【U】

 次の機会があると言ったものの、その会話をした日から二週間が過ぎようとしているのに、相変わらず2人が同時
刻に仕事が終わる機会は無く、かといって多忙ともいえないような、中途半端な日々が続いていた。何故なら、どうい
う訳かそれ以来、それぞれが他の部署の助っ人に借り出されてばかりで、オフィスで顔を合わせたのは、その日の
スケジュールを確認に寄った時ぐらい。唯一行動を同じくしたのは、10日前、ATF(アルコール、タバコ、火器等取締
局 Bureau of Alcohol, Tobacco and Firearmsの略。財務省に所属する税務取締局。酒、煙草、銃器に関する課税
を目的とするが、脱税行為(密造、密売、不法所持等)の調査のためには、武器の使用や逮捕権など、警察官同様
の権限を持つ)との共同捜査で後方支援に回された時だけだった。が、それも、現地に着いた途端2人とも別の役割
を割り当てられ、言葉を交わす間など殆ど無い有様だった。
 又何度かスカリーが仕事を終え、オフィスに戻った時にドゲットと鉢合わせる事があったが、そんな場合も、直ぐにま
だ終わって無いんだと、マニラ封筒を持ちエレベーターに消えるか、先約があるからと一人オフィスに残っていた。そ
の度にドゲットが、少し済まなそうな顔をするので、その律儀さには苦笑を禁じえなかったが、二週間もの間、別々に
行動したのは組んで以来初めてで、一緒にいても大した話があるわけではないのに、些かフラストレーションがたま
り気味なスカリーだった。
 しかし、ここまで顔を合わせないと、まるでドゲットに避けられているような気持ちになってしまう。が、スカリーは直
ぐに顔を顰めると、その可能性を頭から追い払った。馬鹿ね。理由がないわ。
 スカリーはコート掛けにぶら下がったドゲットのコートと空っぽのデスクを眺めた。この週末にきてようやく、どこの部
署からも呼び出しのないというのに、スカリーが出勤した時には、既にこの状態で、今はもう正午近い。どうせ又、知
り合いの捜査官にでも、手伝ってくれと泣きつかれたのだろう。確かにドゲットは多方面で有能な人間かもしれない。
頼まれれば、身体が空いている限り断らないし、嫌な顔も見せず淡々と仕事をこなす。しかも仕上がりは、頼まれ仕
事だからと手を抜いたりはしない。だがこうなると立派なワーカホリックだ。
 スカリーはドゲットのライフスタイルにけちをつける気など、更々無いのだが、時折ドゲットが以前の同僚から単なる
便利屋のように扱われているような気になり、些か不快だった。彼女は溜息を付くと、この数日間に係わった他の部
署へ提出する報告書を纏め始めた。しかし、記憶を手繰って報告書を書く作業は、色々なことを思い出させる。そうや
って思い起こしてみると、普段あまり他の部署の人間と接する機会の無かったスカリーにとってこの二週間は、その
気がなくともFBI内でのゴシップを頻繁に耳にする日々だった。
 誰がヘマをして降格になっただの、殉職しただの、これまで知らなかった様々な噂話や、出来事を知った。彼らはち
ょっとした空き時間に、誰がするともなくこの類の話題に花を咲かせる。勿論、陰惨な事件の憂さ晴らしもあったが、
捜査のエリート集団も、一皮剥けば物見高くスノッブな一般人となんら変わりは無い。進んでその中に混ざった訳で
もないが、何となく居合わせていたり、偶然立ち聞きするような形でそれは自然と彼女の耳に入り、今ではすっかり
局内の事情通になっていた。

 そんな中で一つ、例のATF関係の事件で、ある地方都市に赴いた時に耳にしたことは、彼女の心に強く印象に残る
出来事だった。その日の夜、ドゲットとスカリーは、別々の仕事先から現場に到着した。直ぐに現場からやや離れた
廃ビルに設置された、臨時の作戦本部へ直行すると、既にATF捜査チームやFBI捜査官、所轄警察関係者らがごっ
た返し、どうやらスカリーが一番最後らしかった。ここで落ち合う手はずのドゲットを探せば、3人のFBI捜査官と一緒
に何やら話し込んでいる。ドゲットといる彼らを見た途端、スカリーは眉を顰めた。
 その3人の捜査官にスカリーは見覚えがあった。クレインを含む3人は、モルダー捜索の時ドゲットの下で捜査に加
わっていた。しかもその内の1人は、あの時スカリーの偽者に喉を潰された捜査官ではないか。首から血を流し倒れ
た彼の、スカリーを見た怯えた眼を忘れる事など出来ない。勿論彼も忘れてはいないだろう。やり辛い仕事になりそう
な気配に、気後れして彼らから離れたところで顔を背け佇んでいると、ドゲットが近づいてくる姿を眼の端に捉えた。
エージェント・スカリー、とドゲットに呼ばれ、初めて気付いた振りをして向き直れば、事故のせいかと真顔で尋ねられ
た。ドゲットの質問は、スカリーが、途中の高速道路で玉突き事故があり到着が遅れると連絡を入れたことへの確認
の為だった。
「ええ。通行止めで身動き取れなかったから、事情を話してパトカーで送ってもらったの。私の車は事故処理が終わっ
たら、市警本部に届けて貰うよう頼んでおいたから、後で引き取りに行かなけりゃならないわ。」
「成る程。」
言葉少なに頷くドゲットの表情が、ほんの少し和らぎ、スカリーはドゲットがスカリーの遅れを気にかけていたと知っ
た。
「状況は?」
