣して
くるはずだ。そうなれば、以前リオに聞いた最悪の事態になってしまう。
 そこでドゲットの出した案は、とりあえず襲撃にどう対抗するかは、ベンに任せる。作戦の打ち合わせはパーティー
直前に行い事前報告の義務を凌ぐ。後は、敵襲を待ち構え、始末する。事が終わったら、何時もの定時連絡をして全
てが完了する。この時の連絡に二人で上手く、口裏を合わせればここで何が起こったかなど、誰にも分からない。FBI
にも付け入る隙を与えないで済む。全てを連絡時間の間に終わらせれば、違反の回数も一回で終わる。
「一回でも違反は違反よ。」
「勿論。気が咎めるかい?」
「いいえ。違反をしなかった時の方が、気が咎めるわ。」
ここまでは良かった。しかし、今夜、パーティーが始まる前、ベンに作戦を聞いた途端、スカリーは難色を示した。ベン
の安全を確保する為に、リオとドゲットが囮となり、洞窟におびき寄せ、しかも敵の退路を絶つため、入り口の岩を崩
して塞いでしまうなど、無謀過ぎると言うのだ。すると、ベンが言った。
「大丈夫だ。あそこはリオの庭だ。あいつに任せておけば、眼を瞑っていても出られる。但し洞窟の中では、リオの指
示に従ってくれ。そうじゃないと危険だ。とにかく、我々は襲撃があったら、林の中の小屋まで逃げる。その中に隠れ
ていたリオと僕が入れ替わり、三方向に逃げる。奴は僕が狙いだから、リオと彼を追いかけるだろう。君達二人は、
奴が洞窟に入ったのを確認し入り口を崩し、戻る。僕は小屋の床下に潜んでいて、ラナ達が呼びに来るのを待つ
よ。」
「でも、二人だけでは。誰かがリオ達をバックアップする必要があるわ。」
「エージェント・スカリー。この場合は僕達は別行動を取る必要がある。僕達が失敗したら、誰がベンを守るんだ?」
「縁起でもないことを言わないで頂戴。」
「それに、もし連絡時間に僕が間に合わなければ、君に上手く誤魔化してもらわなけりゃならないからな。」
その時のスカリーの表情を、ドゲットは忘れないだろうと思った。ああ、怒ってるな。ドゲットは怒ったスカリーの顔が好
きだった。青い眼を煌かせ、射るようにまっすぐ見詰める。全身にエネルギーが満ち、激しい言葉と共に、彼女の隠さ
れた全ての感情がドゲットを打つ。一体この小柄で冷静な女性の、何処にそんなエネルギーが潜んでいたのだろう
と、新鮮な驚きで思わず見惚れてしまう。だから、スカリーと口論になっても、殆どの場合苦では無かった。それどこ
ろか、次はどう出るのだろうと、子供のようにわくわくしている。この密かな楽しみはドゲットの専売特許のはずだっ
た。ところが最近ではどういうわけか、スカリーにもそれが伝染しているように、感じられる時がある。ドゲットは3日前
のYシャツの件を思い出していた。あれには参ったな。しかし、どんな時もこれだけは断言出来た。彼女の笑顔は何よ
りも素晴らしい。あの笑顔を曇らせてはいけないのだ。失われたら元には戻らない。その為の番犬なら、俺に文句な
ど無い。
 先を歩いていたリオが立ち止まり、ドゲットが追いつくのを待っていた。何時の間にか、歩くのが遅くなっていたよう
だ。ドゲットは慌てて、足を早めリオに追いつくと、当然の如く嫌味を言われた。
「何やってんだ。遅えじゃねえかよ。もう息が上がっちまったのか?だらしのねえ。」
「こっちは動きっぱなしだったんだ。それより、まだ歩くのか?」
「いや、ここが終点だ。」
リオはそう言って、立っていた場所から30センチほど下に飛び降りた。ドゲットはリオの飛び降りた場所をマグライト
で照らした。そこは沢山の石の柱が林立する小さな洞穴になってた。洞穴の中が幽かに明るく感じられるのは、ここ
にある岩全体がほの白く光っているせいだ。多分発光性のある石のせいだろう。10メートル四方の洞穴に大小様々
な太さの柱が立ち並び、身を隠すには持って来いだ。ドゲットが下に下りたのを確認すると、リオはこっちへ来いと洞
穴の中央に手招きした。そして、今出てきた穴の反対側の壁にある穴をマグライトで照らして言った。
「あそこが出口だ。出口はあそこしかねえから、お前はあの穴の近くに隠れて奴が来たら撃て。俺は入り口近くで待