「25時丁度に突入だ。これが資料。まだ時間があるから眼を通しておくといい。」
ドゲットは手にしたファイルを、スカリーに手渡した。受け取ったスカリーは、書類を読みながら、ドゲットに尋ねた。
「こちらの仕切りは誰?」
「エージェント・クレイン。」
「ATF、FBI、市警察、SWAT。随分の人手ね。相手はどのくらいいるの?」
「ざっと15人。取引相手を含めたら、25人。何しろ大掛かりな武器取引だ。下手すりゃそれ以上かもしれんな。武装
も並じゃないだろう。荒っぽい仕事になるかもしれないぞ。ベストは?」
「ええ。さっき市警察から受け取ったわ。ATFはお手柄ね。」
「上手くいったらな。何せ、ATFは一年以上かけて準備してたんだ。入れ込み方も半端じゃない。今夜失敗したら、担
当全員の首が飛ぶって言う噂が出るほどだ。」
「詳しいわね。」
「前の課にいた時に、2回協力要請があったんだが、その度に邪魔が入って中止している。」
「エージェント・クレインは何時から?」
「僕が転属して直ぐに、担当を引き継いだ。」
スカリーは、一瞬顔を強張らせドゲットを盗み見た。ドゲットは相変わらず何も読み取れない表情で、紙コップからコー
ヒーを啜っている。その時浮かんだ疑問は、スカリーの眉を僅かに顰めさせた。ドゲットの言葉によれば、もしドゲット
がXファイルに転属にならなければ、この共同捜査を仕切ったのは彼のはずだ。平然としているが、実際は複雑な心
境になって、然るべきだろう。自分のせいではないのに、何となくドゲットに悪いような気がして、気まずげに視線を泳
がせれば、それに気付いたドゲットに、何だ?と聞かれ、躊躇った後、こう答えた。
「だって、転属しなければ、あなたが担当したはずよ。」
「そうだな。だから?」
怪訝そうに聞き返すドゲットに、何と言ったらいいのか言葉を失い俯くと、無意識にクレインに視線が行ってしまう。ド
ゲットはスカリーの視線を手繰り直ぐに合点が行ったらしかった。
「ははあ。もしかしたら君、僕がエージェント・クレインに担当を持って行かれて、気分を害してるとでも?」
「そう思うのが当然よ。前の2回をあなたが担当したんでしょう?今回も担当になってたはずだわ。」
「そりゃそうだが、でもそれは課が変わらなければの話だ。今は、違う。」
「それは形の上では、そうかもしれないけれど、あまりいい気持ちがしないのが普通よ。」
「生憎、僕は普通じゃないらしい。何せXファイルで仕事してるくらいだからな。」
ドゲットの軽口に、スカリーは些か、かちんと来て上目に睨んだ。するとその視線を平然と受け止め、やけにきっぱり
とした口調でドゲットは言葉を続けた。
「エージェント・スカリー。誤解のないように言っておくが、僕は今の部署に何の不満も無い。何処かに転属したいと
か、古巣に戻りたいなんて、微塵も思ったことなどない。」
「でも・・。」
「僕に気を使うな。この話は終わりだ。」
ドゲットの突き放したような口調に、スカリーは思わずはっとして口を噤み、眼差しを鋭くしてドゲットの顔色を窺った
が、顔を背けコーヒーを啜るその横顔には、感情のかけらも見当たらない。スカリーが更に何かを言い募ろうとすれ
ば、ドゲットは遥か向こうに視線を向けたまま、しっと、それを片手で制し、何かあったらしいぞと、囁いた。
 そこでスカリーも、急に辺りがざわざわし始めたことに気付いた。ドゲットの視線の先に眼をやれば、部屋の奥を仕
切ったブースの中に、それぞれのチームリーダー達が集まり、険しい顔をして何やら話し合っている。その異常な雰
囲気に皆の目が注がれる中、暫く侃々諤々と話し合いを続けていた彼らは、ようやく意見が纏まったのか、全員一様
に厳しい表情でブースから出て来た。口を切ったのは、やはりATFのリーダーだった。ほっそりした金髪の40歳前後
のATFリーダーは、大声で捜査員達を呼び集めると、詳細を簡潔に告げた。
「作戦時間の変更を伝える。今入った情報によると、20時30分過ぎに高速道路で起きた事故による渋滞に巻き込
まれ、取引相手の到着時間が大幅に遅れている。この取引がこのまま成立するか、中止になるか定かではなくなっ
た。状況が変わり次第我々の動きも変わってくるだろう。従って、全員このまま待機。今後の指示はそれぞれのリー
ダーに仰ぐこと。以上だ。」
その発表に、仕方が無いとはいえ、作戦実行に向け、士気を高めていた熱が一気に冷めてしまい、ぶつぶつと不平
を言うもの、首を振ってデスクにファイルを投げ出すもの、全員が落胆を隠せないで居た。再びチーム毎に纏まりがや
がやとし始めたところに、それぞれのリーダーが赴き、細かい指示を与える。
 クレインは最初、ダニー・モスレー、ニック・ランドーの二人の捜査官に二言三言指示を出し、直ぐにドゲット達の元
にやってきた。クレインはスカリーに挨拶すると、早速本題へと移った。
「このまま、時間がずれて突入した場合の各チームの配置は、変更無しだ。突入はATFとSWAT。表と道路封鎖は市
警察。裏は我々が固める。エージェント・ドゲット。君は我々と裏に回るはずだったが、SWATの補佐に変更になった。
隊長のロイドはあそこにいる髭の奴だから、何をするかは、直接彼が指示を出す。エージェント・スカリー。君も最初
我々と動いてもらうはずだったが、市警察と共に前面で待機して貰うことになった。」
「でも、そうなると、裏が手薄になるのでは?」
「市警から人を回してもらう。君にはやってもらいたいことがあるんだ。」
「私に何を?」
「交通事故の為に市内の救急車が出払ってしまい、こちらで待機してるはずの車両が無い。怪我人が出た場合君に
応急処置を頼みたい。」
「了解したわ。それで、処置に必要な医療器具は何処にあるの?必要な物が揃っているか、確認しなければ。」
するとクレインはしまったと顔を顰め、そいつは忘れていたなと呟き思案する彼の傍らで、二人はさっと視線を交わし
た。直ぐにクレインは、市警察に手配させようと提案したが、あっさりとスカリーに一蹴されてしまった。どうするつもり
だと尋ねるクレインに自分の思惑をスカリーが説明し始めると同時に、ドゲットは無言でその場を離れた。スカリーは
ひしめき合う捜査員の中に紛れるドゲットの後姿を眼の端に捉えながら言った。
「今から30分ぐらいなら、状況は変わらないわね、きっと。」
「そんなことは、分からないだろう。」
「いいえ。分かるわ。私はここに来る途中、交通事故の現場を見てきたの。私が最後に見た時に、ようやく事故処理
が始まるところで、あの様子じゃ暫くは通行止めだわ。それなら、今私がここを30分ぐらい離れても平気でしょう。」
「じゃ、君が市警本部へ行くかい?」
「いいえ。市警本部へ行っても、必要な物があるとは限らないわ。」
「一体君はどうしたいんだ?」
「出来れば、ここから一番近い病院まで行って、救急医療セットを調達したいの。」
「場所を知ってるのか?」
「私が案内しますよ。」
突然横から声が掛かり、2人同時に声の主を見れば、市警察の刑事が立っていた。何処で話を聞いたのか、50がら
みの小柄な刑事は人好きのする笑顔で、怪訝そうな2人に自己紹介した。
「市警本部、防犯課のマーク・ルイスです。一番近い病院にはついでがあるんで、ご一緒しましょうか。」
「FBIのダナ・スカリーです。そうしてもらえると、助かります。」
握手をしながらそう答えるスカリーは、ルイスの後ろでコーヒーを啜ってるドゲットと眼が合った。そこで彼女が僅かに
頷けば、ドゲットは口の端を歪め幽かに微笑み、再び何食わぬ顔で俯き紙コップを覗き込んでいる。こうなればドゲッ
トがルイスを連れてきたのは言うまでもないだろう。クレインの承諾を得たスカリーが、車のキーを取りに行ったルイス
を少し離れたところで待っていると、相変わらずだなと、呆れた口調で呟くクレインの言葉が耳に入った。スカリーは
肩越しに振り返り、ちらりと2人の様子を窺うと、顔を顰めて頭を掻くクレインが、俯いたまま上目にドゲットを眺めて更
に付け加えた。
「全く。何処の水にも直ぐに馴染むんだな。あんたって人は。」
するとドゲットはクレインを横目に見ながら、不意にその場を離れようとした。おい、何処に行くんだと、話し半ばで放り
出された形のクレインが慌てて呼び止めると、振り向き様ぶっきらぼうに答えるドゲットの声を耳にした。
「ロイドと話してくる。」
そう言って悠然と歩み去るドゲットの後姿に、何やらぶつくさと文句を言うクレインにスカリーは思わず同情したくなっ
た。全くカーシュは何を考えているのか、元担当のドゲットをあてがわれれば、やり難いに決まっている。クレインもそ
れなりに気を使っているのだろう。しかし、ドゲットのクレインへの態度はそんなものは無用だと、はっきり物語ってい
た。スカリーには口にしただけましだと言える。
 お待たせしました、と突然肩を叩かれ、我に返ったスカリーは、ロイドの説明を受けるドゲットの姿を遠めに捉えなが
ら、ルイスと共に病院へと向かった。

 それから一時間が過ぎた。病院で予想以上に手間取ったスカリーが戻ると、本部内の人影はまばらで、どうかした
のかと、医療セットを持ち入り口で立ち止まっていると、後ろからATFのリーダーに声をかけられた。スカリーの様子に
事情を察したリーダーは、暫く状況が変わりそうもないので、皆上の階で夜食を食べていると告げ、君も、と薦められ
たが、医療セットの点検をするからと断れば、自分は出かけるから奥のブースを使っていいと申し出てくれた。
 ATFリーダーと別れたスカリーはブースに入り、早速セットを広げようとブース内を見回した。中央のデスクは作戦の
資料が散在し、とても触れたものじゃない。他に眼をやれば壁際の小さなデスクにダンボール箱が乗っている。中を
覗き込めば空だ。スカリーは肩を竦め、箱をどかして医療セットを広げ、点検を始めた。
 すると不意に数人の足音が聞こえ、ブースの直ぐ近くで立ち止まった。どうやら、彼らはブース脇に設置にしてある
給水機やらコーヒーメーカーやらに用があるらしく、耳をすませば、こぽこぽと飲み物を注ぐ音が聞こえる。彼らとスカ
リーを隔てるプラスチックの透明な仕切りはブラインドが下ろされているため、向こうからは見えない。しかし、急場で
作った簡単なブースだ。仕切りがあってドアを閉めていても、間近な声はよく聞こえる。誰がいるのか、聞き覚えのあ
る声だと判別は容易い。最初に口を切ったのは、クレインの同僚ダニー・モスレーだった。
「今度も見送りか?」
「さあな。だが、ATFも後がない。あいつらの顔を見ただろ?必死だ。」