ち伏せる。」
ドゲットは、出口と入り口を交互に見た。続いて時計をマグライトで照らす。連絡時間まで、1時間半。この中で随分
時間を取られている。ドゲットは顔を上げるとリオに尋ねた。
「この穴を抜けたら何処に出るんだ?」
「山の反対側だ。」
「そこから屋敷までどのくらい?」
「歩いて1時間てとこかな。急げば50分ぐらいで着く。」
ドゲットは片手で顔を覆った。時間が無い。
「奴がどの辺か分かるか?」
すると、リオは待ってろと言って入り口の穴に移動し、耳を澄まして直ぐに帰ってきた。
「あと15分だ。」
「よし。分かった。リオ。お前あいつをここに追い立てろ。」
「何っ?」
「奴の後ろに回り込むんだ。出来るか?」
「そりゃ出来るけど、黙っていても、奴はここに来るんだぜ。何だってそんなことしなけりゃならねえんだ?」
「時間が無いんだ。」
リオは妙な顔をしてドゲットを見た。何を焦ってやがる。まだ充分余裕はあるはずだ。が、早くかたをつけてしまうに越
したことは無いのも確かだ。お堅いこいつのことだから、不測の事態って奴を想定してるのかもしれんな。そう思い当
たり、黙ってドゲットを眺めていると、自分の銃を取り出して難しい顔をしている。どうかしたのかと、リオが怪訝な顔を
してドゲットの顔を覗き込めば、こいつじゃ駄目だと呟き、やおら眼を上げると、リオに尋ねた。
「9o以外が使える銃を持ってるか?」
「ベレッタじゃまずいのか?」
「オートマチックの9o弾は貫通力が強くて、殺傷力が低い。一発で確実に仕留めたい。」
ははあとリオはにんまり笑い、ちょっと待ってろ、と言って洞穴の隅の柱の影からガンケースを持って戻ってきた。そし
てケースを下に置き、蓋を開けながら得意そうにドゲットを見上げた。
「何かの時にと思って、用意しておいたんだ。どうだ。」
「・・・トーラス レイジングブルか。」
「そう。で、弾はこいつだ。」
リオはポケットから、弾を一つ取り出すと、隣にしゃがんでリヴォルバーを見詰めているドゲットの目の前に持ってき
た。それを見た途端ドゲットは呻いた。
「・・・馬鹿野郎。」
苦りきった顔で唇を噛むドゲットにリオは顔を顰めた。
「何だよ。使えねえのか?.500ラインバーだ。こいつを使ってレイジングブルで撃てば、一発だ。ま、当たりゃあな。出
来るのか?」
「・・・寄こせ。」
ドゲットはリオの手から弾を取り上げると、リヴォルバーを手にした。重い。まるで鉄の塊だ。シリンダーを開けて弾を
込めていると、リオが立ち上がった。
「じゃ、俺は行くぜ。」
「待て。」
ドゲットは、リオを呼び止めると、ベレッタを渡した。
「持っていけ。」
リオは受け取ったものの、複雑な顔で上目にドゲットを見詰めた。
「いいのか?」
「ああ。お前さえ上手くやれば、一発で充分だ。」
「お前さえって言うのが余計だ。ま、こいつは貰っていくぜ。」
リオはベレッタをズボンのウェストに捻じ込んだ。それを見ていたドゲットが言った。
「合図したら、耳を塞いで屈め。」
ちらりとドゲットに視線を走らせたリオは、あいよ、と片手を上げて入り口に向かった。が、途中で引き返すとドゲットの
前に立ちポケットからガムを一枚取り出した。
「耳栓だ。入れとけ。」
リオがいなくなると、ドゲットは適当な潜伏場所を探し始めた。既に目も慣れ、マグライトなしでも歩き回れる。しかし、
リオは待ち伏せには持って来いの場所を選んでいる。この発光性の岩の存在は絶大だ。幾ら射撃の名手でも、暗視
スコープ無しで、真っ暗闇の敵に命中させることなど、至難の業だ。ましてや、このレイジングブルで.500ラインバーな
ど撃って、当たるのか。ドゲットは首を振った。44マグナムぐらいならともかく、その倍の威力を誇るシロモノが、まさか
出てくるとは思わなかったのである。
 .500ラインバーは.454カスール弾と並び、世界最強と言われている。しかし、この弾は又最強故に、反動も恐ろしく
強く、それを撃つ為の銃は、反動を殺す為あえて長く重く造られており、只持つだけでも相当重い。それを撃つとなれ