答えたのはクレインだった。すると、彼らより幾分若いニック・ランドーが尋ねた。
「今夜で3回目だそうですね。前の2回はどうして駄目になったんです?」
「ええっと、確か市警察の交通課の馬鹿がスピード違反で一味のメンバーを引っ掛けたのが1回目で、2回目は、何
かでかい災害とぶつかったんだった。何だったかな・・。」
「洪水だ。」
その声にスカリーは顔を上げた。そっとブラインドの隙間から覗けば、ドゲットの姿がある。
「そうそう。あれは集中豪雨が3日続いた後だったんだ。悪党も天災には適わないんだろ。早々と取引を中止しちまっ
た。だから、ATFがこの段階までこぎつけるのは初めてなんだ。だけど、幾ら何でも、3回目だろう。これでドジったら
今のチームは解散させられるらしい。リーダーってのも大変だぜ。」
モスレーがクレインの顔を冷やかすように見ながら答えると、不満げにクレインが呟いた。
「どういう意味だ。俺達はあくまで手伝いだからな。自分の部署さえちゃんとしてれば、別にどうってことはないさ。」
「ATFのリーダーってどういう人なんですか?」
「クリス・ライアンか。よくは知らないが、切れ者だな。彼のチームの成績はATFでもダントツらしい。だからこれまでの
失敗では、相当悔しい思いをしてるんじゃないか?前回中止になった時はどうだったかな。エージェント・ドゲット、何
か覚えてないか?」
「いや、特には。」
話を振られたドゲットは、素っ気無く答えコーヒーカップを置くと、ごく自然な仕草でふらりとその場を立ち去ろうとす
る。3人は顔を見合わせ、すかさずモスレーが、何処へ行くのか尋ねれば、何時ものゆったりとした口調でドゲットが
答えた。
「SWATの配置位置を確認してくる。」
「呼び出しに答えられるところにいてくれよ。」
クレインがコートを羽織るドゲットに一言言えば、片手を上げて了解の意思を示し、3人が見守る中黙って出て行って
しまった。その後姿を見送っていたランドーが、突然後の2人に向き直った。
「何時もあんな風なんですか?あの人は。」
「あんな風って?ドゲットはドゲットだ。何時もと変わったところなんてないぞ。」
「だから、・・その、あんまり喋らないって言うか。かといって無愛想って訳でもないし、雰囲気独特ですよね。」
「・・・そうか、君はモルダー捜索の時に配属されたんだよな。あれは、災難だった。」
「・・・・・・ええ、まあ。」
「もう、いいのか?傷はすっかり?」
「はい。痕が少し残りましたがね。でも、大丈夫です。」
「カウンセリングは受けたか?」
「勿論。一ヶ月前に、復帰しました。」
2人の会話にモスレーが割って入った。
「魔女が来てるぞ。会ったか?」
「さっきエージェント・ドゲットと話している所を見ました。」
「感想は?」
「はあ。・・・・なんとも、その・・・」
口籠るランドーを覗き込みモスレーは大仰に心配して見せた。
「おいおい、大丈夫か?本当にカウンセリング受けたのか?」
「本当ですよ。ちゃんと太鼓判を押されてますって。只、その実際あの人を見ると・・。」
「何だよ。ブルッちまって足でも竦むか?」
「違いますよ。まるで別人だから、やっぱり見間違いかな、と。でも、あの時は確かに彼女でした。僕以外の証言もあ
る。」
「・・・・・ま、あんまり深く考えないことだ。もう、お前にゃ関係ない。割り切るんだな。」
「カウンセラーにも、同じようなことを言われましたよ。・・僕はいいですけどね。課が違うから。でも、エージェント・ドゲ
ットはよく平気ですね。」
ランドーの言葉に、クレイン達は意味ありげに目配せし、曖昧な笑顔を作った。その笑顔を不思議そうな眼で見るラン
ドーに気付き、クレインは、咳払いすると言った。
「ああ、あいつなら心配いらないさ。見ただろう?前と全然変わってない。」
「そうなんですか?前を知らないから分かりませんが。」
おい、とモスレーに小突かれてクレインは口を噤んだ。会話が堂々巡りだ。恐らくドゲットのことに関してあれこれ言う
のが、彼らにとって本意ではないのだろう。ふっと会話の途切れた3人は黙って、コーヒーを啜った。暫くそうしていた
が、最初に会話を再開させたモスレーの言葉は、長い溜息と共に始まった。
「しかし何時になったら、ドゲットはあそこから戻るつもりなんだ?お前は何か聞いてないのか?エージェント・クレイ
ン」
「いいや。何にも。」
「本当か?」
「本当さ。ドゲットが余計な事を喋らないのは知ってるだろう?たまに週末一緒に飲みに行っても、曖昧なことは一切
言わないんだ。ドゲットが口にすることは俺達皆知ってることばかりだから、勤務時間外に一緒にいても、プライベート
の話なんて無いようなもんだ。」
「口数少ないですからねえ。」
ランドーが訳知り顔で相槌を打てば、すかさずモスレーにきっぱりと訂正された。
「口数少ない?違うな。エージェント・ランドー。ドゲットのはそんな生易しいもんじゃない。ありゃ、‘寡黙’って言うん
だ。でも、お前が一番長い付き合いだろ?エージェント・クレイン。お前んちのホームパーティーにだって何度か来たっ
て話じゃないか。親しそうに見えるぜ。」
「そりゃ、親しいさ。なんてったって、我が家のホームパーティーには、必ずドゲットに声をかけるのが慣わしになるぐら
いの親しさだ。勿論ドゲットだってあそこに移る前までは、結構来てくれてたんだ。」