ば、常人の腕力では支えきれない。下手な構え方をすれば、手首や肘の関節を痛めてしまう。
 ドゲットは大きな柱の影に身体を潜めると、タキシードの上着を脱いだ。素早くドレスシャツも脱ぎ、下に来ていた防
弾ベストのマジックテープを外した。防弾ベストはこうなると、もう着ている意味が殆ど無い。今は逆に窮屈で、締め付
けがきつい。ドゲットはアンダーシャツ一枚になると、ドレスシャツにぶら下がっていた蝶ネクタイを引き抜き、レイジン
グブルを握った左手にくるくると巻きつけ、銃をしっかりと固定し始めた。
 ネクタイの端を、歯で止め右手で引いて硬く結びつける。その途端、はっと息が詰まり地面にうずくまった。左脇腹を
押さえ暫く息を整えていたドゲットだったが、のろのろと移動すると柱に凭れて足を投げ出した。右手で左の脇腹を探
ると、鋭い痛みと共に、骨が数箇所折れているのが分かる。息が苦しく、さっきから堪えていた咳をすれば、血の味
がする。ドゲットは舌打ちをした。走り回ったせいだろう。折れた肋骨が肺を傷つけたのだ。おまけに左肘に近い部分
が腫れ始めている。腕の骨にひびが入ったか、折れたかどちらかだ。
 ドゲットは石柱に頭を預け、笑ってしまった。昨日ラナとスカリーに射撃場で言った言葉を思い出したのだ。丁度居
合わせたリオに、男の格闘の腕前を聞いて、二人に忠告したのだ。
「間違っても、奴と戦おうとは思わないことだ。相手が素手でも、銃を構えろ。こちらに武器が無く、奴が仕掛けてきた
ら、避けろ。逃げるんだ。まともに食らったら、終わりだ。」
「銃が無く無抵抗でも?」
「接近戦になったら奴に銃など関係ない。例えば君の持つ9o弾で、三つ重ねたコンクリートブロックを至近距離で撃
ったとしても、その一つを僅かに欠けさせる程度だ。しかし、プロの格闘家の放つ技は、ブロック三つ共粉々に破壊す
る。いいか、掴まれたら、最後だ。」
偉そうに忠告した本人がまともに食らってしまうなど、間抜けもいいところだ。左腕で受けた手刀も、その後の回し蹴
りも咄嗟に筋肉を絞めて防いだとはいえ、それでもこの有様だ。手刀はともかくプロの放つ回し蹴りは、瞬間一トン以
上の力がかかる。肋骨を折るぐらいで済んだのは、幸運かもしれない。しかしドゲットは、それがまともにスカリーに当
たったらと、思わずぞっとして顔を顰めた。
 幽かな銃声にドゲットは、振り返った。柱の横の岩が丁度台座のようになる為、そこに防弾ベストを置きその上に更
に丸めた上着を置いた。膝立ちして左肘を上着に乗せ銃を構え、左手の銃がぶれないように右腕で支える。これでい
い。あとは、撃つタイミングだ。ドゲットは再び柱の影に戻ると、さっきリオに貰ったガムを噛み始めた。くそ、重い。只
でさえ重い銃が、痛めた左腕では更に重く感じられる。この腕でどこまで正確に当てられるのか、疑問だ。大体、今
の俺にこの銃が撃てるのか?ネクタイで銃を固定したのは、反動を支えきれず後ろに銃が飛ばされるのを防ぐ為だ。
下手をすれば手首の骨をどうにかしそうだが、飛ばされた銃が顔に当たるよりはましだ。ドゲットは近づく銃声に呟い
た。
「出来るかだと?あいつめ。ふざけるな。」
 リオは迷路のような洞窟を熟知していた。穴から穴へと通り抜け、男の背後に密かに回りこむと、狙いを付け撃ち始
めた。たまらず駆け出す男を追い詰めながら、あと少しで洞穴だという場所で、男の姿が消えた。何処へ?と、男の
姿が消えた付近を見回せば、突然頭上から男が降ってきた。うわっと叫んで避けようとしたが、一瞬早く背後に回っ
た男の腕で首を絞められた。両手で解こうにも、もの凄い力だ。リオは仰け反って男の両腕を掴んでいたが、そのま
ま数歩前に進み、洞穴の入り口まで来るといきなり身体を前に折り、背後の男を投げ飛ばした。が、勢いあまって自
分ももんどりうって下に落ちると、男がリオに向かって来るのが見えた。やばい。掴まれたら終わりだ。リオは逃げの
一手に出た。男は必死の形相で追いかけてくる。ドゲットに貰ったベレッタは取り出した瞬間に、回し蹴りで飛ばされ
た。くそ、ドゲットは何処にいるんだ。早くこの野郎を撃てよ。合図はまだなのかよ。リオは逃げ回りながら罵った。そ