そう自身ありげに言ってから、不意に口を噤んだクレインは、肩を落とすと頭を掻いた。その様子を不思議そうに見る
2人と眼が合い、躊躇いがちに呟いた。
「だけどまあ、そう言っても、来たってだけだがな。」
「どういう意味です?」
「ドゲットが来ると、子供達と犬が片時も側を離れないんだ。」
モスレーとランドーは眼をぱちくりさせ、クレインの顔をまじまじと見詰めた。説明しにくそうにしているクレインに、呆れ
た口調でモスレーが聞いた。
「何だ。ドゲットに子守させてるのか?エージェント・クレイン。」
「よせよ。人聞きの悪いことをいうな。だが、どういういわけか、ドゲットが来ると、息子を含めて他の家の子供までびっ
たりくっついちまって、大人の話どころじゃないんだ。ドゲットは別に愛想を振りまくわけでも、プレゼントを持ってくるわ
けでもないんだがな。俺達と仕事する時とおんなじような顔つきで、そこにいるだけなのに、まるで砂糖に群がる蟻み
たいに子供が寄ってゆくんだ。食事の時なんて、誰がドゲットの隣に座るかで毎回一騒動だ。」
「ガキなんて上手く追っ払えばいいじゃないか。」
「出来りゃ苦労しないさ。だが、日ごろが日ごろだからな。家じゃそんなに強く出られないんだよ。じゃ、お前言える
か?もし、言えるなら教えて欲しいもんだぜ。家族サービスの日に子供を追っ払う上手い台詞があるんならな。」
「ああ・・・、そりゃその、無いな。じゃ、早く寝かせるとか、出来ないのか?」
「それもしたさ。すると、今度は犬が邪魔するんだ。」
二人は顔を見合わせ顔を顰めると、矢継ぎ早にクレインに尋ねる。
「犬?ですか?飼い主のあなたに?」
「犬ってあの、無愛想で不細工なマスチフだろ。駄犬なんだよ。保健所行きだな。」
「おい。失礼なことを言うな。家のゼウスは州のチャンピオンに2回、98年全米3位の成績を誇る名犬だぞ。その犬が
俺に向かって、本気で唸るんだぜ。ま、最も俺もその頃には、かなり酔っ払ってるからな、面倒くさくなって放っておく
んだが、気が付くと、ドゲットは帰っちまってるって寸法なんだ。」
「じゃ、その類の話は一切なしか?」
「そうだ。」
「そうすると毎回エージェント・ドゲットは、あなたの家のホームパーティーで何をしてるんです?」
「息子達と裏庭でキャッチボールやゲームをしたり、犬を散歩に連れてったり・・。」
クレインの言葉に、モスレーとランドーは顔を見合わせると同時に吹き出した。腹を抱えて笑う2人を、憮然として睨み
つけるクレインの肩に、モスレーは手をかけると首を振った。
「そりゃ、お前の仕事だ。随分厚かましい奴だな、お前も。ドゲットが話さないのは、お前の酒癖の悪さも一因なんじ
ゃないのか。」
「余計なお世話だ。この間バーで管巻いていた奴に言われたくないね。」
「おっと、言ってくれるね。いや、待てよ。本当はあれが原因じゃないのか?」
「何だよ。あれって。」
「あれさ。お前の かみさんだよ。」
「ああ。・・・ううん、そうかもしれんな。俺も放っておけとは言ってるんだが、耳を貸さないんだ。」
「まあ、仕事一辺倒で浮いた噂一つ無いドゲットを見てると、お前のかみさんの気持ちも、分からないではないが
な。」
クレインとモスレーは疲れた顔で溜息を付いた。途中から話が見えなくなったランドーは、かわるがわる二人の顔を見
比べ、何のことかと尋ねたが、持て余し気味の連れ合いの行いについて、説明するのが面倒になった2人は、揃って
曖昧に言葉を濁し、はぐらかすように苦笑いして俯いてしまった。
 一方ブラインド越しのスカリーは、その話題について多少の知識があった為、思わず笑みを浮かべた。以前、ソルト
レークの空港でドゲットが、クレインのワイフについて触れたことを、覚えていたのだ。スカリーは彼らの話を聞くうち、
以前ドゲットが語ったこと全てが、その場凌ぎの戯れではなく、事実を述べていたと知り、何となく嬉しかった。今やス
カリーは無作法とは知りつつも、好奇心を抑えられず、興味津々で彼らの話に耳を傾けていた。
 彼らの話は尚も続いた。
「まあ、そういうことなら、当分戻らないだろうな。納得するまで止めない男だ。」
「エージェント・ドゲットに戻ってきて欲しいんですか?エージェント・モスレー。」
「当然さ。こんな危険な任務の時には特に。」
「なんか言ってますよ。エージェント・クレイン。」
モスレーの返事を聞き、意味ありげに目配せしたランドーがクレインに問えば、はすに構えてクレインが突っかかる。
「癪に障る奴だな。全く。俺じゃ頼りないとでも、言いたいんだろう。」
「怒るなよ。そうは言ってないさ。只、ドゲットの方がお前より射撃の腕が数段いいのは知ってるだろう?バックアップ
はドゲットを指名したかったぜ。実を言うとこのスーツ、買ったばかりなんだ。」
モスレーがすかさず雑ぜっ返せば、モスレーがその言葉の一つを聞きとがめ、クレインに聞き返した。
「射撃の腕?そんなにいいんですか?エージェント・ドゲットは。」
「まあな。・・・・こいつを知ってるのは、ドゲットが入った時を知る人間だけなんだが、ドゲットは入局時の射撃テスト全
てで、満点に近い数字を叩き出した。驚いた教官が早速上に報告すると、直ぐにHRT(人質対応部隊)の隊長自らス
カウトに来たって話だ。」
「HRTって、確かFBIのSWATのことですよね。ワオ、そりゃ凄いや。で、エージェント・ドゲットはどうしたんです?勿論
HRTに・・。」
「断ったんだ。」
「ええ?だって一捜査員になるのと、入っていきなりHRTの隊員になるのとじゃ、待遇が違いますよ。何で又。」
「さあな。とにかくドゲットはきっぱり撥ね付けて、あのとおりさ。だがな、それ以来、毎年恒例の射撃訓練のドゲット
の成績は、どうも妙なんだ。」
「妙って?」
「何て言うか、微妙に点数を調節してるとしか、思えない節があるんだ。」
「つまり?」
「いつも、Aクラスの最低ラインぎりぎりのところに位置するような点をキープしてる。ま、確認したわけじゃないから、な
んとも言えないがな。でも、一度一緒に銃撃戦を経験したら、直ぐに分かる。ドゲットの射撃の腕は並じゃない。むしろ
それ以上だ。」
「成る程、それほど射撃が凄腕だったら、戻って欲しいですよね。」
ランドーが納得出来たという意味で大きく頷けば、後の2人は妙に白けた顔をして視線をあらぬ方へと漂わせてい
る。その様子にランドーは敏感に反応し、クレインに聞き質した。
「違うんですか?」
2人は意味ありげに頷き合うと、おもむろにクレインが向き直った。
「君、結婚は?」
「してますよ。」
「子供は?」
「まだです。」
「欲しいのか?」
「ええ、勿論。2人で努力してる最中ですよ。それが、何か?」
努力だと、若いな。モスレーがにやついてクレインに囁けば、羨ましいか?と冷たくクレインに言い返され口を噤ん
だ。クレインはモスレーを黙らせると、ある例え話を持ち出した。
「こいつは仮定の話だ。いいか、まずかみさんに赤ん坊が出来たとする。今臨月だ。ところが折り悪くコロンビアの麻
薬シンジケートの幹部3人がベガスで豪遊中パクられる。で、そいつらをコロンビアまで護送しなけりゃならなくなっ
た。当然一味の襲撃が予想されるから、その勢力を分散させる為にチームが三つ編成される。一つはカーシュのチ
ームだ。武器も設備も人数も一番充実している。次はスキナーのチームだ。豊富な人脈を酷使してスペシャリストが
集められている。最後がドゲットのチームだ。武器も人も最低限。お前はこの三つのチームの中から一つ選んで、護
送に加われと言われたら、どのチームに入る?幸運なことに選ぶ権利はお前にある。さあ、どうする?」
「慎重に選べよ。生きて赤ん坊に逢いたいだろう?エージェント・ランドー。」
「うーん。カーシュとスキナーと、ドゲットのチームなんですよね。・・・・・スキナー副長官のチームかな。」
「理由は?」
「理由ですか?ええっと、それはやっぱり、彼はFBIでの経歴が長い上に、こういう指揮は慣れてる。経験でいったら
彼が一番じゃないんですか?」
自身たっぷりに答えるランドーの前で、2人は大仰に溜息を付いた。モスレーなど哀れむような目つきでランドーを見
て呟く。
「・・・・可哀相に。」
急に不安になり聞き返すランドーに、クレインがきっぱりと裁定を下す。
「ハズレですか?」
「任務に失敗して、減棒。降格されて支局に左遷だ。」
納得出来ないランドーは答えを変えた。
「じゃ、カーシュ長官代理ですか?」
「最悪。」
吐き捨てるように即答したモスレーの側で、そうそう、とクレインも相槌を打つ。自分の答えに自信を持っていたモスレ
ーは、混乱して叫んだ。
「何で?どうしてです?じゃ、あなた達は誰を選ぶんですか?」
すると2人は満足げに頷きあい、当然だと言う顔付きで、ランドーに答えた。
「ドゲットだ。」
「そう。決まりだな。」
訳が分からないといった風情で絶句するランドーの隣で、不意にクレインが振り返った。視線の先には、市警察のリ
ーダーが出入り口に立ち、手招きする姿があった。
「おっと、お呼びがかかった。ちょっと行ってくる。」
「え?待って下さいよ。理由は?このままなんて・・。」
カップを置き、その場を離れようとするクレインの腕を、既の所で掴み、必死の形相でランドーが食い下がった。すると
クレインは、ああ、分かった分かった仕様が無い、という風情で振り解き、説明してやれと、モスレーに声をかけてか
ら足早に立ち去って行った。
「エージェント・モスレー。どういうことです?」
「こいつは先輩からの有難い特別講義だ。よく聞いて置けよ。まず、カーシュのチームを選んだとする。任務遂行の為
には、多少の犠牲は付き物と、兵隊は機材扱い。お前みたいな入って間もないぺーぺーは、幾らでも補充がきくか
ら、下手すりゃ弾除けだな。撃たれてオダブツ。かみさんは乳飲み子を抱え、僅かな報償金と退職金を貰って涙に暮
れる。お次はスキナー。スキナーは経験豊富ないい上司だが、如何せん上からの命令と規則に弱い。どんなクソみ
たいな命令でも、絶対守ろうとする。その結果はさっき言ったよな。さて、最後はドゲットだ。ドゲットはFBIのキャリア
は浅いが、軍隊と警察での経験がある。加えて、急場での頭の回転が速く、行動が迅速だ。任務を遂行し全てを滞
りなく行うためには、多少の命令違反も止むを得ないと心得る、柔軟な思考の持ち主だ。しかも射撃はピカ一。従っ
て、任務は成功。全員が無事に帰還出来るってわけさ。・・・何だ。不満か?」
滔々と持説を披露したモスレーが、渋い顔で俯くランドーに気付き訝しげに見下ろせば、彼は口籠りながら上目に視