の瞬間男のナイフが腕を掠った。思わず抑えれば、指の間から血が流れる。左に逃げようとした鼻先を掠め、ナイフ
が石柱に刺さった。身体を翻し逃れようとした右側の石柱が男の拳で、崩れてゆく。リオは石柱を背に動きを封じられ
た。リオを追い詰めた男はナイフを抜くと、余裕の笑みを浮かべナイフ振りかぶった、その時。
「リオ!」
ドゲットの叫び声を聞いた途端、リオは耳を塞いで身体の力を抜いた。男が眼を見張るのと、雷のような轟音が響き
渡るのはほぼ同時だった。見上げるリオの頭上で、男の左頭部が破裂した。降ってくる返り血と脳漿に顔を顰めなが
ら、リオが見たのは、信じられないと見張ったままの男の残った右目だった。リオの目の前で、男はゆっくりとくず折
れた。
 終わったのか。リオは塞いでいた耳から手を離し、指で耳の穴を掻いた。空気まで振動するような爆発音だった。
聴力が回復したリオは立ち上がると、倒れた男を上から覗き込み、マグライトで照らした。すると、背後でドゲットの掠
れた声がした。
「死んだか?」
「頭を吹っ飛ばされても生きてる野郎には、お眼にかかったことは無いぜ。」
答えたリオは、それでも一応、と足で男を数回小突いた。何の反応も無く、確実に死んだと確信したリオは、よし、死
んでろよ、と死体に命令して、ドゲットの声のした方へ向かった。
 ドゲットはリオが追い詰められた石柱のすぐ隣に潜んでいたのだった。リオはやれやれと近づき、銃の反動で後ろ
に尻餅をついた状態のドゲットを見下ろした。
「至近距離で撃ちやがって。耳がいかれちまうとこだったぞ。さあ、立てよ。時間が無いんだろ。」
踵を返し出口に向かおうとしたリオだったが、動く気配の無いドゲットに焦れて声を荒げた。
「もたもたすんな。早く来いよ。」
「お前一人で行け。」
「何っ?」
「俺は行けない。」
リオは尋常ではないドゲットの様子に血相変えて戻ってくると、屈みこんでドゲットを照らし、息を呑んだ。後ろの岩に
凭れ足を投げ出したドゲットの口元から僅かに血が流れている。はっはっと苦しげな息遣いで、俯いた顔を汗が流
れ、アンダーシャツに血と汗の染みを滲ませていた。力なく垂れた左手にはリヴォルバーが括り付けてある。リオは
脇にマグライトを置くと、括り付けたネクタイを解き始めた。
「何だよ、これは。撃たれたのか?」
「・・・違う。腕が折れた。肋骨も、多分。」
あっ、とドゲットが仰け反った。ネクタイを解くリオの接触に耐えられなかったのだ。リオは、リヴォルバーを置くとマグ
ライトでドゲットの左腕を照らした。肘の付け根と、手首が腫れている。アンダーシャツをめくり、紫色に腫れ始めてい
る左脇腹をそっと触り、顔を顰めた。いきなりその手をドゲットが掴んだ。
「分かっただろ。俺は行けない。時間が、無いんだ。・・・早く屋敷に戻って、俺の代わりに、連絡を入れろ。」
「お前はどうするんだ。」
ドゲットは肩で息をしながら、リオの手を離して岩に凭れた。息をするのが苦しそうだ。
「俺のことはいい。・・終わったら、迎えに来い。」
リオは一旦立ち上がった。しかし、むすっとした顔で再び屈むとドゲットの右脇に自分の左肩を入れた。厳しいドゲット
の声が飛んだ。
「止めろ。俺は置いて行け。足手まといだ。」
「うるせえ。黙ってろ。」
「止めるんだ。リオ。いくらお前でも、俺を担いでいたら、倍の時間がかかる。」
ドゲットの言葉を無視し、リオは左腕をドゲットの身体に回すと、有無をも言わさず立たせた。
「リオ。」
「怪我人がつべこべうるせえぞ。俺に考えがあるんだよ。お前はいいから、黙って歩け。」
ドゲットには最早反論する気力は残っていなかった。リオのなすがままに、肩を担がれ歩くしかない。呼吸は益々苦
しくなる。
 一方リオは、急に大人しくなったドゲットが心配でならなかった。肋骨が折れた?左腕も?一体何時からだ。畜生。
全然そんな風には見えなかったぞ。ドゲットは時折咳き込むと、口に溜まった痰を吐く。その色が赤いことにリオは気
付いていた。肋骨が肺に刺さったな。それで走り回っていたのか。痛いとか、苦しいとか、感じねえのか、こいつは。