線を返した。
「でも、僕は彼の指揮下で怪我を・・。」
「死ななかったじゃないか。」
事も無げにモスレーは言い放ち、そのきっぱりした物言いに眼を瞬かせるランドーを、おかしな奴とでも言いたげに見
詰め返した。
「他の奴が指揮してたら、お前は今頃ここにはいなかったぜ。入院してからの待遇も申し分なかっただろ?」
「ええ。そりゃ、まあ。確かにそうですが・・・。じゃあ、一体ドゲットと他の2人は、何故そうも違うんです?」
「何故?そうよなあ。まあ、平たく言えば、2人とも偉くなって長いってことかな。」
「どういう意味です。」
「人間、偉くなっちまうと色々守りたいものが増えるもんさ。地位とか、名誉、名声。キャリア、家族の生活水準。誰し
も自分は可愛いからな。そのつもりは無くても、つい我が身の保身に走っちまうのも頷ける。」
「つまり、エージェント・ドゲットにはそれが無い、と。」
「さあな。そういったものが、全く無いわけじゃないだろう。何せ、5年という僅かな間に、カーシュに見込まれ、例の事
件じゃ指揮を任されたほどだ。確実にキャリアアップを遂げている。人並みの上昇志向や野心はあるんじゃないのか
な。まあ、聞いたわけじゃないから分からないが。」
モスレーは肩を竦めると、所在無げに視線を泳がせた。ランドーは複雑な表情をしていたが、それでもそれなりに、自
分を納得させたらしく、軽く頷いて見せた。
「呑み込めたか?」
「ええ、まあ、何となく。」
そう言ってから急にランドーはふふっと笑みを零した。それを見咎めたモスレーに、何だ、と聞き質されちょっと躊躇っ
てから答えた。
「いや、話を聞いてると、何だか僕は凄い人の下で働いていたような気がして・・。」
「妙な気分か?」
「ええ。だって、エージェント・ドゲットって、その・・」
「そう、単なる同僚さ。俺達より飛び抜けて肩書きが上な訳じゃないからな。だが知ってるか?あいつは、同期の中じ
ゃ最も長官の椅子に近い男と、仲間内じゃもっぱらの噂だったんだぜ。」
そう言ってから急にモスレーは辺りを窺い、ランドーを手招きした。怪訝そうなランドーが身体を寄せると、片腕で首を
抱き込み、こっそり打ち明け話を持ちかけた。
「いいか、ドゲットは知らないからあいつには絶対に言うなよ。ドゲットのパートナーになりたいって奴は、掃いて捨て
る程いる。クレインは元より、内の課の殆どの人間がそう思ってる。勿論俺もその一人だ。何しろあいつがいなくなっ
てから、内の課の成績は、がた落ちなんでな。だから、俺達皆、ドゲットに早く戻ってきてもらいたいと本気で願ってる
んだ。戻ってくる一番手っ取り早い方法は、ドゲットが自分で転属願いを出すか、パートナーに愛想を尽かされるかの
どちらかなんだが、クレインの話じゃドゲットが転属願いを出す見込みは当分無い。かといってドゲットとパートナーが
上手くいってるかっていうのは、意見の分かれるところでな。例の事件じゃお前も知っての通り、最悪だった。だが、
その後アイダホのケースの辺りから、どうも様子が変わったらしい・・・。」
「チップ&デール。」
続きを待たず先を繋げたランドーをおやっと言う顔で眺め、直ぐに顔を顰めたモスレーは局内における彼らのあだ名
を、まるでそう呼ばれるのが、我が身の恥とでも言いたげに、素早く訂正した。
「チェイスとデリーだ。まあ、いい。とにかく、あの凸凹コンビがドゲットのパートナーの悪口を言ったばかりに、あいつ
にエレベーターで捻られたって話は、局内でも有名だろ。おまけにユタで魔女が行方不明になりかけたときなんぞ、
わざわざ俺に電話してきて、通話記録の調査を依頼するほどだ。」
「僕にどうしろと?」
「そこでだ、お前と魔女は例の事件で、微妙な関係だってことはよく分かる。心情的にやり難いものがあるだろう。だ
が、頼むから彼女を刺激して機嫌を損ねるなよ。」
「どういう意味です?刺激って?」
ランドーはモスレーの口調に些かむっとして尋ねた。
「怒るなよ。まあ、聞け。ここが難しいんだ。いいか、リラックス。リラックスだ。普通にしてろ。意識しすぎず、無視もす
るな。ドゲットのパートナーとして丁重に扱え。」
「勿論そんなことは分かってますし、言われなくても、そうするつもりでした。でも、一体それとこれと、どういう関係が
あるんです?」
「それが、大有りなんだよ。鈍い奴だな。」
鈍いと決め付けられ更に不機嫌な顔になるランドーに、構うことなくモスレーは先を続ける。
「そんな顔せずに、俺の言うことを聞けよ。とにかくだ、彼らは今のところ、パートナーとして上手くいってるらしいが、
いずれモルダーが見付かり、ドゲットがあそこで用済みなったら、あいつは一体何処に行けばいいんだ?ドゲットにし
てみれば迷うところだ。そこでだ。俺達がここで、好印象を与えておけば、又内の課に戻りたいって気になるだろ?」
相変わらずむすっとした顔のまま話を聞いていたランドーは、ふとモスレーの言ったことが気になり、直ぐさまその疑
問をぶつけた。
「モルダーが見つかると思ってるんですか?」
「当たり前だ。ドゲットの事件解決率は、ダントツだ。特に、逃走犯や、失踪人の絡んだ事件は抜群の成績だったの
に、あの事件で初めてつまずいたんだぞ。だからこそなんだろうな。当分帰ってきそうにないのは。あいつのことだ。