マグライトにぼんやりと照らされたドゲットの顔をちらりと見れば、顔を顰めて、眼を閉じている。リオは慌てた。
「おい、頼むから気絶するなよ。」
すると、ドゲットの不機嫌な声が返ってきた。
「気絶?」
「そうよ。お前みたいにヤワな野郎は気絶ってんだ。」
「ヤワで、悪かったな。」
「銃も満足に握れねえ。なんだよ、ありゃ。ネクタイか?」
「新しい活用法だ。」
「はは。FBIで広めるか?」
ドゲットの様子にリオは軽口を叩いた。ふふっと、俯いて笑ったドゲットが言った。
「何処から撃ったんだ。」
「ライフルのことか?」
「そうだ。」
「林の中。木に登って撃った。」
「・・・600メートルか。初めてにしちゃ、いい腕だ。」
「昨日教わった先生が良かったからな。なんせそいつは海兵隊狙撃手訓練コースを出てるって話だ。ま、本当かどう
かは知らねえが。」
「本当さ。狙撃手バッジを、持ってたぞ。」
「へえ、そりゃ凄えや。」
リオが大仰に驚いて見せれば、笑おうとしてドゲットは激しく咳き込んだ。血痰を吐きながら激しい胸に痛みに顔を歪
めたが、不安そうなリオの視線に気付き、無理やり咳を押さえ込んで、話を逸らした。
「ラナはいい腕だ。」
「そうよ。初めて会った時から、そうだったぜ。」
「美人だし。」
「いい女だろ?へへ、あんないいオンナはちょっといないぜ。お前の相棒もいけるけどよ、ラナほどじゃ無いからな。」
「・・・保険か。成る程。」
「何だって?」
「いや。プレゼントね。」
「はあ?お前大丈夫か?話が見えねえぞ。」
「平気だ。プレゼントって、ピアスだろう。」
「そう。え?何で知ってるんだ。」
「そいつが元で、お前の代わりにひっぱたかれたんだ。」
「何だ。そうだったのかよ。」
悪かったな、などとリオは殊勝に謝り、ドゲットの苦笑を誘った。そしてその時穴の遥か前方に、ようやく出口が見え
始めたのだった。
 二人は洞窟の出口を、おぼつかない足取りで上った。やっとの思いで外に出たが、ドゲットにはもう歩く力は残って
いなかった。それを察したのかリオは、ドゲットを肩から下ろし近くの岩壁を背に座らせた。岩壁に凭れ苦しげに呼吸
を整えるドゲットに自分の上着を掛け、ちょっと待ってろと言って、リオは林の中に消えて行った。
 リオの気配が消えると、辺りは静まり返った。ドゲットは今までの死闘など無かったかのような、繁った木立や風に
揺れる茂みを眺めた。人間などいなくても、世界は回るんだな。そんなことが頭を過ぎり、こうも心静かにしていられる
のが不思議だった。本当なら時間を気にして焦らなければいけないはずが、そんな気にならない。何故だか、リオに
任せておけば大丈夫だという、妙な安心感が心を占める。
 この感じ。ドゲットは空を振り仰ぎ眼を閉じた。これに似たことが昔あった。1982年。レバノン。一緒に死線を潜り抜
けた兵士に共通の連帯感だ。兵士というには、あまりに軟派な奴だが、お互いの協力があって成し得た成果に、満
足すべきだろう。
 眼を開けると、空に月が見えた。僅かに欠けた月を眺め、ドゲットはスカリーを思い浮かべた。満月の晩。あの時彼
女は、月明かり中で俺の眼を見て何と言っただろう。ムーンストーン。確かにそう言った。そんなことを言った女は初
めてだな。ふっと視線を落とせば、どす黒く変色した返り血の着いた上着と、汗と泥にまみれた身体が見えた。今の
俺を見ても彼女はそう言うだろうか。薄汚れて、みすぼらしく、満足に立つことも出来ない、人殺しだ。
 そうとも。詰まりはそういうことだ。例え相手が完璧な暗殺者でも、自分や、仲間の命が危険に晒されていたからだ
としても、人を殺した後の嫌悪感は拭い去れない。これは、スナイパーとしては、致命的なのだ。今までの人生で幾
度かあった、世界が、ものの見方が変わる瞬間。その最初の瞬間だったな。ああ、そうだ。いつか、誰にも話したこと
の無いこの話を、彼女に話して聞かせよう。・・・きっと、いつか。




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