絶対に諦めちゃいまい。必ず見付けるはずだ。」
「じゃ、もし、最悪の事態だったら?」
「・・・・最悪の事態か。あんまり考えたくはないがな。まあ、可能性としてはゼロとは言いきれない。だが、そうなれば
あの課そのものの存続がヤバくなる。今でさえ、カーシュに睨まれてるんだ。死者が出たとなれば閉鎖の絶好の口
実になる。となれば・・・。」
「身の振り方を考えなければならない。」
「よしよし。大分分かったきたな。」
「これだけ、丁寧に解説されれば、幾らぺーぺーの私でも分かりますよ。」
「いい先輩だろう?」
恩着せがましいモスレーの態度に、ああ、はいはい、とおざなりな返事をしたランドーはコーヒーを飲み干した。すると
思い出したように自分のカップを覗き込んだモスレーは、とっくにカップが空になっていたことに気付き、黙ってそれを
置き、その場を離れようとした。
「何処に行くんです?エージェント・モスレー。」
「ガレージで煙草吸ってくる。」
「待って下さい。私も行きます。」
「お前、煙草は吸わないんじゃ?」
「ワイフに電話するんです。」
モスレーは大仰に驚いて見せ、仲が好くていいねえなどと冷やかしたが、平然とそうですよ、答えられくやしそうに肘
でランドーの脇腹を小突いた。そのまま、2人はふざけ半分に小突きあいながら部屋を出て行った。
 それから暫くして、急に静かになった部屋を見渡しながら、スカリーは点検の終わった医療セットを持ってブースか
ら出た。今は誰もいない給水機の前まで来ると、医療セットを下に置き、水を汲んだ。一息に飲み干せば、思わずふ
うっと溜息が出た。彼らの話は、スカリーの知らないドゲットの姿を、鮮明に垣間見せることになり、その情報量に圧
倒されたのだ。
 スカリーは今知ったことを、よく考え直したかったが、その直後状況は急展開して行く。慌しく緊急招集がかけられ、
突入から犯人グループとの一戦があり、銃撃と怪我人で騒然となった現場では、他所事を考える余地など無くなって
しまっていた。離れ離れの持ち場についていたスカリーとドゲットは、それぞれ自分に割り当てられた仕事に忙殺さ
れ、数回擦れ違って視線を合わせる以外、殆ど口を利く間も無く、そのまま別々に帰途についたのだった。


 スカリーはATFとクレインに提出するファイルを見直しながら、あの時出来なかった彼らの話を思い出していた。聞き
苦しい中傷や陰口は、思い出しても不快なだけだが、彼らの話は思い出すと知らず知らず顔が綻んでしまう。自分が
モスレーに魔女呼ばわりされていた件を除けば、どれもこれも非常に興味深く面白いエピソードの羅列だった。それ
が全てドゲットにまつわる話であれば、尚更だ。
 確かに書類上だけでも、ドゲットの能力の高さは窺い知れた。しかし、ああして改めて聞くと、元同僚の言葉は更に
その事実を、明確に裏付けた。高い事件解決率。射撃水準。だが、注目すべきは、やはりドゲットの人望だろう。これ
ばかりは、どんなに優秀な捜査員が、如何に努力しようとも、容易に手に入るものではない。
 スカリーは同僚の間で語られるドゲット像と、自分の知るドゲットの人間像の間にかなり違いがあるのを知った。彼
らによれば彼は、寡黙で滅多に冗談を言わず、自分についても多くを語らない為、人付き合いはいいのに今ひとつつ
かみ所のない男だと思われてるらしい。ドゲットとの付き合いが一番古いクレインが、自宅に呼んでも、子供と犬の相
手ばかりしている男を、どんな、と聞かれても、答えようがないのは否めまい。しかし、つまるところ他の同僚もドゲッ
トの人間性について、同僚としてはこれ以上ないほど信頼できるが、それ以外に多くを語れるほどの情報を持ち合わ
せてはいないようで、ドゲットがどういう人間か正確に分かっている者は居なさそうだった。
 しかし、スカリーの知るドゲットは、確かに無口ではあったが、洗練されたユーモアの持ち主で、笑いもすればジョー
クも言う、他愛のない言葉のやり取りをスカリーに吹っ掛け、彼女の反応を密かに楽しむような男だった。彼らのドゲ
ットに対する、仕事一辺倒な真面目人間という認識とは、かなり隔たりがある。
 親しかった同僚さえ知らないドゲットの一面を知るという事実は、スカリーの心を優越感で満たした。あまりおおっぴ
らには言えない感情だったが、これがパートナーという役得だけではなく、ひょっとして彼女だから普段人には見せな
い態度を示したとなれば、尚更得をしたような気分になる。
 そこで、スカリーはあることに思い当たり、心の中で呟いた。これって、決して人馴れしない野生動物を手なずけた
感覚と似ているのかしら。そういえば以前、ドゲットを野生の捕食動物のようだと感じた時があったわ。あれは、アイ
ダホのケースの後だった・・・。

 突然、電話が鳴りスカリーは我に返った。慌てて受話器を取ると、相手の言葉に思わず立ち上がった。短い応答の
後、受話器を置いたスカリーはドゲットの携帯電話の番号を押せば、身近なところで呼び出しが鳴った。音をたどれ
ば、ドゲットのコートの内ポケットの中で鳴っている。スカリーは舌打ちしてメモを走り書きすると、ドゲットのPCに貼り
付け足早にオフィスを去った。





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